退食閑話 / 吉田神社と実事の志
然れば、日本武尊の功烈あるが如く、永世まで 天朝の藩屏として、夷狄を鎭撫し給んとの雄志を奮ひ給ひしより、發せられしやと、察し奉るなり、況や吉田神祉は、日本武尊を神と祭り、名神の大祉にして、大城に密邇す、遠く日本武尊の德を慕ひ給ひて、遺志を奉承し給んと追ひ思ひ給ひて、宗祉の鎭護とす、生民の大幸なるべし、されば、公の欽慕し給ふは實事において感じ給ふ所あらんか、是によりて神道を尊み、蠻夷の左道を排し、武威の衰へざるやうにし、兵備を繕めて戎狄を攘斥すべきの手當ともなれり、何れも實事に施し給ふの御志より發せらるゝ事どもなれば、學生書生の徒の、其氣象言語等のみを稱するが如きに非ざらんかと存じ奉るなり、
新字:然れば、日本武尊の功烈あるが如く、永世まで 天朝の藩屏として、夷狄を鎮撫し給んとの雄志を奮ひ給ひしより、発せられしやと、察し奉るなり、況や吉田神祉は、日本武尊を神と祭り、名神の大祉にして、大城に密邇す、遠く日本武尊の徳を慕ひ給ひて、遺志を奉承し給んと追ひ思ひ給ひて、宗祉の鎮護とす、生民の大幸なるべし、されば、公の欽慕し給ふは実事において感じ給ふ所あらんか、是によりて神道を尊み、蠻夷の左道を排し、武威の衰へざるやうにし、兵備を繕めて戎狄を攘斥すべきの手当ともなれり、何れも実事に施し給ふの御志より発せらるゝ事どもなれば、学生書生の徒の、其気象言語等のみを称するが如きに非ざらんかと存じ奉るなり、
書き下し
然れば、日本武尊の功烈あるが如く、永世まで 天朝の藩屏として、夷狄を鎭撫し給んとの雄志を奮ひ給ひしより、發せられしやと、察し奉るなり、況や吉田神祉は、日本武尊を神と祭り、名神の大祉にして、大城に密邇す、遠く日本武尊の德を慕ひ給ひて、遺志を奉承し給んと追ひ思ひ給ひて、宗祉の鎭護とす、生民の大幸なるべし、されば、公の欽慕し給ふは實事において感じ給ふ所あらんか、是によりて神道を尊み、蠻夷の左道を排し、武威の衰へざるやうにし、兵備を繕めて戎狄を攘斥すべきの手當ともなれり、何れも實事に施し給ふの御志より發せらるゝ事どもなれば、學生書生の徒の、其氣象言語等のみを稱するが如きに非ざらんかと存じ奉るなり、
現代語訳
そうであれば、日本武尊の功烈のように、永世まで天朝の藩屏として夷狄を鎮撫しようという雄志を奮われたことから発せられたのかと拝察いたします。まして吉田神社は日本武尊を神として祭る名神の大社で、水戸城に近接しています。遠く日本武尊の徳を慕われ、遺志を受け継ごうと追い思われて、宗社の鎮護とされたのは、生民の大幸でしょう。ですから公の欽慕は、実際の事柄において感じられるところがあったのでしょう。これによって神道を尊び、蛮夷の左道を排し、武威が衰えぬようにし、兵備を整えて戎狄を攘斥する手当ともなりました。いずれも実際の事柄に施そうという志から発せられたことですので、学生・書生の徒が気象や言語などだけを称揚するようなものではないかと存じ上げます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『退食閑話』・実事に施す儒学と修史依て聖人の敎を尊崇し給へるも、修己治人の道を事業に施し、士民を敎導し給ふ條目に載られしに、五倫を以て本となし、史を脩給ひしには、神功皇后を妃に列し、天皇大友を本紀にたて、壽永建元の 天子を正統とし給へるの類は、天下後世の人臣をして、大義を誤らざらしむるには、人倫を明らかにするの實にして、筆端の空論にあらず、如此にして、國家の藩屏とならせられ、天下に大益あるは、是皆其實事にして、威公の御志を繼給ふ所なりしかば、神道をも學び、神宮寺本地佛などいへる陋習を除し、唯一の神道とし給ひ、吉田神祉をも再典ありて、日本武尊を慕せられし遺志を成就し、武備をば繕めらるゝにも、大義を明らかにし、名節を磨勵して、心膽を練り給ふ、一つとして威公の志を繼ぎ述給ふにあらざるはなし、かくのごとく卓見ましませしゆへ、國中を風化し給はんとて、其頃までもいまだ學校といふ事も世に希なりしに、學校を立て敎を施んと志し、舜水先生に就て闕里の聖廟の制度を問ひ、小形をも製し給ひ、
-
『退食閑話』・威公が日本武尊を慕う訳問、古來賢哲多き中に、威公は獨り日本武尊を欽慕し給ふ事は、いかなる故にて候へるや、曰、威公の欽慕し給ひし御主意書傳へしものなければ、何の故なる事を存し奉らず、然れども、愚意を以て窃に推考するに、蠻夷、夏を滑すと云は虞帝の患る所なり、古海內の戎狄民の害をなせし熊襲隼人の類もあれども、其勢の强大なること蝦夷にしくものはなし、常奧二野越羽の地に充滿して、良民一日も生を安むぜず、日本武尊は 景行天皇の皇子にして、英武絕倫なり、草薙の寶劍の神威に仗て、常奧の蝦夷を征討ありて 皇威を奮はれしよりして、世々夷狄を攘斥せられて、つゐに蝦夷の禍永く息しなり、威公も 東照宮の御子にして、英武超絕して、常陸の地を領して東地を鎭撫し給ふ、
-
『弘道館記述義』・日本武尊・威公の勇武と、士を養う恩威並び施す姿夙に日本武尊の人と為りを慕ひ、神道を尊び武備を繕ふ。臣彪謹んで案ずるに、景行帝の時、熊襲屢々叛く。帝皇子小碓尊に命じて之を討たしむ。皇子年僅かに十六、其の智勇に憑りて直ちに渠魁を殲す。厥の後又詔を奉じて蝦夷を征す。其の発するや、伊勢神宮を拝し、其の神剣を奉じて出づ。遂に能く妖氛を駆除し辺陲を平定す。蓋し当時蝦夷の種類内地に雑処し、叛服常ならず大いに民害を為す。是に至りて遠近懾服し、東北の地始めて皇化に霑ふ。帝嘗て皇子を目して神人と為す。而して強暴冥頑なること川上梟帥の若き、恐怖畏縮して戮に臨み、日本武尊の号を献ず。千載の下、凜凜として猶ほ生気有り。我が威公夙に東陲の重寄を受く。其の地は皆皇子の餘烈の存する所にして、皇子の祠、適々水戸の南郊に在り。(吉田神社と称す。延喜式の所謂名神大なり。)古木蓊鬱として屹として府城と相峙す。則ち感懐の餘り、慨然として欽慕の情を興すは、信に以有るなり。公嘗て神道を萩原兼従に受け、尤も神祇を重んず。寛永中大猷公疾に罹る。公之を憂へ、健御雷神に祷る。既にして大猷公癒ゆ。公乃ち鹿島の祠を脩めて以て賽す。又嘗て親しく其の祠を拝し、威儀甚だ謹めり。公は勇武天性に根ざし、傍ら伎芸に長ず。嘗て大猷公に従ひて板橋に猟し、野猪数頭を射殪す。大猷公恒に称して曰く、水戸殿は今の能州なりと。能州は蓋し平教経を謂ふなり。其の士を養ふや恩威並び施す。嘗て国に就くに、岩本越中なる者有り、銃を放ちて鷺を城上の樹に獲たり。公召して之を詰る。対へて曰く、臣は善く病む。聞く、鷺を食へば癒ゆべしと。当時唯だ鷺を是れ視る。然れども臣の鷺と孰れか重きと。公笑ひて曰く、汝と法と孰れか重きと。越中屈服す。公竟に舎きて問はず。明暦中江戸に大火あり、延びて我が邸に及ぶ。近臣向坂弥九郎、焰を侵して公の愛する所の書を持して出づ。有司賞せんことを請ふ。公曰く、寡人も亦深く之を嘉す。然れども之を賞すれば則ち他日士を水火に傷つけんことを恐ると。果して賞せず。島原の賊の伏誅するや、鍋島氏律を犯して先登す。法は国除に当たる。幕府其の罪を議す。公曰く、厳法もて後を懲らすは戦国の事なり。今天下の人安んじて復た反乱有るを容れず。而して重罰軽賞せば、諸侯何をか頼まん。偉勲彼の若くして国除かるるは、某命を奉ずるを肯んぜずと。大猷公深く之を納る。議遂に寝む。戦国以来殉死盛んに行はれ、諸侯或いは其の多きを以て誇る。公遺命して之を禁ず。亡幾くもなく幕府大いに其の禁を天下に布く。公実に之が倡を為せり。公嘗て辺寇を慮り、堠を沿海各処に設けて以て緩急を報ず。当時東海の針路未だ通ぜず、外夷の患は常に西陲に在り。後百数十年、北虜蝦夷を擾し、文政年間に至りて、夷船の東海に出没する者、歳として無きはなし。各処の堠台始めて其の用を為す。嗚呼公の慮る所遠きかな。東照宮、台徳公に遺命するに、公を以て腰刀に比す。蓋し其の愛護して身を防ぐべきに取るなり。是に於て台徳公特に親信を加へ、大猷公の時に及びて亦屢々公を延きて謀議に与らしむ。人其の故を知る莫きなり。義公恒に諸侍臣に語りて云ふ。
-
『退食閑話』・天功を亮ける道此神の功烈は東國に及びしのみにあらず、天孫降臨し給ひしも、 太祖の中土を平定せられしも、この神の功烈甚大なりしは、是其功天下に及びしなり、されば、今此神を祭り給ふは、即ち東土を鎭撫して、 天朝の藩屏となる、天祖 太祖の德澤に報ひ給ふの義なれば、士民に至るまでその始に反り、其本に報ひて、此神を尊奉し天功を亮にし、古を念ひて同心同德にして、 天朝を奉戴せば、其誠敬の處は、皇祖太神にも通ずべき道理なり、またこれに因て、斯道は上古より神の極を立給へる、天地自然の大道なる事をも知り、天祖 太祖の忠孝の敎四表に被給ひしも、また此神の功居多なることを知りて、其神意に隨ひ、大道を天下に明にして、天祖の象敎を示し給ひし深意に叶はんことは、即ちこの神を尊奉するの本意なるべし、然ば其祭る所は一國の神なれども、是よりして 皇室を尊び、且大道を天下に明にせば、其功大なること、此神の天功を草昧に亮け給ひし功烈の末光を瞻仰するの道にかなひ申べし、是により天地の神を祀らずして、此神を祀りたまふこと、我公の深意ましますの處かと存じ奉るなり、
-
『退食閑話』・伯夷伝に感じた義公問、義公十八歲にして伯夷傳を讀給ひ感發せられ、是より學を好み脩史の御志も立て、讓國の義をも成し給ひし事は人々の知る所にして、是に依りて更に儒敎を學び、人倫を明にして名分を正し、國家の藩屏とならせられしは、 さもあるべき事にて候へども、威公は日本武尊を慕ひ給はせられ、義公は伯夷傳に感發せられ、孝は志を繼と申候へども、日本武尊と伯夷と氣類も同じからず存候へば、威公の御志とは異なる所あるにて候や、曰、日本武尊と伯夷とは同じからざるやうに候へども、其時にあたりて、其實事につれて感じ給ふは一徹なり、義公は御兄にこえて世子に立給へば、夷齊讓國の義に感ぜられしも、其實事によりて感發し給ひしなり、是によりて學を好み給ひしも、聖賢の道を學び得て實事に施し給はんがためなれば、此道を深く尊信し、明の義士舜水先生に師とし事へて弟子の禮を執り給ふ、脩史の事も、其本は大義を天下に明らかにして、天下後世まで人倫を明らかにせむとの大志より發し給ふ、いづれも儒生などの紙上に空論せる如きの類にはあらず、
-
『退食閑話』・結び・公の深意其人の好む所に任すべきなり、但其本とする所は神を敬し聖を崇び、神道は即ち聖道なり、聖道は即ち神道なりと心得て、大道の本意を失はず、文武の道を學びて熟練し、衆思を集め群力を宣べ、忠孝を盡して國恩に報ひ、神聖の靈も降臨ましますに至らん事を片時も忘るべからず、されども、人材を實事に用ゆべきよふに養ひ成さんは容易の事にあらず、我濟淺陋の學にして其任に堪ゆべきにあらず、且又、敎と治と並び行れて輕重なく、二つのものゝ本を執り、天下を卒ひ申さんは臣下の專にすべきにあらず、其治敎は御名を記させられしなり、是即ち義公の士臣を喩し給ひしにも、聖賢の道をば學びし者は、我も亦儒者なりとのたまひし遺意ならんかとおしはかり奉る、されば、記文の深意は、國君の自からさとし給ふ所なれば、結語にも斯の舘を設け其の治敎を統ぶる者は誰ぞとありて、我輩の口舌を以て論說せんは憚かるべき事なれども、默して答へざらむも職分を疏畧するに近ければ、聊か吾子が問に答ゆるなり、無稽の臆說も多からん、恐懼の念少からず、吾子また更に明識の人に就て正されんことを希がふなり、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る