徂徠先生答問書 / 卷中
又愚老ごときの年はや五十にも成候人の、身の內に疝氣つかへも痰も有之。氣血も弱成候人を、扁鵲に見せたり共廿歲計の頃の健さには返されぬ物に候。身の内に年久敷有之候病は、如何に療治仕候ても、のけられぬ物にて候。粗忽なる醫者は、當分の見處に任せ、こと〴〵くに治せんと仕候故、病は愈不申、元氣をそこなひ命を縮むる類多御座候。此道理を能々會得仕候得ば、祖宗の法は改めぬ物と古人の被申候は誠に名言と存候。治亂盛衰の道も御明らめなく、人情世態に熟練なく候て、當分の是非目前の利害を思召候分にては、國の古法を改め候事は不宜事の至極に候。
新字:又愚老ごときの年はや五十にも成候人の、身の内に疝気つかへも痰も有之。気血も弱成候人を、扁鵲に見せたり共廿歳計の頃の健さには返されぬ物に候。身の内に年久敷有之候病は、如何に療治仕候ても、のけられぬ物にて候。粗忽なる医者は、当分の見処に任せ、こと〴〵くに治せんと仕候故、病は愈不申、元気をそこなひ命を縮むる類多御座候。此道理を能々会得仕候得ば、祖宗の法は改めぬ物と古人の被申候は誠に名言と存候。治乱盛衰の道も御明らめなく、人情世態に熟練なく候て、当分の是非目前の利害を思召候分にては、国の古法を改め候事は不宜事の至極に候。
書き下し
又愚老ごときの年はや五十にも成候人の、身の内に疝気つかへも痰も有之。気血も弱成候人を、扁鵲に見せたり共廿歳計の頃の健さには返されぬ物に候。身の内に年久敷有之候病は、如何に療治仕候ても、のけられぬ物にて候。粗忽なる医者は、当分の見処に任せ、こと〴〵くに治せんと仕候故、病は愈不申、元気をそこなひ命を縮むる類多御座候。此道理を能々会得仕候得ば、祖宗の法は改めぬ物と古人の被申候は誠に名言と存候。治乱盛衰の道も御明らめなく、人情世態に熟練なく候て、当分の是非目前の利害を思召候分にては、国の古法を改め候事は不宜事の至極に候。
現代語訳
また、愚老のように年がもう五十にもなった人で、体の内に疝気(腹痛)やつかえや痰もあり、気血も弱くなった人を、扁鵲(古代の名医)に見せたとしても、二十歳ほどの頃の健やかさには戻せないものです。体の内に長年ある病は、どれほど療治しても取り除けないものです。粗忽な医者は当座の見立てに任せて、ことごとく治そうとするので、病は治らず、元気を損ない命を縮める類が多くございます。この道理をよく会得すれば、祖宗の法は改めないものと古人が言われたのは、まことに名言だと存じます。治乱盛衰の道もお明らかでなく、人情世態に熟練もなくて、当座の是非や目の前の利害をお考えになる程度では、国の古法を改めることは、よくないことの極みです。
解説
この章句が説くこと
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人物志・材能矯抗の政は、侈を治むるに宜しく、之を以て弊を治むれば則ち残ふ。諧和の政は、新を治むるに宜しく、之を以て旧を治むれば則ち虚し。公刻の政は、姦を糾すに宜しく、之を以て辺を治むれば則ち衆を失ふ。
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『徂徠先生答問書』卷中一被仰下候政務の儀共、尤の様に相聞え候得共、根に入不申事と存奉候。聖人の道は、天を敬し祖宗を敬し候事を本と致し候。天より附属被成、祖宗より伝へたる国に候。自分の物と思召候事以の外なる儀に候。古より祖宗の法は改ざる物と相見え申候。開国の時に御生れ候はゞ如何様とも御心次第に候得共、御先祖より伝へ候国を、御心儘に法を御立替候半事は自由の至に候。是御先祖を御敬ひ申事にては無御座候。其害甚敷事に候。其子細は、新たに国を賜りて諸侯となる人は、あらたに家敷取をして家を造るが如くに候。先祖より持伝たる国をうけたる人は、人の造りたる古家に住がごとくに候。今其古家の住居を仕直し候半事は、如何様に直し候共、元来の物ずき別に候故、十分によくは直され申間敷候。こゝの柱をぬけ、かしこの引物をとれとて、当分の物ずきに任せて直候時は、思ひの外なる所の根駄落ち柱ゆがみ、夫より家の弱みとなり、直さぬ前よりは悪敷成候事多き物に候。愚老ごときの貧者の古家に住なれ候者ならでは、此喩をも御存知有間敷候。
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史記 孔子世家仲由をして季氏の宰と為らしめ、将に三都を墮たんとす。是に於て叔孫氏先づ郈を墮つ。季氏将に費を墮たんとす、公山不狃・叔孫輒、費人を率ゐて魯を襲ふ。公、三子と季氏の宮に入り、武子の台に登る。費人之を攻むるも、克たず、入りて公の側に及ぶ。孔子、申句須・楽頎に命じて下りて之を伐たしむ、費人北ぐ。国人之を追ひ、諸を姑蔑に敗る。二子斉に奔り、遂に費を墮つ。将に成を墮たんとす、公歛処父孟孫に謂ひて曰く、「成を墮たば、斉人必ず北門に至らん。且つ成は孟氏の保鄣なり、成無きは是れ孟氏無きなり。我将に墮たざらんとす」と。十二月、公成を囲むも、克たず。定公十四年、孔子年五十六、大司寇より相の事を行摂し、喜色有り。門人曰く、「聞く、君子は禍至りて懼れず、福至りて喜ばずと」と。孔子曰く、「是の言有り。『其の貴を以て人に下るを楽しむ』と曰はずや」と。是に於て魯の大夫の政を乱す者少正卯を誅す。国政に与り聞くこと三月、羔豚を粥ぐ者は賈を飾らず、男女の行く者は塗を別にし、塗に遺ちたるを拾はず。四方の客の邑に至る者は有司に求めず、皆之に予へて以て帰らしむ。斉人聞きて懼れて曰く、「孔子政を為さば必ず霸たらん、霸たらば則ち吾が地近し、我之れ先づ并せられん。盍ぞ地を致さざる」と。黎鉏曰く、「請ふ先づ嘗みに之を沮まん。之を沮みて可ならずんば則ち地を致すも、庸ぞ遅からんや」と。是に於て斉の国中の女子の好き者八十人を選び、皆文衣を衣て康楽を舞はしめ、文馬三十駟もて、魯君に遺る。女楽文馬を魯城の南の高門の外に陳ぬ、季桓子微服して往きて観ること再三、将に受けんとし、乃ち魯君に語りて周道の游を為さしめ、往きて観ること終日、政事に怠る。子路曰く、「夫子以て行くべし」と。孔子曰く、「魯今且に郊せんとす、如し膰を大夫に致さば、則ち吾猶ほ以て止まるべし」と。
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『徂徠先生答問書』卷中民は習るゝに安んずる物に候。久しく仕習候事は、数代の前生れぬ先より染入候事故、たとひ悪敷事にても勝手宜敷物に候。世界の人は相持なる物にて、彼是融通いたし一つらぬきに候故、年久敷なれ来候事は、方々ねざしひろごり、それに便り候て人の得用も多く候。それを急に改候へば、処々に思ひの外なるかけひづみ出来申候事思慮あるべき儀に候。周公の深く物を思案被成候事書伝に相見え候。聖人の智にてはさも有間敷事に候。殊に開国の初に候へば、御心儘に制作はなり可申にさへ、如是候は如何之儀に候哉。是非を理の儘に御さばき候は、真の是非にては無御座候。皆手前の物ずきに被成候。畢竟理学の余習御除不被成候故、御智慧短促に候と存候。此段任御懇意申進候。以上。
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『慎思録』巻之六君たり吏たる者、卑賤の人に対して、厳威過ぎて高ければ、則ち勢分相隔絶して、下に在る者、其の情を尽くすことを得ずして、下情達せず、其の利害を詳らかにすること能はず。苟も温顔にして言を受くれば、則ち下情通ず。大率政を為すの道は、下情を通ずるを以て善と為す。
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孔子家語・六本荊の公子、行年十五にして、荊の相事を摂る。孔子之れを聞き、人をして往きて其の政を為すを観しむ。使者反りて曰わく、「其の朝を視るに清浄にして事少なし。其の堂上に五老有り、其の廊下に二十壮士有り。」孔子曰わく、「二十五人の智を合わせて、以て天下を治むれば、其れ固より免れん。況んや荊においてをや。」
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