甲陽軍鑑 / 品第六
武略をもつて治むるは武士の第一のほまれと云ふ然れば計略にしたをさるゝは、女人にあひ似たる事也、侍が二心あるをばかたましき男とて武士にはきらふぞかし、十が九義元うたれ玉ふと存する共、敵方より告來らば虛言と相心得此城を立さらざるは武士にめづらしからぬ作法也、
新字:武略をもつて治むるは武士の第一のほまれと云ふ然れば計略にしたをさるゝは、女人にあひ似たる事也、侍が二心あるをばかたましき男とて武士にはきらふぞかし、十が九義元うたれ玉ふと存する共、敵方より告来らば虚言と相心得此城を立さらざるは武士にめづらしからぬ作法也、
書き下し
武略をもつて治むるは武士の第一のほまれと云ふ然れば計略にしたをさるゝは、女人にあひ似たる事也、侍が二心あるをばかたましき男とて武士にはきらふぞかし、十が九義元うたれ玉ふと存する共、敵方より告来らば虚言と相心得此城を立さらざるは武士にめづらしからぬ作法也、
現代語訳
武略をもって治めるのは武士の第一の誉れという。であれば、計略に下されるのは女人に似たことである。侍が二心あるのを、かたましき男といって武士は嫌うぞかし。十のうち九は義元が討たれられたと思っても、敵方から告げて来たならば虚言と心得て、この城を立ち去らないのは、武士として珍しくもない作法である。
解説
謀るのは誉れ、謀られるのは恥。そのうえで、十中八九は事実だと自分でも思っている、と認めている。事実かどうかではなく、敵方から来た情報で城を捨てたという形を作らないという判断で、動かない理由を作法の側に置いた。事実かどうかではなく、敵方から来た情報で城を捨てたという形を作らないという判断である。動かない理由を、作法の側に置いている。
この章句が説くこと
計略二心作法武略恥情報
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第六其四年にあたつて、信玄公十六の御年信州海野口にて、父信虎公八千の人数をもつてせめ給へども、次第に城强して不落、然る所に信玄公はかりことのつもりをもつて、三百計の人数にて速にのりとり給ふ一長尾謙信輝虎公十三の御年仰らるゝは、
-
『甲陽軍鑑』品第六元康聞給ひて二のくる輪まで出させ給ふが、又立ち帰り本城に御座家老の人御前に参り、是はいかなる事ぞと申す、元康聞き給ひて義元公討れさせ給ふと水野野州より告来る、然るに野州敵方共味方共見へず義元公御利運におひては、我をたよりて今川方に成べし、若し又信長利運に成ならば籠居して義元へ礼を申さゞるを忠節たりといはん覚悟なれ共、先つ大略は信長方のやうなる物ぞかし、されば伯父といひながら敵方より告来るは計略と思ふへし、計略するはいにしへより今に至るまて敵味方のならひ也、
-
孫子・軍争篇故に途を迂らしてこれを利に誘い、人の後に発して人に先んずるは、迂直の計を知る者なり。
-
葉隠・聞書第十一軍中防禦様(ぐんちゅうぼうぎょよう)の事。菱(ひし)など撒いても敵に疑はれ、計略も度々(たびたび)すれば疑(うたがい)出来(いでき)るなり。菱など一表(いっぴょう)蒔(ま)きても、敵疑を起すものなり。落穴(おとしあな)其外(そのほか)も同前(どうぜん)。
-
『宋名臣言行録』前集巻七・种世衡寳元中、党頃、邉を犯す。明珠族の首領有り。驍悍にして、最も邉患と為る。世衡、將と為り、計を以て之を擒えんと欲す。其の鼔を擊つを好むを聞く。乃ち一馬に戰鼓を持たしむるを造り、銀を以て之を裹み、極めて華焕なり。宻かに諜者をして陽りて之を賣りて明珠族に入らしむ。後に乃ち驍卒數百人を擇びて之を戒めて曰く、凡そ銀鼓を負いて自ら隨う者を見れば、力を併せて之を擒えよと。一日、羌酋、鼔を負いて出づ。遂に擒うる所と為る。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四相如遂に秦王に見えて、壁を秦王にあたふるに、秦王十五城をあたふまじき気色見えたり、時に相如はかりごとを以て、秦王にかたりて云く、その壁にきずあり、我れ是れを示さんと云て、壁をこひ取て、後に相如が云く、王の気色を見るに、十五城を惜める気色あり、然あらば我が頭べを以て、此の壁を銅柱にあてゝ、うちわりてんと云て、瞋れる眼を以て、王を見て銅柱のもとによる気色まことに王をも犯しつべかりし、時に秦王の云く、汝壁をわることなかれ、十五城を与ふべし、あひはからはんほど、汝ぢ壁を持べしと云しかば、相如ひそかに人をして壁を本国へかへしぬ、