駿台雑話 / 兵法の大事二
軍の强弱はもやうによりて生ずる物也、又兵勢は合戰の法といふは、常の輕き事にても考へ給へ、急節に臨ては、すこし手延なれば、度を失ふ物ぞかし、まいて合戰の勝負は呼吸の間にあり、それに鎗先に向ては、士卒の勇怯ひとしからねば、とかく猶豫しやすく、たゞ將帥たる人、こゝに至ては人數をはげしくあらくつかふて、其きをひに乘じてすゝめば、おのづから調子めいらずして、勝利を得べし、兵の勇怯は調子によりて生ずるもの也、されば孫子に勇怯は勢也、强弱は形也とこそ見へて侍れ、譬ば猛虎深山にありて百獸震恐せしが、陷穽の中に在に及びては尾を搖がして食を求るが如し、猛虎にはかに弱くなるにはあらず、又おかしきたとへなれども、世にいふ女の丑時參りといふことあり、常には闇がりをさへおそるゝものが、嫉妬の怒に乘じては丑時參りして、少しもおそれやらず、其女にはかにつよくなるにはあらず、是にて勇怯の勢にあり、强弱の形にある事を知るべし、
新字:軍の強弱はもやうによりて生ずる物也、又兵勢は合戦の法といふは、常の軽き事にても考へ給へ、急節に臨ては、すこし手延なれば、度を失ふ物ぞかし、まいて合戦の勝負は呼吸の間にあり、それに鎗先に向ては、士卒の勇怯ひとしからねば、とかく猶予しやすく、たゞ将帥たる人、こゝに至ては人数をはげしくあらくつかふて、其きをひに乗じてすゝめば、おのづから調子めいらずして、勝利を得べし、兵の勇怯は調子によりて生ずるもの也、されば孫子に勇怯は勢也、強弱は形也とこそ見へて侍れ、譬ば猛虎深山にありて百獣震恐せしが、陥穽の中に在に及びては尾を揺がして食を求るが如し、猛虎にはかに弱くなるにはあらず、又おかしきたとへなれども、世にいふ女の丑時参りといふことあり、常には闇がりをさへおそるゝものが、嫉妬の怒に乗じては丑時参りして、少しもおそれやらず、其女にはかにつよくなるにはあらず、是にて勇怯の勢にあり、強弱の形にある事を知るべし、
書き下し
軍の强弱はもやうによりて生ずる物也、又兵勢は合戰の法といふは、常の輕き事にても考へ給へ、急節に臨ては、すこし手延なれば、度を失ふ物ぞかし、まいて合戰の勝負は呼吸の間にあり、それに鎗先に向ては、士卒の勇怯ひとしからねば、とかく猶豫しやすく、たゞ將帥たる人、こゝに至ては人數をはげしくあらくつかふて、其きをひに乘じてすゝめば、おのづから調子めいらずして、勝利を得べし、兵の勇怯は調子によりて生ずるもの也、されば孫子に勇怯は勢也、强弱は形也とこそ見へて侍れ、譬ば猛虎深山にありて百獸震恐せしが、陷穽の中に在に及びては尾を搖がして食を求るが如し、猛虎にはかに弱くなるにはあらず、又おかしきたとへなれども、世にいふ女の丑時參りといふことあり、常には闇がりをさへおそるゝものが、嫉妬の怒に乘じては丑時參りして、少しもおそれやらず、其女にはかにつよくなるにはあらず、是にて勇怯の勢にあり、强弱の形にある事を知るべし、
現代語訳
軍の強さと弱さは、模様すなわち型によって生まれるものです。また、兵勢は合戦の法というのは、普通の軽いことで考えてみてください。差し迫った時に少しでも手間取ると、度を失うものです。まして合戦の勝負は呼吸の間にあります。槍先に向かえば、兵の勇気や臆病はそれぞれ違うので、とかくためらいやすくなります。そこでただ将帥たる人が、ここに至っては人数を激しく荒く使い、その勢いに乗って進めば、自然と調子が乱れずに勝利を得られるでしょう。兵の勇敢さと臆病さは、調子によって生まれるものです。それで孫子に「勇怯は勢なり、強弱は形なり」と見えています。たとえば猛虎が深山にいる時は、百獣が震えおそれますが、落とし穴の中に落ちると尾を振って食を求めるようになります。猛虎が急に弱くなったのではありません。また、おかしなたとえですが、世にいう女の丑の刻参りということがあります。普段は暗がりさえ恐れる者が、嫉妬の怒りに乗じると丑の刻参りをして少しも恐れません。その女が急に強くなったのではありません。これで、勇気と臆病は勢にあり、強さと弱さは形にあるということを知るべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『駿台雑話』兵法の大事(四)安流する水の水先き弱きは石をたゞよはすことをきかず、鷹飛て鳥の翅をとりひしぐに至るは、禽にせまる折めのきびしければ也、ながのしする鷹の羽づかひゆるきが毀折する事をきかず、よりて善戰者は其勢必險しく其節必短し、一足も所向をしりぞけざる、一毫も軍法を敗ればきる、かく險しからねば其勢弛ぶものなり、日を刻して急にすヽみて兵を駐めず、戰勝ては早く引て長追せず、かく短からぬは其節のぶるもの也、其勢弛び其節延れば、士卒倦怠て、必勝利を失ふべし、されば勢は如彍弩とは、必はりつめて少しも手をゆるさず、節如發機とは、忽急にはなちてしばしもゆとりせず、この故に良將の下に怯卒なし、愚將の下に强兵なし、孫子に是を論じて、善戰者求之於勢、不責於人、故能擇人而任勢、任勢者、其用人也如轉木石、木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行、故善戰人之勢、如轉圓石於千仭之山者勢也、孫武が此語、一字一句も兵の肯綮にあたらざるはなし、孫武は誠に兵家の祖なるかな、
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『駿台雑話』兵法の大事(三)但軍形は本なり、兵勢は軍形よりしてこそ出來にけれ、もし軍形亂れなば、士卒勇なりといふとも必敗軍すべし、この故に勝兵先勝而後求戰、敗兵先戰而後求勝といへり、先勝は軍形にあり、いまだ戰はぬ先に、必勝べき手だて定まる故に先勝とはいふ也、先勝て戰へば、兵鈍らず、戰とゞこほらず、敵を破る事破竹のごとくなるべし、よりて孫子に勝者之戰若決積水於千仭之谿者形也となん、是は必勝の形先定まりて、其勢に乘じて戰へば、なにの手もなく勝事をいへり、然るに合戰の塲に臨みてはゆるやかなるを嫌ふて、はげしきをいとはず、おそきを嫌て、はやきをいとはず、もしゆるやかにおそければ、士卒の心たるみて、其勢を失ふものなり、信繁の人數をあらくつかへといひしはこゝなり、是則兵勢なり、孫子に是を論じて、激水之疾至於漂石者勢也、鷙鳥之疾至於毀折者節也、故善戰者其勢險、其節短、勢如彍弩、節如發機といへり、すべて物には皷の拍子あるごとく、はり合てはづみのあるは勢なり、竹のふしあるごとく、きはだちて折めのあるは節也、水激して石のおもきを漂はすに至るは、岩にあたるはづみのつよければなり、
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『駿台雑話』兵法の大事(一)後日諸客來會しけるに、例の講はてゝ、翁いひけるは、各日比武田流の兵法を講ぜらるゝ、よしきゝ侍る、前日申せし信繁の敵近くならば人數をあらくつかふべしといはれしは、いかく輕き事のやうなれども、尤用兵の要を得たり、信繁も是にて毎度利を得て簡要の事と思はるればこそかく子息へもいひ傳へられけめ、此序に兵法の事をあら〱語り侍るべし、翁日ごろ兵書を考へ見るに兵術の要は孫武が十三篇にあり、十三篇の要は軍形兵勢の二篇にあり、おほよそ用兵の法は、形勢のふたつに過べからず、しばらく常語にていはゞ軍形は軍のかた、又は軍のもやうといはんかし、兵勢は兵のきをひ、又は兵の調子といはんかし、軍形は行師の法にして、兵勢は合戰の法なり、軍形は行師の法といふは、今僅百ばかりの人數とても廻して見給へ、それさへ末々迄は下知とゞかぬ物ぞかし、まいて三軍の師をまはすに、時に當ての下知ばかりにしては、いかで自由に廻るべき、たゞ將師たる人成算より割出して、軍伍を定め、手分を定め、約束を定め、其外の事迄分段を明かにして、人數を一定の形にはめて師をやれば、三軍ひとつもやうになりて、なにの造作もなく廻るべし、
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孫子・勢篇紛紛紜紜として、闘い乱れて乱すべからず。渾渾沌沌として、形円くして敗るべからず。乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は数なり、勇怯は勢なり、強弱は形なり。
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『駿台雑話』孫臏韓信が兵法(六)萬全不敗の形也、敵之可勝は敵にあり、必勝不失の勢なり、其機を形にこめ其戰を勢に決す、其機を形にこむるに當ては、淵のごとくふかく、龍のごとく潛まる、いはゆる藏於九地之下もの也、其戰を勢に決するに當ては、飈のごとくをこり、雷のごとく擊、いはゆる動於九天之上もの也、忽かくれ忽あらはれ、奇正相生じ、虛實相形る、環の無端がごとし、兵術の妙、こヽに至てもはや加ふべき事なし、但其簡要をいはゞ、兵は神速なるにあり、もし神速ならねば、其計策多くは敵にはかられ、又は長陣すれば、將軍も退屈する程に、軍形兵勢もいづれの處にか用べき、孫子にも兵聞拙速未觀巧之久也といへり、善將兵者は、たヾ形勢に明かにして、其餘勝敗の數にあづからぬ事は多くは不調なれども、反て是をもて勝利を得る事速也、是を拙而速也といふ、兵家の貴ぶ所也、若勝敗の數に暗くして、たヾ屯營を周備にし、號令を煩瀆にして、すぎて持久の計をすれば、軍法調熟して、すきまもなく見ゆれども、兵久しければ變生ずる程に、はては敗軍に及ぶぞかし、是を巧而久しといふ、兵家の忌所也、況や兵久してやまねば、其間多く財を糜し人を殺し、
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呂氏春秋・決勝②夫れ民に常勇無く、亦た常怯無し。氣あれば則ち實ち、實つれば則ち勇なり。氣無ければ則ち虚、虚なれば則ち怯なり。怯勇虚實は、其の由甚だ微なり。知らざる可からず。勇なれば則ち戰い、怯なれば則ち北ぐ。戰いて勝つ者は、其の勇を戰わす者なり。戰いて北ぐる者は、其の怯を戰わす者なり。怯勇常無く、儵忽往來して、其の方を知るもの莫し。惟聖人のみ獨り其の由りて然る所を見る。故に商・周は以て興り、桀・紂は以て亡ぶ。巧拙の相過ぐる所以は、民の氣を益すと民の氣を奪うとに以てし、能く衆を鬭わすと衆を鬭わすこと能わざるとに以てす。軍大なりと雖も、卒多しと雖も、勝ちに益無し。軍大に卒多くして鬭う能わざれば、衆其の寡きに若かざるなり。夫れ衆の福い為るや大にして、其の禍い為るや亦た大なり。之を譬うれば、深淵に漁して、其の魚を得るや大なるも、其の害為るや亦た大なるが若し。善く兵を用うる者は、諸邊の內、與に鬭わざるもの莫く、廝輿白徒と雖も、方數百里より、皆來たりて會戰するは、勢之をして然らしむるなり。勢いなる者は、戰期を審らかにして、以て之を羈誘する有り。凡そ兵は、其の因るを貴ぶ。因るとは、敵の險に因りて以て己の固めを為し、敵の謀に因りて以て己の事を為す。能く因ることを審らかにして加うれば勝つ。則ち窮む可からず。勝つこと窮む可からざるを之れ神と謂う。神なれば則ち勝つ可からざるを能くす。夫れ兵は、勝つ可からざるを貴ぶ。勝つ可からざること己に在り、勝つ可きこと彼に在り。聖人は己に在る者を必とし、彼に在る者を必とせず。故に勝つ可からざるの術を執りて、以て勝たざるの敵に遇う。此くの若くなれば則ち兵に失無し。凡そ兵の勝つは、敵の失なり。失に勝つの兵は、必ず隱に必ず微に、必ず積に必ず摶なり。隱なれば則ち闡に勝ち、微なれば則ち顯に勝ち、積なれば則ち散に勝ち、摶なれば則ち離に勝つ。諸々の搏攫柢噬の獸、其の齒角爪牙を用うるや、必ず卑微隱蔽に託す。此れ勝ちを成す所以なり。
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