玉勝間 / 八の巻 らくがき
云はまほしき事の、あらはに云ひ難きを、誰がしわざとも、知らるまじく書て、おとし置くを、落し書と今も云へり。古くより有し事にて、そを又門屏などやうの所に、おしもし、ただに書きもしけむ。斯くてその落しぶみを、文字ごゑに、らくしよとも云ひならひしを、後に其文字につきて、らくがきとも云ひて、又後には、唯だ何と無く、たはぶれに、さる所に物書くを、らくがきとは云ふなり。
書き下し
云わまほしき事の、あらわに云い難きを、誰がしわざとも、知らるまじく書きて、おとし置くを、落し書と今も云えり。古くより有りし事にて、そを又門屏などようの所に、おしもし、ただに書きもしけむ。斯くてその落しぶみを、文字ごえに、らくしょとも云いならいしを、後に其文字につきて、らくがきとも云いて、又後には、唯だ何と無く、たわぶれに、さる所に物書くを、らくがきとは云うなり。
現代語訳
言いたいことで、表立っては言いにくいことを、誰のしわざとも知られないように書いて落としておくのを、今も「落とし書き」と言っている。古くからあったことで、それをまた門や塀などのような所に貼りもし、じかに書きもしたのであろう。こうしてその落とし文を、字音で「らくしょ(落書)」とも言い慣わしていたのを、後にその文字に基づいて「らくがき」とも言い、また後には、ただなんとなく、戯れにそうした所に物を書くのを「らくがき」と言うのである。
解説
「らくがき」という言葉の成り立ちを、意味の移り変わりとともにたどった段である。もとは、表立って言えない批判や訴えを、書き手が分からないように紙に書いて道に落としておく「落とし文」があり、それを門や塀に貼ったり直接書いたりもした。これを字音で「らくしょ(落書)」と呼び、さらに文字を訓で読んで「らくがき」となり、やがて批判の意味が薄れて、ただ戯れに壁などに物を書くことを言うようになった。落書は、中世には二条河原落書のように政治を痛烈に風刺するものとして知られ、名を隠した声を権力者に届ける手段であった。それが戯れ書きの名になったという変化は、言葉が生まれた事情から遠く離れていく様子をよく表している。今の落書きにも、かつては世を批判する声であった歴史が眠っている。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 らくしゆ又たわぶれのさとび歌に、らくしゅと云う一くさ有り。これもかの落しぶみよりうつりて、もとは落書なりけんを、訛りてらくしゅとは云うなめり。愚問賢注に、童謡落書の歌と有る、これなり。
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『玉勝間』十四の巻 仮字皇国の言を、古書どもに、漢文ざまに書けるは、仮字と云うもの無くして、せむかたなく止む事を得ざる故なり。今はかなと云う物ありて、自由に書かるるに、それを捨てて、不自由なる漢文を以て、書かむとするはいかなるひが心得ぞや。
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『玉勝間』十四の巻 短籍書紀の斉明天皇の御巻に、或本に云う、有間皇子と云云短籍を取りて、謀反の事をトうとある。短籍と云う物、これに始めて見えたり。ヒネリブミと訓めり。続紀十の巻にも見え、その後の書どもにも、おりおり見えたり。続紀なるも、ひねりぶみと云いてよろし。されどこの物、ひねりぶみには限らず。何事にまれ、ただいささかの事を書く物なり。但し歌を書くは、遥かに後のことなり。
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『玉勝間』八の巻 咄今の世に、物語を、はなしと云いて、咄の字を書けり、説文に咄は相謂うなりとしるし、文選なる、張景陽の詠史の詩に、咄此の蝉冕の客、君が紳に宜しく書かるべし、と有れば、字はかなえるを、はなしと云う言は、いかなる意にか。もしは放しか。
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『玉勝間』八の巻 かんなまんな仮字をカンナとは云うべし、真字をマンナと云えるは、ひがことなり。仮字は、もとカリナなれば、そのリを音便にンと云いて、カンナとは云うなるを、真字は、マンナと云うべきことわり無し、そはカンナにならいて、ゆくりなく、同じさまにンを添えたる物なり。
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『玉勝間』六の巻 書うつし物書く事ふみを写すに、同じくだりのうち、或るはならべるくだりなどに、同じ詞の有る時は、見まがえて、そのあいだなる詞どもを、写し漏らす事、常によく有るわざなり。また一ひらと思いて、二ひら重ねてかえしては、その間の一ひらを、みながら落とすことも有り。これら常に心すべきわざなり。またよく似て、見まがえやすき文字などは、殊にまがうまじく、たしかに書くべきなり。これは写しがきのみにもあらず、おおかた物書くに、心得べき事ぞ。すべて物を書くは、事のこころをしめさむとてなれば、おうなおうな文字さだかにこそ書かまほしけれ。さるをひたすら、筆のいきおいを見せむとのみしたるは、いかなる事とも、読み解きがたきが、世に多かる、あじきなきわざなり。常に書きかわす、消息文なども、文字読みがたくては、云いやるすじ、ゆきとおらず、読む人はた苦しみて、かしらかたぶけつつ、かえさい読めども、ついに読み得ずなどしては、ここ読みがたしと、かえし問わんも、さすがに無体しきようなれば、ただおしはかりに心得ては、事たがいもするぞかし。
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