玉勝間 / 一の巻 中臣寿詞
麻知波弱韮には、何事にか聞えがたし。但し麻知は、神名帳に、左京二條坐神二座、太詔戶命神、久慈眞智命神と有る、眞智よし有りげなり。太詔戶命と並び坐し、又此二神相嘗に預り給ふ事、下に云ふを合せ考ふべし。韮は、もしくは蒜を誤れるにて、畫の借字ならむか。弱晝とは、正午時より前を云ふべければ、上に至朝日照万弖と有る續きの時刻なるべし。由都五百とは、同言重なりていかが。由都はすなはち五百箇と云ふ事なればなり。八井は、神武天皇の御子の御名に、日子八井命又神八井耳命と申すおはせり。八井の意同じことにや。如此奉志は、奉の上に依字脫たるなるべし。四國ト部は、大祓ノ詞の終リに、四毛國ト部等と有れども、ト部は、伊豆壹伎對馬の三國に限りて出る事にて四方の國より出る物にあらざれば、毛ノ字は、後の人のさかしらに加へたるにて、かれもここも四箇國を云ふなり。それにとりて、四國は、右の三國と、いま一國はいづれの國ならむ、いぶかし。太兆との仁ノ字は、乃を誤れるなるべし。奉仕留の留ノ字は、弖なるべし。氷上の下に、一本には郡ノ字あり、もし其れによらば、上なる野洲の下にもその字あるべきなり。
新字:麻知波弱韮には、何事にか聞えがたし。但し麻知は、神名帳に、左京二条坐神二座、太詔戸命神、久慈真智命神と有る、真智よし有りげなり。太詔戸命と並び坐し、又此二神相嘗に預り給ふ事、下に云ふを合せ考ふべし。韮は、もしくは蒜を誤れるにて、画の借字ならむか。弱昼とは、正午時より前を云ふべければ、上に至朝日照万弖と有る続きの時刻なるべし。由都五百とは、同言重なりていかが。由都はすなはち五百箇と云ふ事なればなり。八井は、神武天皇の御子の御名に、日子八井命又神八井耳命と申すおはせり。八井の意同じことにや。如此奉志は、奉の上に依字脱たるなるべし。四国ト部は、大祓ノ詞の終リに、四毛国ト部等と有れども、ト部は、伊豆壱伎対馬の三国に限りて出る事にて四方の国より出る物にあらざれば、毛ノ字は、後の人のさかしらに加へたるにて、かれもここも四箇国を云ふなり。それにとりて、四国は、右の三国と、いま一国はいづれの国ならむ、いぶかし。太兆との仁ノ字は、乃を誤れるなるべし。奉仕留の留ノ字は、弖なるべし。氷上の下に、一本には郡ノ字あり、もし其れによらば、上なる野洲の下にもその字あるべきなり。
書き下し
麻知波弱韮には、何事にか聞こえがたし。ただし麻知は、神名帳に、左京二条に坐す神二座、太詔戸命神、久慈真智命神と有る、真智よし有りげなり。太詔戸命と並び坐し、またこの二神相嘗に預かり給う事、下に云うを合わせ考うべし。韮は、もしくは蒜を誤れるにて、昼の借字ならむか。弱昼とは、正午時より前を云うべければ、上に至朝日照万弖と有る続きの時刻なるべし。由都五百とは、同言重なりていかが。由都はすなわち五百箇と云う事なればなり。八井は、神武天皇の御子の御名に、日子八井命また神八井耳命と申すおわせり。八井の意同じことにや。如此奉志は、奉の上に依の字脱けたるなるべし。四国卜部は、大祓の詞の終わりに、四毛国卜部等と有れども、卜部は、伊豆・壱岐・対馬の三国に限りて出ずる事にて四方の国より出ずる物にあらざれば、毛の字は、後の人のさかしらに加えたるにて、かれもここも四箇国を云うなり。それにとりて、四国は、右の三国と、いま一国はいづれの国ならむ、いぶかし。太兆との仁の字は、乃を誤れるなるべし。奉仕留の留の字は、弖なるべし。氷上の下に、一本には郡の字あり、もしそれによらば、上なる野洲の下にもその字あるべきなり。
現代語訳
「麻知波弱韮」は何のことか意味が取りにくい。ただし麻知については、神名帳(延喜式の神名帳)に「左京二条に鎮座する神二座、太詔戸命神、久慈真智命神」とある、その真智がゆかりがありそうだ。太詔戸命と並んでおられ、またこの二神が相嘗の祭にあずかられることは、下に述べることと合わせて考えるべきである。韮は、あるいは蒜を誤ったもので、昼の借字であろうか。弱昼とは正午より前をいうはずなので、上に「至朝日照万弖(朝日の照るに至るまで)」とある続きの時刻であろう。「由都五百」は同じ言葉が重なっていて、いかがなものか。由都(ゆつ)とはつまり五百箇(いおつ)ということだからである。八井については、神武天皇の御子の御名に日子八井命、また神八井耳命と申す方がおられる。八井の意味は同じことであろうか。「如此奉志」は、奉の字の上に依の字が抜け落ちたのであろう。「四国卜部」は、大祓の詞の終わりに「四毛国卜部等」とあるが、卜部は伊豆・壱岐・対馬の三国に限って出るものであって、四方の国から出るものではないので、毛の字は後の人が小賢しく加えたもので、あちらもここも四箇国をいうのである。そうすると四国とは、右の三国と、もう一国はどの国であろうか、不審である。「太兆仁」の仁の字は乃を誤ったものであろう。「奉仕留」の留の字は弖であろう。氷上の下に、ある本には郡の字がある。もしそれに従うなら、上の野洲の下にもその字があるはずである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞また申さく、天皇が朝廷に仕え奉る親王等・王等・諸臣・百官人等、天の下四方の国の百姓諸々集い侍りて、見たべ尊みたべ歓びたべ聞きたべ、天皇が明庭に茂し世に、八桑枝の立ち栄え仕え奉るべき禱りを聞こしめせと、恐み恐みも申し給わくと申す、これなり。この文、ふるくめでたき事多きを、世に知れる人稀なる故に、今写し出せり。ところどころ文字の誤りおおかるを、今は三四本を合わせ見て互いに善き悪しき中に、善しとおぼしきを撰びてしるしつ。されどなお誤りと見ゆる所々無きにあらず、なお善本を得て正すべきなり。さて今古言を考えて、訓をも加えたるついでに、いささかことの意をも解くべし。第六行なる天都御膳の遠の字は、必ず乃なるべし。遠にても聞ゆるが如くなれども、さては次に瑞穂遠と有る遠と重なれり。由庭仁所知食の知の字は、聞なるべし。第十行の天忍雲根神遠天乃云々、受給波里申仁、これは天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖と、語を次第て見れば、よく聞ゆるなり。宇都志国乃水了の了の字は、尸とも加とも有り、皆誤りなり、かならず仁なるべし。天都水加加の立の字は、弖を誤れるなり。申遠里は心得ず、必ず申世止と有るべき処なり。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞その中に、上に引きたる左京二条座二座神は、大社の列にだに入り給わざるに、この祭に預かり給うことは、新嘗に殊なる故ある神なるべし。明良志は、理を延べて良志と云えるにて、阿加理なり。事仁は、下の奉仕と云うへ続く辞なり。食倍はみな多倍と訓むべし、給えと云う事なり。さて聞食倍の下に、弖と云う辞を添えて心得べし。天皇明庭の明の字は、朝の誤りなり。禱乎所聞食止は、一本には称辞竟奉良久止と有り、これも悪しからず。さて天忍雲根神云々の事、伊勢の外宮の書どもに、天村雲命の事として記せり。同じ神にやあらむ。さてこの寿詞を申す事は、辰の日豊楽院に幸し、悠紀の帳に御す、神祇官の中臣、賢木を笏に執りそえて、南門より入る。版位につき跪きて、天つ神の寿詞を奏すと、大嘗祭式に見えたり。わすれたり、大嘗会乃斎場とある会の字は、宮を誤れるなるべし
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞相候は、儀式には相仕、大嘗祭式には共作と有り。これらを合わせて思うに、仕も候も誤りにて、相作なるべし。由志理伊都志理は、由は斎、伊都は厳にて、共に斎い清めたること、志理は、斎まわり清まわりの、まわりの如き、辞と聞こえたり。日時撰撰定、こはいつも定まれる事なるを、かく申すは、上代には、その度々撰びて定めしにや。さてその代の詞のままに、後までも申せるか。赤丹乃穂仁毛の毛の字は、衍なり。後の人、この言の意を知らず、ただ上に二つ仁毛と有るにならいて、みだりにここにも加えたる物なるべし。明御座弖の弖は、かならず止と有るべき所なり。相嘗は、阿比爾閉と唱うべし。爾閉を牟倍と唱うるは、後の世の音便にくづれたる唱えなり。大嘗も、大爾閉なるを、大牟倍と云うと同じ。さてこの相嘗は、天皇と相伴に、新饗し奉る意の名にて、俗に云わゆる相伴の心ばえなり。さる故にこの祭は、必ずしもその神社の尊き卑きにもよらず、必ず預かり給うべく思わるる神にも、預かり給わぬ多し。これ殊に故有りて、預かり給うは預かり給うなるべし。その神七十一座おわしまして、四時祭式に見えたり。
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『玉勝間』四の巻 崇神紀なる小児の神託の詞ある人の、崇神紀六十年云々のところに見えたる、丹波の氷上の人氷香戸辺が小児の、神託の辞の意はいかにと問えるに答えたる。玉萎鎮石、出雲人の祭る、真種の甘美鏡、押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主、山河の水泳る御魂、静め挂けよ甘美御神、底宝御宝主、斯く訓むべし。今の本のごとく訓みては、むげに聞こえぬ事なり。しづかしは、行くをゆかし、佩くをはかしなど云う格にて、しづきを延べたる詞にて、玉藻しづき厳藻、と云う意につづきたる、出雲の序なり。厳は清らかなる意にて、水底にしづく玉藻の、清らかなるよしなり。真種の意は、いまだ考え得ず。おしはぶれとは、鏡をおしふり挙げて祭れと云うことなり。底実は、宝の至極と云うなり、すべて物の至り極まるところを、底と云う。甘美は底宝へ係れり、御神には係らず。御宝主は宝の主人にて、司長のよしなり。これみな鏡を褒めたたえたる詞なり。御魂は御玉にて、山川の底なる玉を云う。しづめかけよは、鎮め掛けて祭れとなり。甘美御神云々は、鏡と同じく、玉をほめたたえたるなり。すべての意は、神宝の至極長なる鏡と玉とを以て、出雲の臣これを祭るべしとなり。
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『玉勝間』十の巻 出雲風土記意宇郡の名のゆゑをしるせる文かくいまだ成りととのわざるをもて、稚国とはのたまえるなるべし。将作縫とは、足らざるところを足して、縫い合わせて、広く作り成さむとなり。志羅紀乃三埼は、(埼の字一本に椅と有るは誤なり)新羅の国の地の東南の方の、海へつき出でたる御崎なり。国之余有耶云々は、かの御崎を、国の余りて広き地ありや如何がと、尋ね見れば、余れるところ有りとなり。童女胸鉏とは、鉏の形の、美女の胸の如く広く直く平らかなるを云うなるべし。万葉九の巻に、女のかたちのよきをほめて、胸別之広吾妹と有るも、胸の直く平らかなるを云えりと聞ゆればなり。大魚は鮪の類を云う。支太は、鰓なるべし、阿を略き、登を通わして支太とも云いけむ。さて鰓はつねには、支を濁り、登を清みて云えども、もとは支を清み登を濁りてぞ云いけむ。太は、古書に濁音の仮字に用いたる字なり。衝別は、漁人に聞けば、大魚を捕るには、その喉をねらいて、衝きてとると云えり。古歌に鮪つくと有る、これなり。されば衝を云わむ序に、大魚の鰓とは云えるなるべし。鰓は口のわきなれば、いささか違えるが如くなれど、喉は口の奥なれば、外より衝くところをば、さも云うべきなり。
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『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞小右記の、長和五年のところに云わく、御即位の後、天下の諸神に奉幣する祝詞。天皇が詔旨と、皇神等の広前に、称辞言え奉り申し給わく、高天原に神留まり坐す、皇親神漏伎神漏美の命以ちて、事寄さし給える、豊葦原の瑞穂の国の、天つ日嗣の高御座の次次、去る四月廿八日より食国天下の政を聞こし食すに依りて、その状を申し給うと、散位正六位上大中臣朝臣高邦を、差し使わして、礼代の幣帛を捧げ持たしめ奉り給う、天皇が御命を、申し給わくと申す。今案ずるに、件の文は祝詞なり、宣命に非ず、とあり。称辞言奉申給は、言の字は竟の誤りなるべし。言の字あまりて、竟と云うことたらざればなり。また申と云う言もあまれり、奉申かとも思えど、それも古には例なき事なり。さてまた次次も聞こえず、次隨隨など有りけむが、字の落ちたるなるべし。四月廿八日は、正月廿九日の誤りなり。これらは、善本には然ぞあるべき。そもそも祝詞宣命などの文、中むかしよりこなた、つぎつぎにつたなく成りて、大かた語のととのわで、ことわり聞こえがたき事もおおかるを、こまかにさだする人も無きは、古意にうとく、古言を知らざるが故なり。これらは詞にあやをなせる物にて、古のは皆いとめでたかりしものを、かくのみなおざりに成り行くがうれたさに、今ことのついでに、いささかおどろかし置くなり。
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