玉勝間 / 一の巻 同卿の旗
同書云、文治五年六月廿四日、奧州泰衡日來隱容與州科、已軼叛逆也、仍爲征之、可令發向給之間、御旗一流、可調進之由、被仰常胤、絹者、朝政依召獻之、同七月八日、千葉介常胤獻新調御旗、其長御旗寸法、一丈二尺二幅也、又有白糸縫物、上方伊勢大神宮、八幡大菩薩云云、下縫任入道將軍家(賴義)鳩二羽(相對)云云。
新字:同書云、文治五年六月廿四日、奥州泰衡日来隠容与州科、已軼叛逆也、仍為征之、可令発向給之間、御旗一流、可調進之由、被仰常胤、絹者、朝政依召献之、同七月八日、千葉介常胤献新調御旗、其長御旗寸法、一丈二尺二幅也、又有白糸縫物、上方伊勢大神宮、八幡大菩薩云云、下縫任入道将軍家(頼義)鳩二羽(相対)云云。
書き下し
同書に云う、文治五年六月廿四日、奥州の泰衡、日来与州を隠容するの科、已に叛逆に軼ぐるなり、仍て之を征せんが為、発向せしめ給うべきの間、御旗一流、調進すべきの由、常胤に仰せらる、絹は、朝政召しに依りて之を献ず、同七月八日、千葉介常胤新調の御旗を献ず、其の長さ御旗の寸法、一丈二尺二幅なり、また白糸の縫物有り、上方に伊勢大神宮・八幡大菩薩云々、下は入道将軍家(頼義)に任せて鳩二羽(相対す)を縫うと云々。
現代語訳
同じ書(吾妻鏡)にこうある。「文治五年六月二十四日。奥州の藤原泰衡が日ごろ与州(源義経)をかくまってきた罪は、すでに反逆を超えるものである。そこでこれを征伐するため出陣なさるので、御旗一流を調えて献上するようにと千葉常胤に仰せられた。絹は小山朝政が召しによって献上した。同七月八日。千葉介常胤が新しく調えた御旗を献上した。その長さ、御旗の寸法は一丈二尺、二幅である。また白糸の縫い物があり、上の方に伊勢大神宮・八幡大菩薩(の文字)などとあり、下には入道将軍家(源頼義)の例にならって、鳩二羽(向かい合わせ)を縫ったという。」
解説
関連する章句
-
『玉勝間』一の巻 頼朝ノ卿静を召して舞はせられし事文治二年四月八日、二品并びに御台所、鶴岡の宮に参り給うついでに、静女を廻廊にめし出して舞曲を施さしめ給う、去ぬる頃より度々仰せらると云えども、かたくいなみ申せり、今日座に臨みても、なおいなみ申しけるを、貴命再三に及びければ、仰せに従いて、舞曲せり。左衛門の尉祐経つづみを打ち、畠山の次郎重忠銅拍子たり。静まづ歌を吟じ出して云わく、「よし野山峰の白雪ふみ分けて入りにし人の跡ぞ恋しき。次に別物の曲をうたいて後、また和歌を吟じて云わく、「しづやしづしづのおだまき繰りかえし昔を今になすよしもがな。二品仰せに云わく、尤も関東の万歳を祝すべきところに、聞こしめすところを憚らず、反逆の義経をしたい、別れの曲をうたう事奇怪なりとて、御気しきあしかりしに、御台所は、貞烈の心ばせを感じ給うによりて、二品も御気しき直りにけり。しばしありて、簾中より卯花重の御衣をおし出して、纏頭せられけり。上の件は東鑑に見えたり。
-
『玉勝間』八の巻 伊勢勅使のとも人の数同じ書に、仁安三年十二月二十一日、伊勢大神宮炎上によりて、同じ月勅使、左大弁雅頼卿発遣、その人数は、勅使大弁子息一人、従十一人、前駈六人(従各五人)、侍五人(従各十人)、雑色六人(従各二人)、舎人四人、人夫三十人、右大史三善章貞、従二十人、史生盛久、同兼康、従各二十人、馬各五疋、官掌頼兼(同前)、弁侍二人、従各五人、馬各二疋、使部十人、従各一人と見えたり。
-
『玉勝間』十三の巻 文治元年四月神鏡神璽京にかへり入らせ給ふ事文治元年四月廿五日、神鏡神璽入御あり。上卿は権中納言経房、参議は宰相の中将泰通、弁左少弁兼忠、近衛には左中将公時の朝臣、右中将範能の朝臣なり、両将ともに、壺胡籙を帯せり。職事蔵人左衛門権佐親雅ぞ、供奉しける。四塚より下馬して、各歩行す。先ず頭の中将通資朝臣参向して、行事す。内侍所、内蔵寮新造の唐櫃に納め奉る。大夫尉義経、郎等三百騎を相具して、前行す。御後、又百騎候う。朱雀を北へ行き、六条を東へ行き、大宮を北へ行き、待賢門に入り、朝所に着御ありけり。蔵人左衛門尉橘〓季、かねてこの所に候いけり。神璽は、海上に浮かみけるを、常陸国の住人片岡の太郎経春が、取り上げ奉りけるとぞ聞こえし。同廿七日、内侍所神聖、官の庁より温明殿へ渡し奉らる。上卿参議弁次将、みなもとの供奉の人なりけり。三箇日臨時の御神楽おこなわれけりと、この事源平盛衰記に見えたり。
-
『玉勝間』一の巻 同卿二所荘を建礼門院に奉らるる事同書に云う、文治三年二月一日、二品、没官領の内二箇所を以て、建礼門院に避らるべきの由、其の沙汰有り、是れ摂津国真井・島屋両庄なり、元は八条前内府の知行と云々、彼の御幽栖を訪い申さるるに依るなり。
-
『玉勝間』七の巻 伊勢ノ大御神の仏をきらひ給ふ事台記に、天養二年三月七日、左馬権頭顕定来たりて云う、左大将(雅定)伊勢勅使の精進の間、他所に渡ると雖も、衣裳雑具等、なお中院の第に在り、仍りて仏経等、家中に置かず、而る間中院の寝殿に、煙有り、(件の煙屋上に見ゆ、)隣里驚きて、放火の由を存じ、驚きて天井を放ちて之を見るに、絵像の仏五躰、色旗等有り、件の物を門外に出だすの後、煙散じ尽く。
-
『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇平治より後、平氏世をみだりて二十六年、文治の初、頼朝権をもはらにせしより父子あひつぎて三十七年、承久に義時世をとりおこなひしより百十三年、すべて百七十余年のあひだおほやけの世を一にしらせ給ことたえにしに、此天皇の御代に掌をかへすよりもやすく一統し給ぬること、宗廟の御はからひも時節ありけりと、天下こぞりてぞ仰奉りける。同年冬十月に、先あづまのおくをしづめらるべしとて、参議右近中将源顕家卿を陸奥守になしてつかはさる。代々和漢の稽古をわざとして、朝端につかへ政務にまじはる道をのみこそまなびはべれ。吏途の方にもならはず、武勇の芸にもたづさはらぬことなれば、たびたびいなみ申しかど、「公家すでに一統しぬ。文武の道二あるべからず。昔は皇子皇孫もしは執政の大臣の子孫のみこそおほくは軍の大将にもさゝれしか。今より武をかねて蕃屏たるべし。」とおほせ給て、御みづから旗の銘をかゝしめ給、さまざまの兵器をさへくだしたまはる。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る