駿台雑話 / 歲寒知松柏四
此三人は左右をはなれず、外の十九人は東西に聚散し、道路に往來して、衣食を給し、應援をなし、相與に壹心戮力て、始終一のごとし、京城陷りし時、成祖宮人に帝のあり所を詰問れしに、馬后の屍をさししめしければ、さては自から焚死しけるとて、其屍を煨爐の中よりとり出て、禮葬せられしが、其後世に建文帝いまだ死せずと沙汰しけるを聞て、ひそかに天下を搜してやまず、胡濙に命じて仙人張三丰を訪求めさせられしも、實は帝の蹤迹をたづねんがためと聞えし、よりて人に物色せられん事をおそれて、一所に留居するもかなはねは、君臣ともに影をかくし、迹をたちて、四方に漂泊す其後從亡の人皆うせはてて、兩比丘も相繼て身まかりければ、程濟一人ばかりのこりて、帝を奉護しけるが、或は屢々空にして出て糧を募り、或は侍病て出て藥を乞、その崎嶇艱難思ひやるべし、帝詩をよくす、名勝を遊歷して、多くは詩を賦して、懷舊の情をいへり、其中一首覺へ侍る、牢落西南四十秋、蕭々白髮已盈頭、乾坤有恨家何在、江漢無情水自流、長樂宮中雲氣散、朝元閣上雨聲收、新蒲細柳年々錄、野老呑聲哭未休、是を吟ずるに人をして千載の恨あらしむ、帝長命にて、成祖仁宗の兩朝を歷て、英宗正統五年に至て、奧西におはせしに、帝と同宿の僧ありしが、今において帝いでば、朝廷にあはれまれん事をはかりて、帝の詩を竊みて、自から建文帝と稱して出けれは、藩司其僧並に帝を械繫して、京師に送りしに、程濟徒跣してしたがひけり、
新字:此三人は左右をはなれず、外の十九人は東西に聚散し、道路に往来して、衣食を給し、応援をなし、相与に壱心戮力て、始終一のごとし、京城陥りし時、成祖宮人に帝のあり所を詰問れしに、馬后の屍をさししめしければ、さては自から焚死しけるとて、其屍を煨炉の中よりとり出て、礼葬せられしが、其後世に建文帝いまだ死せずと沙汰しけるを聞て、ひそかに天下を捜してやまず、胡濙に命じて仙人張三丰を訪求めさせられしも、実は帝の蹤迹をたづねんがためと聞えし、よりて人に物色せられん事をおそれて、一所に留居するもかなはねは、君臣ともに影をかくし、迹をたちて、四方に漂泊す其後従亡の人皆うせはてて、両比丘も相継て身まかりければ、程済一人ばかりのこりて、帝を奉護しけるが、或は屡々空にして出て糧を募り、或は侍病て出て薬を乞、その崎嶇艱難思ひやるべし、帝詩をよくす、名勝を遊歴して、多くは詩を賦して、懐旧の情をいへり、其中一首覚へ侍る、牢落西南四十秋、蕭々白髪已盈頭、乾坤有恨家何在、江漢無情水自流、長楽宮中雲気散、朝元閣上雨声収、新蒲細柳年々録、野老呑声哭未休、是を吟ずるに人をして千載の恨あらしむ、帝長命にて、成祖仁宗の両朝を歴て、英宗正統五年に至て、奥西におはせしに、帝と同宿の僧ありしが、今において帝いでば、朝廷にあはれまれん事をはかりて、帝の詩を窃みて、自から建文帝と称して出けれは、藩司其僧並に帝を械繋して、京師に送りしに、程済徒跣してしたがひけり、
書き下し
此三人は左右をはなれず、外の十九人は東西に聚散し、道路に往來して、衣食を給し、應援をなし、相與に壹心戮力て、始終一のごとし、京城陷りし時、成祖宮人に帝のあり所を詰問れしに、馬后の屍をさししめしければ、さては自から焚死しけるとて、其屍を煨爐の中よりとり出て、禮葬せられしが、其後世に建文帝いまだ死せずと沙汰しけるを聞て、ひそかに天下を搜してやまず、胡濙に命じて仙人張三丰を訪求めさせられしも、實は帝の蹤迹をたづねんがためと聞えし、よりて人に物色せられん事をおそれて、一所に留居するもかなはねは、君臣ともに影をかくし、迹をたちて、四方に漂泊す其後從亡の人皆うせはてて、兩比丘も相繼て身まかりければ、程濟一人ばかりのこりて、帝を奉護しけるが、或は屢々空にして出て糧を募り、或は侍病て出て藥を乞、その崎嶇艱難思ひやるべし、帝詩をよくす、名勝を遊歷して、多くは詩を賦して、懷舊の情をいへり、其中一首覺へ侍る、牢落西南四十秋、蕭々白髮已盈頭、乾坤有恨家何在、江漢無情水自流、長樂宮中雲氣散、朝元閣上雨聲收、新蒲細柳年々錄、野老呑聲哭未休、是を吟ずるに人をして千載の恨あらしむ、帝長命にて、成祖仁宗の兩朝を歷て、英宗正統五年に至て、奧西におはせしに、帝と同宿の僧ありしが、今において帝いでば、朝廷にあはれまれん事をはかりて、帝の詩を竊みて、自から建文帝と稱して出けれは、藩司其僧並に帝を械繫して、京師に送りしに、程濟徒跣してしたがひけり、
現代語訳
この三人は帝のそばを離れず、ほかの十九人は東西に集まったり散ったりし、道を行き来して衣食を調え、帝を助け、互いに心を一つにして力を合わせ、始めから終わりまで変わりませんでした。京城が陥落した時、成祖が宮人に帝の居所を問いただすと、馬后の屍を指し示したので、それでは自ら焼け死んだのだと考え、その屍を灰の中から取り出して礼をもって葬られました。ところがその後、世間で建文帝はまだ死んでいないという噂が立ったのを聞き、成祖はひそかに天下を探してやみませんでした。胡濙に命じて仙人の張三丰を訪ね求めさせたのも、実は帝の行方を探すためだったと聞こえます。そのため、人に見つけられることを恐れ、一か所に留まることもかなわず、君臣ともに影を隠し、足跡を断って、四方をさすらいました。その後、従った人々はみな亡くなり、二人の比丘も相次いで世を去り、程済ひとりが残って帝をお守りしました。時にはたびたび空の器を持って出て食糧を募り、時には病に付き添って出て薬を乞うなど、その苦労は思いやるべきものです。帝は詩に長け、名勝を巡っては多くの詩を作り、昔を懐かしむ思いを述べました。そのうち覚えている一首は次のとおりです。「西南をさすらって四十年、さびしくも白髪はすでに頭に満ちた。天地に恨みはあるのに家はどこにあろう、長江と漢水は無情にただ流れていく。長楽宮の中の雲気は散り、朝元閣の上の雨音もやんだ。新しい蒲や細い柳は年々緑になり、田舎の老人は声を呑んで泣き、その声はやまない」。これを吟ずると、人に千年の恨みを抱かせます。帝は長命で、成祖・仁宗の二つの朝廷を経て、英宗の正統五年に至り、奥西におられました。帝と同宿した僧がおり、今、帝が名乗り出れば朝廷にあわれまれるだろうと考えて、帝の詩を盗み、自分が建文帝だと称して出ていきました。藩司はその僧と帝を縛って京師に送りましたが、程済は裸足で付き従いました。
解説
この章句が説くこと
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