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呂氏春秋 / 決勝②

夫民無常勇,亦無常怯。有氣則實,實則勇;無氣則虛,虛則怯。怯勇虛實,其由甚微,不可不知。勇則戰,怯則北。戰而勝者,戰其勇者也;戰而北者,戰其怯者也。怯勇無常,儵忽往來,而莫知其方,惟聖人獨見其所由然。故商、周以興,桀、紂以亡。巧拙之所以相過,以益民氣與奪民氣,以能鬭眾與不能鬭眾。軍雖大,卒雖多,無益於勝。軍大卒多而不能鬭,眾不若其寡也。夫眾之為福也大,其為禍也亦大。譬之若漁深淵,其得魚也大,其為害也亦大。善用兵者,諸邊之內,莫不與鬭,雖廝輿白徒,方數百里,皆來會戰,勢使之然也。幸也者,審於戰期而有以羈誘之也。凡兵〔也者〕,貴其因也。因也者,因敵之險以為己固,因敵之謀以為己事。能審因而加,勝則不可窮矣。勝不可窮之謂神,神則能不可勝也。夫兵,貴不可勝。不可勝在己,可勝在彼。聖人必在己者,不必在彼者,故執不可勝之術以遇(不)〔可〕勝之敵,若此則兵無失矣。凡兵之勝,敵之失也。勝失之兵,必隱必微,必積必(搏)〔摶〕。隱則勝闡矣,微則勝顯矣,積則勝散矣,(搏)〔摶〕則勝離矣。諸搏攫(柢)〔抵〕噬之獸,其用齒角爪牙也,必託於卑微隱蔽,此所以成勝。

新字:夫民無常勇,亦無常怯。有気則実,実則勇;無気則虚,虚則怯。怯勇虚実,其由甚微,不可不知。勇則戦,怯則北。戦而勝者,戦其勇者也;戦而北者,戦其怯者也。怯勇無常,儵忽往来,而莫知其方,惟聖人独見其所由然。故商、周以興,桀、紂以亡。巧拙之所以相過,以益民気与奪民気,以能闘眾与不能闘眾。軍雖大,卒雖多,無益於勝。軍大卒多而不能闘,眾不若其寡也。夫眾之為福也大,其為禍也亦大。譬之若漁深淵,其得魚也大,其為害也亦大。善用兵者,諸辺之內,莫不与闘,雖廝輿白徒,方数百里,皆来会戦,勢使之然也。幸也者,審於戦期而有以羈誘之也。凡兵〔也者〕,貴其因也。因也者,因敵之険以為己固,因敵之謀以為己事。能審因而加,勝則不可窮矣。勝不可窮之謂神,神則能不可勝也。夫兵,貴不可勝。不可勝在己,可勝在彼。聖人必在己者,不必在彼者,故執不可勝之術以遇(不)〔可〕勝之敵,若此則兵無失矣。凡兵之勝,敵之失也。勝失之兵,必隠必微,必積必(搏)〔摶〕。隠則勝闡矣,微則勝顕矣,積則勝散矣,(搏)〔摶〕則勝離矣。諸搏攫(柢)〔抵〕噬之獣,其用齒角爪牙也,必託於卑微隠蔽,此所以成勝。

書き下し

夫れ民に常勇無く、亦た常怯無し。氣あれば則ち實ち、實つれば則ち勇なり。氣無ければ則ち虚、虚なれば則ち怯なり。怯勇虚實は、其の由甚だ微なり。知らざる可からず。勇なれば則ち戰い、怯なれば則ち北ぐ。戰いて勝つ者は、其の勇を戰わす者なり。戰いて北ぐる者は、其の怯を戰わす者なり。怯勇常無く、儵忽往來して、其の方を知るもの莫し。惟聖人のみ獨り其の由りて然る所を見る。故に商・周は以て興り、桀・紂は以て亡ぶ。巧拙の相過ぐる所以は、民の氣を益すと民の氣を奪うとに以てし、能く衆を鬭わすと衆を鬭わすこと能わざるとに以てす。軍大なりと雖も、卒多しと雖も、勝ちに益無し。軍大に卒多くして鬭う能わざれば、衆其の寡きに若かざるなり。夫れ衆の福い為るや大にして、其の禍い為るや亦た大なり。之を譬うれば、深淵に漁して、其の魚を得るや大なるも、其の害為るや亦た大なるが若し。善く兵を用うる者は、諸邊の內、與に鬭わざるもの莫く、廝輿白徒と雖も、方數百里より、皆來たりて會戰するは、勢之をして然らしむるなり。勢いなる者は、戰期を審らかにして、以て之を羈誘する有り。凡そ兵は、其の因るを貴ぶ。因るとは、敵の險に因りて以て己の固めを為し、敵の謀に因りて以て己の事を為す。能く因ることを審らかにして加うれば勝つ。則ち窮む可からず。勝つこと窮む可からざるを之れ神と謂う。神なれば則ち勝つ可からざるを能くす。夫れ兵は、勝つ可からざるを貴ぶ。勝つ可からざること己に在り、勝つ可きこと彼に在り。聖人は己に在る者を必とし、彼に在る者を必とせず。故に勝つ可からざるの術を執りて、以て勝たざるの敵に遇う。此くの若くなれば則ち兵に失無し。凡そ兵の勝つは、敵の失なり。失に勝つの兵は、必ず隱に必ず微に、必ず積に必ず摶なり。隱なれば則ち闡に勝ち、微なれば則ち顯に勝ち、積なれば則ち散に勝ち、摶なれば則ち離に勝つ。諸々の搏攫柢噬の獸、其の齒角爪牙を用うるや、必ず卑微隱蔽に託す。此れ勝ちを成す所以なり。

現代語訳

そもそも民には常に勇であることも常に怯であることもない。気力があれば充実し、充実すれば勇となる。気力がなければ空虚で、空虚なら怯となる。怯勇・虚実の分かれ目は極めて微妙で、知らなければならない。勇なら戦い、怯なら逃げる。戦って勝つのは兵の勇を発揮させた者であり、戦って敗れるのは兵の怯を出させた者である。怯勇は一定せず、たちまち行き来してその道理を誰も知らないが、聖人だけがその由って来るところを見抜く。だから商・周は興り、桀・紂は滅んだ。巧拙の差は、民の気を高めるか奪うか、兵を戦わせられるか否かによる。軍が大きく兵が多くても、勝ちには役立たない。大軍でも戦えなければ、少数に及ばない。多勢は福も大きいが禍も大きく、深い淵で漁をすれば大きな獲物も得るが害も大きいのと同じである。よく兵を用いる者のもとでは、国中の者がみな進んで戦い、雑役や雑兵でも数百里から集まって戦うのは、勢いがそうさせるのだ。勢いとは、決戦の時機を見きわめて敵を誘い込むことである。およそ兵は、因ること(相手や状況を利用すること)を貴ぶ。因るとは、敵の要害を利用して自分の守りとし、敵の謀を利用して自分の事とすることだ。よく因ることを見きわめて手を加えれば勝ち、その勝ちは窮まりない。窮まりない勝ちを神という。神であれば負けないでいられる。兵は負けないことを貴ぶ。負けないかどうかは自分にあり、勝てるかどうかは相手にある。聖人は自分にある方を必とし、相手にある方は当てにしない。だから負けない術を持って、勝てる敵に対する。こうすれば兵に失敗はない。およそ兵が勝つのは、敵の失策があるからだ。失策に勝つ兵は、必ず隠れ、必ず微かに、必ず集め、必ずまとまる。隠れれば広がった敵に勝ち、微かなら目立つ敵に勝ち、集めれば散った敵に勝ち、まとまれば離れた敵に勝つ。爪や牙で襲う獣が歯や角や爪牙を使うときも、必ず低く隠れた身に託す。これが勝ちを収める理由である。

解説

この段は、兵の勇怯は気力しだいで変わるものであり、勝利の要は敵の状況に因ること、そして負けない態勢を自分の側に整えることだと説きます。数の多さより、兵の気を高めて戦わせる指揮の巧拙を重んじ、敵の要害や謀すら逆手に取って利用する因の妙、さらに不敗は己に在り勝機は敵に在るという主客の理を述べます。制御できる自分の備えを固めつつ、環境や相手を逆手に取って主導権を握るというこの発想は、リスク管理と状況の活用を軸とする現代の戦略思考に通じる、極めて実践的な兵法論です。

この章句が説くこと

勇怯不可勝決勝

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