退食閑話 / 序・解説を命じられる
天保戊戌。我 納言公創弘道之館。勒記於石。言所以敎養臣民之大綱。臣安以謭劣。辱蒙 恩命。與青山延于同統敎職。日登館而從公事焉。淺陋之學毁瓦畫墁。雖無涓埃裨補。而其志則欲少有所維持名敎。退職之暇與客應接。童蒙或求於我。新舊諸友。亦或時來閑語。移暑秉燭。語歷及於我 公所以設學之意也。一日安侍讀。公從容謂曰。曩作弘道館記。然意義多端。記文之體不可以詳悉焉。今汝與延于等議。解以俚俗之語。使初學及不識字者。亦得覺其梗概。安唯々而退。退而自省。固蔽偏僻。何足以稱道 盛意之萬一也。然君命之重不可以辭。乃與延于等議。各述所見。以供【採択/採擇】矣。因取曩日與諸友及童蒙言者。錄爲小冊。以塞其責。迂腐之論雖無足取。而瓦礫之物。亦未必無所用焉。夫道若大路然。出於天經。存於民彝。有五品則有五敎。百姓日用而不識。雖無筆之。而人自求之。必將有餘師也。然而大路不用。則榛荊生焉。五敎不敷。則人或不能自求焉。故道不弘人。弘之在於人。若夫一其治與敎。以弘斯道。則明君賢相之所爲。安也不才。謹守其職。以竢聲敎之決於斯人矣。壬寅季冬。會澤安識
新字:天保戊戌。我 納言公創弘道之館。勒記於石。言所以教養臣民之大綱。臣安以謭劣。辱蒙 恩命。与青山延于同統教職。日登館而従公事焉。浅陋之学毀瓦画墁。雖無涓埃裨補。而其志則欲少有所維持名教。退職之暇与客応接。童蒙或求於我。新旧諸友。亦或時来閑語。移暑秉燭。語歴及於我 公所以設学之意也。一日安侍読。公従容謂曰。曩作弘道館記。然意義多端。記文之体不可以詳悉焉。今汝与延于等議。解以俚俗之語。使初学及不識字者。亦得覚其梗概。安唯々而退。退而自省。固蔽偏僻。何足以称道 盛意之万一也。然君命之重不可以辞。乃与延于等議。各述所見。以供【採択/採択】矣。因取曩日与諸友及童蒙言者。録為小冊。以塞其責。迂腐之論雖無足取。而瓦礫之物。亦未必無所用焉。夫道若大路然。出於天経。存於民彝。有五品則有五教。百姓日用而不識。雖無筆之。而人自求之。必将有余師也。然而大路不用。則榛荊生焉。五教不敷。則人或不能自求焉。故道不弘人。弘之在於人。若夫一其治与教。以弘斯道。則明君賢相之所為。安也不才。謹守其職。以竢声教之決於斯人矣。壬寅季冬。会沢安識
書き下し
天保戊戌、我が 納言公、弘道の館を創め、記を石に勒す。臣民を敎養する所以の大綱を言ふ。臣安、謭劣を以て、辱くも 恩命を蒙り、青山延于と同に敎職を統べ、日に館に登りて公事に從ふ。淺陋の學、瓦を毁ち墁に畫く。涓埃の裨補無しと雖も、其の志は則ち少しく名敎を維持する有らんと欲す。退職の暇、客と應接す。童蒙或は我に求め、新舊の諸友も亦或は時に來りて閑語す。暑を移し燭を秉り、語、歷く我が 公の學を設くる所以の意に及ぶ。一日、安、侍讀す。公、從容として謂ひて曰く、曩に弘道館記を作る。然れども意義多端にして、記文の體は以て詳悉すべからず。今、汝、延于等と議し、解くに俚俗の語を以てし、初學及び字を識らざる者をして、亦其の梗概を覺るを得しめよ、と。安、唯々として退く。退きて自ら省るに、固蔽偏僻、何ぞ 盛意の萬一を稱道するに足らん。然れども君命の重きは以て辭すべからず。乃ち延于等と議し、各々見る所を述べ、以て採擇に供す。因りて曩日諸友及び童蒙と言ふ者を取り、錄して小冊と爲し、以て其の責を塞ぐ。迂腐の論、取るに足る無しと雖も、瓦礫の物も亦未だ必ずしも用ふる所無からず。夫れ道は大路の若く然り、天經に出で、民彝に存す。五品有れば則ち五敎有り。百姓日に用ひて識らず。之を筆する無しと雖も、人自ら之を求め、必ず將に餘師有らんとす。然り而して大路用ひざれば、則ち榛荊生ず。五敎敷かざれば、則ち人或は自ら求むること能はず。故に道は人を弘めず、之を弘むるは人に在り。若し夫れ其の治と敎とを一にして、以て斯の道を弘むるは、則ち明君賢相の爲す所なり。安や不才、謹みて其の職を守り、以て聲敎の斯の人に決するを竢つ。壬寅季冬、會澤安識す。
現代語訳
天保九年、わが主君の納言公が弘道館を創設し、記を石に刻まれました。臣民を教え養う根本の綱領を述べたものです。私、安は未熟で劣った者ですのに、恐れ多くも命を受け、青山延于とともに教職を統べ、毎日館に出て公務に当たっています。浅く粗末な学問は、瓦を砕いて壁に絵を描くようなもので、露や塵ほどの補いにもなりませんが、その志は、いささかでも名教(人の道の教え)を支え守りたいということにあります。職務を退いた暇には客に応対します。子どもたちが私に学びを求めることもあり、新旧の友人もときどき訪れて閑談します。暑い季節から燭を取る季節まで話すうちに、しだいに主君が学校を設けられた理由にも話が及びました。ある日、私が侍講を務めておりますと、公は穏やかに仰せられました。「先に弘道館記を作った。だが意味は多方面にわたり、記文の体裁では詳しく述べ尽くせない。いま、そなたは延于らと相談し、世間の平易な言葉で解き明かし、初学の者や文字を知らない者にも、その大要がわかるようにせよ」と。私は恐れ入って退出しました。退いて自ら省みれば、私は見識が狭く偏っており、公の深いお心のほんの一端さえ言い表すに足りません。しかし君命は重く、辞退できません。そこで延于らと相談し、それぞれ考えを述べて、取捨の判断に供することにしました。そこで先日来、友人や子どもたちと語った内容を取り、記録して小冊子とし、その責任を果たします。時代遅れの議論で取るべきものはなくとも、瓦や石ころのようなものにも、まったく使い道がないとは限りません。そもそも道は大きな道路のようなもので、天の常道に由来し、人の守るべき常の道に備わっています。五つの関係があれば五つの教えがあり、人々は日々用いながら気づきません。書き記さなくても人は自然に求め、必ず多くの師が現れるでしょう。しかし大路が使われなければ茨が生え、五教が広められなければ、人は自ら求められないこともあります。ゆえに道が人を広めるのではなく、広めるのは人にあります。政治と教育を一つにして道を広めるのは、名君・賢相のなすことです。私は不才ながら、謹んで職を守り、その決定を待つばかりです。天保十三年十二月、会沢安が記します。
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・道を弘むとは何か余弘道館より退き、机に凭て書を繙せし折、一人來て閑談す、語次敎學の事に及ぶ、其人問て云、今度國に學館を設け弘道館と名づけ、記文を碑に勒して其大意を喩し給ふ、某拜誦して頗る盛意の萬一を曉りしやうなれども、いまだ其詳なる事を知り得ず、願くは其義を委曲に解喩せられよ、答曰、某不才にして、猥に敎職に命ぜられ候得ども、學術淺陋にして、其任に堪へず、されども、一日にても敎職を潰し居らんに、吾子が問に答へざらむも本意ならず、敢て愚說を是なりとするに非ざれども、即ち管見の及ぶほどの事は告申べし、吾子又廣く有道の君子に就て、愚說の當否を質されよ、客曰、されば一二の疑義を問申べし、先ッ人能く道を弘むとの經語の意は、道は性中に備るものなれば、わが心を以てわが性を盡して、道を弘むるの義と承はる、然るに、弘道館の記に心性を說給はず、師說と異なるに似たるは何ぞや、答曰、中庸に性に率ふ、之を道と謂ふ。道を脩む、之を敎と謂ふと申せば、道を脩て性に率ふは勿論なり、されども、是は道の立たる本を論じたる詞なり、道を弘むるとは本は性に率て立たる道なれども、是を人の所業によりて天下に推廣むるの義なれば、道の本を論ずるとは其指の所異なり、
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『弘道館記述義』・館の設け・義公が学校を設けなかった理由此れ則ち館の設けらるる所以なり。臣彪謹んで案ずるに、慶元櫜を建て文運日に開け、列国の諸侯、学校を城邑に設け、子弟を教育する者、枚挙に遑あらず。我が水藩、前に威・義二公有りて其の基を建て、後に文・武二公有りて其の緒を修む。而るに学校の設け独り聞くこと無き者は、亦以有るなり。昔者朱之瑜、明国より来るや、義公聘して師と為す。嘗て臣僚をして就きて釈奠等の儀節を習はしむ。又梓人に命じて其の口授を受け、闕里の制を摸せしむ。凡そ殿堂廊廡より以て門牆器物に至るまで、皆約して其の様を刻む。(享和中、文恭公大いに昌平坂の聖舎を修む。而して大成殿の制は、専ら我が藩の蔵する所の木様に依ると云ふ。)当時公、大いに国学を起こすの志有りて果たさず。蓋し其の意に謂へらく、道は人の当に学ぶべき所にして、世或いは視て儒者の私業と為す。我の儒員を廃するは、人人をして儒たらしめんと欲すればなり。国学の設け、其の規制を大にし、之を政に合せんと欲すれば、則ち朝夕の辦ずる所に非ず。若し然らずんば則ち人遂に一精舎を以て目さん。教へに益無く治に害有り。家ごとに誦し戸ごとに読ましむるの愈れりと為すに如かず。此れ其の志有りて果たさざる所以なり。学問の道は、尋常有司の忌む所。財用の出□□胥吏の所不欲。乃ち諉りて曰く、義公の文を尚ぶを以てすら猶ほ学を設けず、後嗣何ぞ敢へて之に違はんやと。況んや今各国既に先鞭を着く、而して我之に倣ふは、亦晩からずや。此れ後世の学を設けざる所以なり。然らば則ち義公の学を設けざるは道の或いは廃せんことを恐るればなり、後世の学を設けざるは道の或いは興らんことを恐るればなり。抑も義公は意を修史に鋭くす。故に当時文学の士、
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『弘道館記述義』・集衆思・告志篇に見る報本酬恩と分を守る心臣彪謹んで案ずるに、臣下の君上に於けるや一体なり。子孫の祖先に於けるや一気なり。臣子既に其の徳を脩め、道芸を行ひ、以て君父に事へ、人君其の衆思群力を集め、以て祖宗に報いば、則ち君臣上下の、斯の道を推弘する所以の者、孰れか大ならん。祖宗の志是に於いて墜ちず、神皇の霊、豈に感格せざるの理有らんや。然れども其の本を要するに唯我が躬行を慎み我が君父に事ふるに在り、固より分を犯し等を踰え高遠に鶩するに在らず。曩者我が公の始めて国に就くや、親ら一書を述べ、国中の子弟に諭し、名づけて告志篇と曰ふ。其の言は皆士大夫躬行の要にして、其の忠孝の大節に於いては、蓋し尤も思ひを致す。其の略に言有り、曰く、天下万姓煦育の恩は天祖に本づき、二百余年太平の化は東照宮に原づく。而して士大夫各其の禄位を保つ者は、皆先君先祖の余沢なり。其の本を思ひ其の恩に酬ゆる者は、臣子の志を立つる第一義たり。恭しく惟みるに天皇は実に天祖の嗣を承け、大将軍は則ち東照宮の統を纘ぐ。寡人は無似なりと雖も、亦威公の胤を忝くし、士大夫は皆祖先の後を襲ふ。則ち貴賤と無く大小と無く、各其の父母に孝に、其の長上に忠にして、報本酬恩の義並び挙がらん。若し其の君父を慢り、直ちに忠を朝廷と覇府とに尽くさんと欲せば、則ち分を犯し等を踰ゆるの甚だしきにして、適に以て僭乱の罪を取るのみと。公の再び国に就くに及び、乃ち斯の館を建て以て子弟を教養し、又斯の記を撰して以て其の大綱を掲ぐ。其の道義を闡明し名教を維持する所以は、実に以て天下後世の訓と為すべし。豈に特に一国の士民、方を知るのみならんや。学者能く斯の記を読み、斯の道の淵源を知り、参ずるに告志の篇を以てし、躬行実践の業に従事せば、則ち庶幾はくは公の盛意に負かざらん。斯の館を建て以て其の治教を統ぶる者は誰ぞ。権中納言従三位源朝臣某なり。

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