玉勝間 / 四の巻 金葉集の事
同書云、としよりの君、金葉集えらびて、奉りたりける。はじめに貫之春たつ事を春日野のと云ふ歌、次に覺雅法師とて入給ひけるを、貫之もめでたしと云ひながら、三代集にも漏れきて、あまり古りたり。覺雅法師も、げにもとも續きおぼえず、など仰せられければ、古き上手ども、入るまじかりけり。又いとしもなくおぼしめす人、のぞくべかりけりとて、覺えの人をのみとり入れて、次の度奉りければ、是れもげにともおぼえず、と仰せられければ、又つくりなほして、源重之はじめに入れたるをぞ、とどめさせ給ひけるは、かくれて世にもひろまらで、なか度のが世には散れるなるべし、と有り。又云はく、金葉集に、輔仁のみこと書たりければ、白川院は、いかにここに見むほど、斯くは書たるぞ、と仰せられければ、三ノ宮とぞ書奉れる。
新字:同書云、としよりの君、金葉集えらびて、奉りたりける。はじめに貫之春たつ事を春日野のと云ふ歌、次に覚雅法師とて入給ひけるを、貫之もめでたしと云ひながら、三代集にも漏れきて、あまり古りたり。覚雅法師も、げにもとも続きおぼえず、など仰せられければ、古き上手ども、入るまじかりけり。又いとしもなくおぼしめす人、のぞくべかりけりとて、覚えの人をのみとり入れて、次の度奉りければ、是れもげにともおぼえず、と仰せられければ、又つくりなほして、源重之はじめに入れたるをぞ、とどめさせ給ひけるは、かくれて世にもひろまらで、なか度のが世には散れるなるべし、と有り。又云はく、金葉集に、輔仁のみこと書たりければ、白川院は、いかにここに見むほど、斯くは書たるぞ、と仰せられければ、三ノ宮とぞ書奉れる。
書き下し
同書に云う、としよりの君、金葉集えらびて、奉りたりける。はじめに貫之、春たつ事を春日野のと云う歌、次に覚雅法師とて入れ給いけるを、貫之もめでたしと云いながら、三代集にも漏れきて、あまり古りたり。覚雅法師も、げにもとも続きおぼえず、など仰せられければ、古き上手ども、入るまじかりけり。またいとしもなくおぼしめす人、のぞくべかりけりとて、覚えの人をのみとり入れて、次の度奉りければ、これもげにともおぼえず、と仰せられければ、またつくりなおして、源重之はじめに入れたるをぞ、とどめさせ給いけるは、かくれて世にもひろまらで、なか度のが世には散れるなるべし、と有り。また云わく、金葉集に、輔仁のみこと書きたりければ、白川院は、いかにここに見むほど、かくは書きたるぞ、と仰せられければ、三の宮とぞ書き奉れる。
現代語訳
同じ書に言う。「俊頼の君(源俊頼)が金葉集を選んで奉った。初めに貫之の『春たつ事を春日野の』という歌、次に覚雅法師の歌を入れなさったところ、(白河院が)『貫之の歌も結構だとは言いながら、三代集にも漏れてきて、あまりに古びている。覚雅法師の歌も、なるほどと思える続き方でもない』などとおっしゃったので、古い名手たちは入れるべきではなかった、またそれほどでもないとお思いになる人は除くべきであったといって、当世に評判の人ばかりを取り入れて、二度目に奉ったところ、これもなるほどとは思えないとおっしゃったので、また作り直して、源重之を初めに入れたものをお留め置きになった。(初めの本は)隠れて世にも広まらず、中の度の本が世に散らばっているのであろう」とある。また言う。「金葉集に『輔仁の親王』と書いたところ、白河院が『どうして私がここで見るというのに、このように書いたのか』とおっしゃったので、『三の宮』とお書き申し上げた」。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 金葉集に輔仁親王を三ノ宮としるせる事同書に、金葉集に、輔仁のみこと書きたりければ、白河の院は、いかにここに見むほど、かくは書きたるぞと仰せられければ、三の宮とぞかき奉れると有り。かの親王は、白河の帝の御子にましますが故に、御名を書き奉ることは、憚るべき事ぞと思しめして、かくはのたまえるなり。
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『玉勝間』九の巻 新勅撰集の事同書に、文暦元年十一月九日、中納言入道(定家卿)前関白家に於て、新勅撰(先院の御時奏覧せらる)を捜覧す、両殿下監せらる、頗る用捨の事有り、百首を切り棄てらると云云、又入れらるるの人有りと云云。
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『玉勝間』十の巻 李花集の詞歌李花集にいわく。続後拾遺撰び侍りしころ、立親王以前、名字などなんぎに侍りて、思いの外に、作者にもくわわり侍らざりしに、今度風雅集とかや、撰せらるるよし聞えしかども、今はまた身のよそにおぼえ侍りしに、あらぬさまなる撰者どもにて、為定卿は、もれ侍るなど聞くさえ、この道も無く成りぬる心地して、歎かしく覚えしかば、歌つかわし侍りしついでに「いかなれば身はしもならぬ言の葉のうずもれてのみ聞えざるらむ、「このたびはかきながすとももしお草なかなかわかのうらみとはせじ。
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