玉勝間 / 九の巻 対馬の式社
都都智ノ神社は、佐須ノ郷久根村にあり、神階從五位下、今は矢立神山と申す。銀山ノ神社は、同郷樫根村に有り、神階從五位下、今は六所大明神と申す。上件十三社は、下ッ縣ノ郡なり。然るに豆酸ノ郷、和名抄に上ッ縣ノ郡に有ッ、佐須ノ郷與良ノ郷は、同抄に見えざれども、賀志郷鷄知ノ郷ありて、これ又ともに上ッ縣ノ郡に見えたり。然れば式と和名抄と、郡の上下あひかはれり。今も和名抄の如くにて、初めの十六社は、みな下ッ縣、後の十三社は、みな上ノ縣ノ郡なり、とぞ。いつの世に、いかなる由にて、さはかはりぬらむ。さて右の神社どもの中に、多久頭多麻ノ神社、式には、下なる多ノ字無し。又多久頭魂ノ神社、式には魂ノ字無し。郷名のうちの、豆酸の酸ノ字、めづらしけれは、もし酸を誤れるにはあらざるかと思ひしに、字書を見れば、酸ノ字音頭なり。此郷を、朝鮮國の海東諸國記と云ふ物には、豆豆郡としるせり。さて此對馬の式社の事も、小篠ノ御野が、彼ノ島にあひ知れる人の有るが許に、問ひにやりしに、書キつけておこせしとて、ここにも書キつけて見せにおこせたりしを、しるせるなり。
新字:都都智ノ神社は、佐須ノ郷久根村にあり、神階従五位下、今は矢立神山と申す。銀山ノ神社は、同郷樫根村に有り、神階従五位下、今は六所大明神と申す。上件十三社は、下ッ県ノ郡なり。然るに豆酸ノ郷、和名抄に上ッ県ノ郡に有ッ、佐須ノ郷与良ノ郷は、同抄に見えざれども、賀志郷鶏知ノ郷ありて、これ又ともに上ッ県ノ郡に見えたり。然れば式と和名抄と、郡の上下あひかはれり。今も和名抄の如くにて、初めの十六社は、みな下ッ県、後の十三社は、みな上ノ県ノ郡なり、とぞ。いつの世に、いかなる由にて、さはかはりぬらむ。さて右の神社どもの中に、多久頭多麻ノ神社、式には、下なる多ノ字無し。又多久頭魂ノ神社、式には魂ノ字無し。郷名のうちの、豆酸の酸ノ字、めづらしけれは、もし酸を誤れるにはあらざるかと思ひしに、字書を見れば、酸ノ字音頭なり。此郷を、朝鮮国の海東諸国記と云ふ物には、豆豆郡としるせり。さて此対馬の式社の事も、小篠ノ御野が、彼ノ島にあひ知れる人の有るが許に、問ひにやりしに、書キつけておこせしとて、ここにも書キつけて見せにおこせたりしを、しるせるなり。
書き下し
都都智の神社は、佐須の郷久根村にあり、神階従五位下、今は矢立神山と申す。銀山の神社は、同郷樫根村に有り、神階従五位下、今は六所大明神と申す。上の件十三社は、下つ県の郡なり。然るに豆酸の郷、和名抄に上つ県の郡に有り、佐須の郷・与良の郷は、同抄に見えざれども、賀志郷・鶏知の郷ありて、これ又ともに上つ県の郡に見えたり。然れば式と和名抄と、郡の上下あいかわれり。今も和名抄のごとくにて、初めの十六社は、みな下つ県、後の十三社は、みな上の県の郡なり、とぞ。いつの世に、いかなる由にて、さはかわりぬらむ。さて右の神社どもの中に、多久頭多麻の神社、式には、下なる多の字無し。又多久頭魂の神社、式には魂の字無し。郷名のうちの、豆酸の酸の字、めづらしければ、もし酸を誤れるにはあらざるかと思いしに、字書を見れば、酸の字音頭なり。この郷を、朝鮮国の海東諸国記と云う物には、豆豆郡としるせり。さてこの対馬の式社の事も、小篠の御野が、彼の島にあい知れる人の有るが許に、問いにやりしに、書きつけておこせしとて、ここにも書きつけて見せにおこせたりしを、しるせるなり。
現代語訳
都都智神社は佐須郷の久根村にあり、神階は従五位下、今は矢立神山と申す。銀山神社は同じ郷の樫根村にあり、神階は従五位下、今は六所大明神と申す。以上の十三社は下県郡である。ところが豆酸郷は『和名抄』では上県郡にあり、佐須郷・与良郷は同じ書に見えないが、賀志郷・鶏知郷があって、これもともに上県郡に見えている。そうであれば、『延喜式』と『和名抄』とで、郡の上下が入れ替わっている。今も『和名抄』のとおりで、初めの十六社はみな下県郡、後の十三社はみな上県郡だということである。いつの世に、どういう理由で、そのように変わったのだろうか。さて右の神社の中で、多久頭多麻神社は、『延喜式』では下の「多」の字がない。また多久頭魂神社は、『延喜式』では「魂」の字がない。郷名のうちの豆酸の「酸」の字は珍しいので、もしや「酸」を誤ったのではないかと思ったが、字書を見ると、この字は音が「頭(ず)」である。この郷を、朝鮮国の『海東諸国紀』という書物には「豆豆郡」と記している。さてこの対馬の式社のことも、小篠御野が、あの島に知り合いのいる人のもとへ問い合わせに遣わしたところ、書き付けて送ってきたというので、それをここにも書き付けて見せに送ってきたのを、記したのである。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』九の巻 対馬の式社大島の神社は、仁位の郷仁位村に有り、神階従五位下、今は和多都美神社と申す。波良波の神社は、同郷同村に有り、神階従五位下、今は軍殿と申す。上の件十六社は、上つ県の郡なり。然るに、三根・佐護・伊奈などの郷みな和名抄には、下つ県の郡に有り。又仁位の郷は、和名抄には見えざれども、これも古えは上県郡なりしを、今は下県の郡なりと云えり。高御魂神社は、豆酸郷豆酸村に有り、神階従四位上。銀山上の神社は、佐須郷久根村に在り、神階従五位下、今は五所大明神と申す。雷命神社は、同郷阿連村に有り、神階従五位下、今は八龍殿と申す。和多都美の神社は、国府に有り、神階正四位上、今は八幡宮と申す。多久頭魂神社は、豆酸の郷豆酘村に有り、神階従四位上、攸記宮とも申す。太祝詞の神社は、与良の郷加志村に有り、神階従四位上、今は加志大明神と申す。阿麻氐留神社は、同郷小船越村にあり、神階従五位下、今は照日権現と申す。住吉の神社は、同郷鶏知村に在り、神階従四位上。和多都美の神社は、住吉と同社なり、神階従五位上。平の神社は、国府八幡宮の西の側らに有り、神階正四位上、今は脇の宮と申す。敷島の神社は、与良の郷加志村に有り、神階従五位上。
-
『玉勝間』九の巻 対馬の式社和多都美の神社は、三根の郷木坂村に在り。神階従四位上、今は八幡本宮と申す。島大国魂の神社は、豊崎の郷豊村にあり、神階正五位下、今は島の首神の社と申す。能理刀の神社は、同郷西泊村に有り、神階従五位下。天の諸羽の命の神社は、佐護の郷恵古村に有り、神階従五位上。天神多久頭多麻の神社は、同郷湊村に在り、神階従五位上、又主基社とも申す。宇努刀の神社は、古えは三根の郷佐賀に在り、今は国府八幡宮の境内に有りて、祇園の社と申す、神階従五位上。小枚宿禰の命の神社は、三根の郷三根村に有り、神階従五位上、今は座王権現と申す。那須加美乃金子の神社は、伊奈の郷三根の郷の堺にて、南は三根の郷志多賀村、北は伊奈の郷小鹿村なり。今は那祖師大明神と申す、神階従五位上。伊奈久比神社は伊奈郷伊奈村に有り、神階従五位上。行相神社は、佐護・伊奈二郷の堺に有り、神階従五位上。和多都美御子の神社は、仁位郷仁位村に在り、神階正五位上、今は天神と申す。胡禄神社は、伊奈の郷琴村に有り、神階従四位下、今は琴崎の社と申す。胡禄御子神社は同郷同村に有り、神階従四位下、今は郷崎の社と申す。島大国魂御子神社は、佐護の郷佐須奈村に有り、神階正五位下。
-
『玉勝間』九の巻 対馬の式社そもそも式社は、国のやむことなき神たちなるに、いずれの国も、今の世には、定かならざるが多く、絶え給えるさえ多きは、万よりも憂わしきわざなるを、さる片ほとりの島国にしも、上の件のごとく全く皆たしかにて坐すことは、いとも珍らしく、有りがたく覚ゆるままに、殊にかくしるせるなり。思うにかの島などは、遥かに海中に、離れたる所なれば、かえりて国の乱れさわぎたりし世なども、おさおさ有らざりけむゆえに、古えのさまの、いたくは変わらぬにや有らむ。とまれかくまれ、いと尊きことにぞ有りける。
-
『玉勝間』七の巻 神社の祭る神を知らまほしくする事古き神社どもにはいかなる神を祭れるにか、知られぬぞ多かる。神名帳にも、すべてまつれる神の御名は、しるされず、ただその社号のみを挙げられたり。出雲風土記の、神社をしるせるようも、同じ事なり。社号すなわちその神の御名なれば、さも有るべき事にて、古はさしも祭る神をば、しいては知らでも有りけむ。然るを後の世には、必ず祭る神を知らでは、有るまじき事のごと心得て、知られぬをも、しいて知らむとするから、万ずにもとめて、或いは社号につきて、神代のふみに、いささかも似よれる神の名あれば、おしあてにその神と定めたるたぐい多ければ、その社に伝えたる説も、信じがたきぞ多かる。そもそも神は、八百万の神など申して、天にも地にも、その数限り無くおわします事なれば、天の下の社々には、その中のいずれの神を祭れるも、知るべからぬぞ多かるべき。神代紀などに出でたる神は、その千万の中の一つにもたらざんめるを、必ずその中にて、その神と定めむとするは、八百万の神の御名は、神代紀に、ことごとく出でたりと思うにや。古書に御名の出でざる神の多かる事を、思いわきまえざるは、いかにぞや。
-
『玉勝間』九の巻 紀の国の名どころども上の件磯間の浦よりこなたは、皆むろの郡なり。そもそもこの紀の国は、古き名どころども多くして、万葉集にも、殊に多く見えたるを、世の人は、いずれの郡にありとだに、え知らぬ所々の多かるを、この国にては、かくれ無くて、皆人よく知れるなど、又さらぬも、書どもには、皆記るしたるが、見過しがたくて、その大かたを写し置きつる中に、確かならぬさまに聞こゆるをば、皆漏らして、さも有りぬべく覚ゆるかぎりを、それかれとえりいでて、記るせる程に、この巻は、すずろに紀の国の名所集のようにぞ成りぬる。なお式にのれる神社どもの御事をも、ことごとく記るしたるも有るを、そは又別にも記るしてむと思えば、ここにはみな漏らしつ。
-
『玉勝間』十の巻 出雲風土記意宇郡の名のゆゑをしるせる文但し出雲の国の大海の北の方には、隠岐の国の外には、国も島も在る事無ければ、上なる志羅紀の御崎に准うるに、もしくは上の佐伎之国も、この良波之国も、北の方なる異国の名にもや有らむ、なおよく考うべし。自宇波、(一本に、この下に縫の字あるは、衍なり。また上の自去豆と自多久との下には、乃の字あるを、ここにのみは、その字無し)この地の名は見えず。一本に、宇の字を、手と作るにつきて考うるに、手染なるべきか。島根の郡に手染の郷あり。すべてのさまをもて考うるに、ここは必ず上文の多久より東、下文の三穂之埼より西に有るべき所なれば、手染にて、地理もよくかなえり。打絶而は、打の字諸の本みな折と作れど、例によりて改めつ。闇見の国は、島根の郡に、久良弥の社また椋見の社見ゆ。ここはこれも、多久川より手染までの地を、広く云えるなり。高志は、越の国なり。都都乃三埼は、(一本には都乃三埼と有り、)さだかならず。和名抄に、能登の国羽咋の郡に、都知の郷、越後の国頸城の郡に、都宇の郷、神名帳に、越前の国敦賀の郡、また坂井の郡に、御前の神社などは有り、これらのうちにもや有らむ。なおよく尋ぬべし。三穂之埼は、島根の郡に見えて、東のはてなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る