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駿台雑話 / 孫臏韓信が兵法一

されど孫武が兵法、其書ありといへども、自から兵を用ひて敵を料り勝ことを制するをきかず、そのかみ吳王闔閭に用られ、十三篇をも吳王に傳授せし事、史記孫子が傳に見へたり、闔閭西のかた强楚を破て郢に入、兵威諸國に振ひしは、定めて孫武が謀より出たる事にてあらんかし、その事實世に傳らねばしるべきやうなし、孫武が後、孫武が兵法をもちゐて、其功天下に著れしは、孫臏韓信のふたりにてなむありけり、孫臏は孫武が子孫なりしが、先祖の兵法を傳へて、齊の威王の師となる、此時魏より齊の與國趙を圍しを、威王將田忌に孫臏をさし副て趙を救はしむ、孫臏は其前に魏將龐涓と、もに兵法を學びしが、龐涓その能を嫉て、陰に臏を召て至れば其兩足を斷ちし程に、此度もたヾ車中に坐て軍の指圖をしけり、田忌すぐに趙へゆかむといひしを、孫臏とヾめて、魏趙久しく相攻ぬれば、魏の輕兵銳卒必外に竭し、老弱運漕して内に罷るヽを謀ていふやう、趙に至らんよりは、速に魏都大梁に赴て其虛を衝んにはしかじ、かれ我國の危きをきかば、必趙をすてヽ歸て自救む、しからばわれ一擧して、趙の圍をとくのみならず、その弊を魏に收るなりとて、直に大梁に向ひしかば、魏師果して趙を捨て還りけるを、迎へ擊て大に勝利を得たり、

新字:されど孫武が兵法、其書ありといへども、自から兵を用ひて敵を料り勝ことを制するをきかず、そのかみ呉王闔閭に用られ、十三篇をも呉王に伝授せし事、史記孫子が伝に見へたり、闔閭西のかた強楚を破て郢に入、兵威諸国に振ひしは、定めて孫武が謀より出たる事にてあらんかし、その事実世に伝らねばしるべきやうなし、孫武が後、孫武が兵法をもちゐて、其功天下に著れしは、孫臏韓信のふたりにてなむありけり、孫臏は孫武が子孫なりしが、先祖の兵法を伝へて、斉の威王の師となる、此時魏より斉の与国趙を囲しを、威王将田忌に孫臏をさし副て趙を救はしむ、孫臏は其前に魏将龐涓と、もに兵法を学びしが、龐涓その能を嫉て、陰に臏を召て至れば其両足を断ちし程に、此度もたヾ車中に坐て軍の指図をしけり、田忌すぐに趙へゆかむといひしを、孫臏とヾめて、魏趙久しく相攻ぬれば、魏の軽兵鋭卒必外に竭し、老弱運漕して内に罷るヽを謀ていふやう、趙に至らんよりは、速に魏都大梁に赴て其虚を衝んにはしかじ、かれ我国の危きをきかば、必趙をすてヽ帰て自救む、しからばわれ一挙して、趙の囲をとくのみならず、その弊を魏に収るなりとて、直に大梁に向ひしかば、魏師果して趙を捨て還りけるを、迎へ撃て大に勝利を得たり、

書き下し

されど孫武が兵法、其書ありといへども、自から兵を用ひて敵を料り勝ことを制するをきかず、そのかみ吳王闔閭に用られ、十三篇をも吳王に傳授せし事、史記孫子が傳に見へたり、闔閭西のかた强楚を破て郢に入、兵威諸國に振ひしは、定めて孫武が謀より出たる事にてあらんかし、その事實世に傳らねばしるべきやうなし、孫武が後、孫武が兵法をもちゐて、其功天下に著れしは、孫臏韓信のふたりにてなむありけり、孫臏は孫武が子孫なりしが、先祖の兵法を傳へて、齊の威王の師となる、此時魏より齊の與國趙を圍しを、威王將田忌に孫臏をさし副て趙を救はしむ、孫臏は其前に魏將龐涓と、もに兵法を學びしが、龐涓その能を嫉て、陰に臏を召て至れば其兩足を斷ちし程に、此度もたヾ車中に坐て軍の指圖をしけり、田忌すぐに趙へゆかむといひしを、孫臏とヾめて、魏趙久しく相攻ぬれば、魏の輕兵銳卒必外に竭し、老弱運漕して内に罷るヽを謀ていふやう、趙に至らんよりは、速に魏都大梁に赴て其虛を衝んにはしかじ、かれ我國の危きをきかば、必趙をすてヽ歸て自救む、しからばわれ一擧して、趙の圍をとくのみならず、その弊を魏に收るなりとて、直に大梁に向ひしかば、魏師果して趙を捨て還りけるを、迎へ擊て大に勝利を得たり、

現代語訳

ところが孫武の兵法は、その書はあるといっても、自ら兵を用いて敵を料り、勝つことを制した話は聞きません。そのかみ呉王闔閭に用いられ、十三篇をも呉王に伝授したことが、史記の孫子の伝に見えます。闔閭が西のかた強い楚を破って郢に入り、兵威が諸国に振るったのは、きっと孫武の謀から出たことでしょう。しかしその事実は世に伝わっていないので、知りようがありません。孫武の後、孫武の兵法を用いて、その功が天下にあらわれたのは、孫臏と韓信の二人でした。孫臏は孫武の子孫で、先祖の兵法を伝えて、斉の威王の師となりました。このとき魏から斉の与国の趙を囲んだので、威王は将の田忌に孫臏を副えて趙を救わせました。孫臏はそれ以前に、魏の将の龐涓とともに兵法を学んでいましたが、龐涓はその才能をねたんで、ひそかに臏を召し寄せ、その両足を断ちました。そのため、この度もただ車の中に座って軍の指図をしました。田忌がまっすぐ趙へ行こうと言うのを、孫臏は止めて計略を述べました。魏と趙が長く攻め合えば、魏の軽兵や精鋭は必ず外で尽き、老弱の者が運送して内で疲れているでしょう。趙へ行くよりは、すみやかに魏の都の大梁に赴いて、その虚を衝くにこしたことはありません。かれは我が国の危ういのを聞けば、必ず趙を捨てて帰って自ら救うでしょう。そうすれば我らは一挙に趙の囲みを解くだけでなく、その疲弊を魏に収めることにもなりますと。そこでまっすぐ大梁に向かうと、魏の軍は果たして趙を捨てて帰ってきたので、迎え撃って大いに勝利を得ました。

解説

この段から、孫武の兵法を実際に用いた孫臏と韓信の事績に入ります。孫武本人は書があっても自ら用いた話が伝わらないと、翁は出典に即して断っています。孫臏は足を断たれた身で車中から指図をし、趙を救うのに趙へ行かず魏の都を衝きました。有名な囲魏救趙の策で、相手の弱点を攻めて自軍の目的を果たす発想です。翁が語っている範囲では、敵が外に兵を出して内が空だという状況判断が根拠になっています。現代の仕事でも、問題が起きた場所に直接向かうより、その根にあたる場所を突くことで解決する場面があります。ただし、その見極めには相手側の事情を知る必要があるという点も読み取れます。

この章句が説くこと

孫臏囲魏救趙虚を衝く兵法計略駿台雑話

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