駿台雑話 / 兵法の大事四
安流する水の水先き弱きは石をたゞよはすことをきかず、鷹飛て鳥の翅をとりひしぐに至るは、禽にせまる折めのきびしければ也、ながのしする鷹の羽づかひゆるきが毀折する事をきかず、よりて善戰者は其勢必險しく其節必短し、一足も所向をしりぞけざる、一毫も軍法を敗ればきる、かく險しからねば其勢弛ぶものなり、日を刻して急にすヽみて兵を駐めず、戰勝ては早く引て長追せず、かく短からぬは其節のぶるもの也、其勢弛び其節延れば、士卒倦怠て、必勝利を失ふべし、されば勢は如彍弩とは、必はりつめて少しも手をゆるさず、節如發機とは、忽急にはなちてしばしもゆとりせず、この故に良將の下に怯卒なし、愚將の下に强兵なし、孫子に是を論じて、善戰者求之於勢、不責於人、故能擇人而任勢、任勢者、其用人也如轉木石、木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行、故善戰人之勢、如轉圓石於千仭之山者勢也、孫武が此語、一字一句も兵の肯綮にあたらざるはなし、孫武は誠に兵家の祖なるかな、
新字:安流する水の水先き弱きは石をたゞよはすことをきかず、鷹飛て鳥の翅をとりひしぐに至るは、禽にせまる折めのきびしければ也、ながのしする鷹の羽づかひゆるきが毀折する事をきかず、よりて善戦者は其勢必険しく其節必短し、一足も所向をしりぞけざる、一毫も軍法を敗ればきる、かく険しからねば其勢弛ぶものなり、日を刻して急にすヽみて兵を駐めず、戦勝ては早く引て長追せず、かく短からぬは其節のぶるもの也、其勢弛び其節延れば、士卒倦怠て、必勝利を失ふべし、されば勢は如彍弩とは、必はりつめて少しも手をゆるさず、節如発機とは、忽急にはなちてしばしもゆとりせず、この故に良将の下に怯卒なし、愚将の下に強兵なし、孫子に是を論じて、善戦者求之於勢、不責於人、故能択人而任勢、任勢者、其用人也如転木石、木石之性、安則静、危則動、方則止、円則行、故善戦人之勢、如転円石於千仭之山者勢也、孫武が此語、一字一句も兵の肯綮にあたらざるはなし、孫武は誠に兵家の祖なるかな、
書き下し
安流する水の水先き弱きは石をたゞよはすことをきかず、鷹飛て鳥の翅をとりひしぐに至るは、禽にせまる折めのきびしければ也、ながのしする鷹の羽づかひゆるきが毀折する事をきかず、よりて善戰者は其勢必險しく其節必短し、一足も所向をしりぞけざる、一毫も軍法を敗ればきる、かく險しからねば其勢弛ぶものなり、日を刻して急にすヽみて兵を駐めず、戰勝ては早く引て長追せず、かく短からぬは其節のぶるもの也、其勢弛び其節延れば、士卒倦怠て、必勝利を失ふべし、されば勢は如彍弩とは、必はりつめて少しも手をゆるさず、節如發機とは、忽急にはなちてしばしもゆとりせず、この故に良將の下に怯卒なし、愚將の下に强兵なし、孫子に是を論じて、善戰者求之於勢、不責於人、故能擇人而任勢、任勢者、其用人也如轉木石、木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行、故善戰人之勢、如轉圓石於千仭之山者勢也、孫武が此語、一字一句も兵の肯綮にあたらざるはなし、孫武は誠に兵家の祖なるかな、
現代語訳
ゆるやかに流れる水の水先が弱ければ、石を漂わせたという話は聞きません。鷹が飛んで鳥の翼を取りひしぐに至るのは、獲物に迫る折り目がきびしいからです。長く飛ぶ鷹の羽づかいがゆるいときに、獲物を毀ち折ったという話は聞きません。そこで、戦上手はその勢が必ず険しく、その節が必ず短いのです。一歩も向かうところから退かず、少しでも軍法を破る者は斬ります。このように険しくなければ、その勢は弛むものです。日を刻んで急に進んで兵を止めず、戦い勝てば早く引き上げて長追いしません。このように短くなければ、その節は延びるものです。その勢が弛み、その節が延びれば、兵は倦怠して、必ず勝利を失うでしょう。そこで「勢は弩を引きしぼるごとし」とは、必ず張りつめて少しも手をゆるめないことです。「節は機を発するごとし」とは、たちまち急に放って、しばらくもゆとりを持たないことです。このため、良将の下に臆病な兵はなく、愚将の下に強兵はありません。孫子はこれを論じて、「戦上手は勢に求めて人に責めない。ゆえによく人を選んで勢に任せる。勢に任せる者の人の用い方は、木や石を転がすようなものだ。木石の性質は、安らかなら静まり、危うければ動き、四角なら止まり、丸なら転がる。ゆえに戦上手の勢は、丸い石を千仭の山に転がすようなものだ」といっています。孫武のこの言葉は、一字一句も兵の肝心なところに当たらないものがありません。孫武はまことに兵家の祖です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・勢篇激水の疾くして石を漂わすに至る者は、勢なり。鷙鳥の疾くして毀折に至る者は、節なり。故に善く戦う者は、其の勢は険にして、其の節は短し。
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孫子・勢篇故に善く戦う者は、之を勢に求めて人に責めず。故に能く人を択びて勢に任ず。
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『韓非子』難勢第四十今勢を廃し法に背きて堯・舜を待ち、堯・舜至りて乃ち治まるは、是れ千世乱れて一たび治まるなり。法を抱き勢に処りて桀・紂を待ち、桀・紂至りて乃ち乱るるは、是れ千世治まりて一たび乱るるなり。且つ夫れ治千にして乱一なると、治一にして乱千なるとは、是れ猶ほ驥・駬に乗りて分かれ馳するがごときなり、相去ること亦遠し。夫れ隠栝の法を棄て、度量の数を去り、奚仲をして車を為らしむれば、一輪をも成す能はず。慶賞の勧め、刑罰の威無く、勢を釈て法を委て、堯・舜戸ごとに説きて人ごとに之を弁ずるも、三家をも治むる能はず。夫れ勢の用ふるに足るも亦明らかなり、而るに「必ず賢を待つ」と曰ふは、則ち亦然らず。且つ夫れ百日食はずして以て粱肉を待たば、餓うる者活きず。今堯・舜の賢を待ちて乃ち当世の民を治むるは、是れ猶ほ粱肉を待ちて餓うるを救ふの説のごときなり。夫れ「良馬固車、臧獲之を御すれば則ち人の笑ひと為り、王良之を御すれば則ち日に千里を取る」と曰ふも、吾以て然りと為さず。
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『潜夫論』明忠曆く古来の君を愛し主を憂え敢えて言う臣を観るに、治勢一たび成れば、君も自ら乱す能わず、況んや臣下をや。法術明らかならず賞罰必ならざる者は、号令すと曰うと雖も、然れども勢い自ずから乱る。乱勢一たび成れば、君も自ら治むる能わず、況んや臣下をや。是の故に勢い治まる者は、之を委ぬと雖も乱れず、勢い乱るる者は、之を勤むと雖も治まらず。堯・舜の己を恭しくして為す無くして余り有りしは、勢い治まればなり。胡亥・王莽の馳騖せしは、勢い乱るればなり。故に曰く、「善き者は之を勢いに求め、人に責めず」と。是を以て明王は法度を審らかにして教令を布き、私を行いて以て法を欺かず、教えを黷して以て命を辱めず、故に臣下は其の言を敬いて其の禁を奉じ、其の心を竭くして其の職に称う。此れ法術の明らかにして威権の任ぜらるるに由るなり。
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『韓非子』姦劫弒臣第十四夫れ君臣は骨肉の親有るに非ず。正直の道以て利を得べくんば、則ち臣力を尽くして以て主に事ふ。正直の道以て安きを得べからずんば、則ち臣私を行ひて以て上に干む。明主は之を知る。故に利害の道を設けて、以て天下に示すのみ。夫れ是を以て人主口づから百官に教へず、目づから姦邪を索めずと雖も、而も国已に治まる。人主は、目離婁の若くして乃ち明と為すに非ず、耳師曠の若くして乃ち聡と為すに非ず。目必ず其の数に任ぜずして、目を待ちて以て明と為せば、見る所の者少なし、弊はれざるの術に非ざるなり。耳必ず其の勢に因らずして、耳を待ちて以て聡と為せば、聞く所の者寡し、欺かれざるの道に非ざるなり。
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『玉勝間』七の巻 年の始のせちと云ふ事年のはじめに、いわゆる振る舞いなどする事を、節と云う。壬生の忠見家集に、或るところの屏風、正月せちするところ有り、春霞たつと云う日をむかえつつ年のあるじと我やなりなむ。
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