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駿台雑話 / 大敵外になし四

この故に古今人材をもちゆるに、多くは德行をすてゝ材智の士を取ぞかし、さし當りよく職を辨し、しば〱進効をたつる程に敏速の功ありと見ゆれども、事おほくは僉議がちにて、事實常に隱れ、下情常に塞りぬれば、政弊民瘼も是より起るぞかし、是によりていふに、兵に限らず治世の政も拙速をよしとして巧遲を得たりとせず、むかし諸葛武侯の蜀につかふる、出將入相として內外の任を兼しが、高世の材をもて自から用ずして、つとめて衆思の益をあつめ、僚佐の諫を求む、自から至拙の地に處るといふべし、然るに其魏をうつ毎戰必勝しかば、司馬懿畏るゝこと虎のごとし、其益州を討ずる七縱七禽にせしかば、孟穫心服して天威とす、その神速なる事想ひ見るべし、其後出師表にいへらずや、劉繇王朗各據州郡、論安言計、動引聖人、群疑滿腹、衆難塞胸、今歲不戰、明年不征、使孫策坐大遂并江東、これ巧遲の害を論ずる事明白なり、但武侯の廣量規模、もとより孫武が及ぶ所にあらず、今其意によりて、孫武が拙速巧久の語、最軍國の龜鑑として、武侯といへどもかふる事あたはざるをしるべし、孫武も亦人傑なるかな、

新字:この故に古今人材をもちゆるに、多くは徳行をすてゝ材智の士を取ぞかし、さし当りよく職を弁し、しば〱進効をたつる程に敏速の功ありと見ゆれども、事おほくは僉議がちにて、事実常に隠れ、下情常に塞りぬれば、政弊民瘼も是より起るぞかし、是によりていふに、兵に限らず治世の政も拙速をよしとして巧遅を得たりとせず、むかし諸葛武侯の蜀につかふる、出将入相として内外の任を兼しが、高世の材をもて自から用ずして、つとめて衆思の益をあつめ、僚佐の諫を求む、自から至拙の地に処るといふべし、然るに其魏をうつ毎戦必勝しかば、司馬懿畏るゝこと虎のごとし、其益州を討ずる七縦七禽にせしかば、孟穫心服して天威とす、その神速なる事想ひ見るべし、其後出師表にいへらずや、劉繇王朗各拠州郡、論安言計、動引聖人、群疑満腹、衆難塞胸、今歳不戦、明年不征、使孫策坐大遂并江東、これ巧遅の害を論ずる事明白なり、但武侯の広量規模、もとより孫武が及ぶ所にあらず、今其意によりて、孫武が拙速巧久の語、最軍国の亀鑑として、武侯といへどもかふる事あたはざるをしるべし、孫武も亦人傑なるかな、

書き下し

この故に古今人材をもちゆるに、多くは德行をすてゝ材智の士を取ぞかし、さし當りよく職を辨し、しば〱進効をたつる程に敏速の功ありと見ゆれども、事おほくは僉議がちにて、事實常に隱れ、下情常に塞りぬれば、政弊民瘼も是より起るぞかし、是によりていふに、兵に限らず治世の政も拙速をよしとして巧遲を得たりとせず、むかし諸葛武侯の蜀につかふる、出將入相として內外の任を兼しが、高世の材をもて自から用ずして、つとめて衆思の益をあつめ、僚佐の諫を求む、自から至拙の地に處るといふべし、然るに其魏をうつ毎戰必勝しかば、司馬懿畏るゝこと虎のごとし、其益州を討ずる七縱七禽にせしかば、孟穫心服して天威とす、その神速なる事想ひ見るべし、其後出師表にいへらずや、劉繇王朗各據州郡、論安言計、動引聖人、群疑滿腹、衆難塞胸、今歲不戰、明年不征、使孫策坐大遂并江東、これ巧遲の害を論ずる事明白なり、但武侯の廣量規模、もとより孫武が及ぶ所にあらず、今其意によりて、孫武が拙速巧久の語、最軍國の龜鑑として、武侯といへどもかふる事あたはざるをしるべし、孫武も亦人傑なるかな、

現代語訳

このため、古今、人材を用いるのに、多くは徳行を捨てて才智の士を取るものです。さしあたりよく職を弁じ、しばしば進効を立てるので、敏速の功があるように見えますが、事の多くは詮議がちで、事実は常に隠れ、下の情は常に塞がるので、政の弊害や民の苦しみもここから起こります。このことから言えば、兵に限らず、治世の政も拙速をよしとし、巧遅を良しとはしません。昔、諸葛武侯が蜀に仕え、出ては将、入っては相として内外の任を兼ねましたが、世にすぐれた才を自分で用いず、努めて衆思の益を集め、僚佐の諫めを求めました。自分から至拙の地に身を置いたといえます。それなのに魏を討つ戦いごとに必ず勝ったので、司馬懿は虎のように恐れました。益州を討ったとき、孟獲を七たび放ち七たび捕らえたので、孟獲は心服してこれを天威としました。その神速なことは想像できます。その後の出師表にも言っているではありませんか。劉繇・王朗がそれぞれ州郡に拠り、安を論じ計を言うにも、動もすれば聖人を引き、群疑は腹に満ち、衆難は胸に塞がり、今年は戦わず、明年は征かず、孫策をして座して大をなさしめ、ついに江東を併せさせた、と。これは巧遅の害を論じることが明白です。ただ武侯の広い器量と規模は、もとより孫武の及ぶところではありません。今その意によって、孫武の拙速巧久の語は、最も軍国の亀鑑であり、武侯でさえ変えることができないと知るべきです。孫武もまた人傑であることです。

解説

最終段で、人材登用の弊と、拙速の結論が語られます。翁は、古今、人材を用いるのに徳行を捨てて才智の士を取りがちだが、そうすると詮議が多くなり、事実と下情が塞がれて政の弊害や民の苦しみが生じると述べます。治世の政も、兵と同じく拙速をよしとするという結論です。諸葛武侯が自分の才を用いず、衆思を集め、僚佐の諫めを求めながら、魏を討つ戦いごとに勝ち、孟獲を七度捕らえて心服させた例を挙げ、出師表の巧遅の害の語も引きます。武侯の器量は孫武が及ばないとしながら、孫武の拙速巧久の語は武侯でも変えられない軍国の亀鑑だと結びます。現代でも、周囲の知恵を集めながら素早く動く姿勢は、管理職の理想です。

この章句が説くこと

人材登用徳行諸葛孔明拙速下情駿台雑話

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