修身要領 / 第二十八条
人の世に生るゝ、智愚強弱の差なきを得ず。智強の数を増し愚弱の数を減ずるは教育の力に在り。教育は即ち人に独立自尊の道を教へて之を躬行実践するの工風を啓くものなり。
書き下し
人の世に生まるる、智愚強弱の差なきを得ず。智強の数を増し愚弱の数を減ずるは、教育の力に在り。教育は即ち人に独立自尊の道を教えて、これを躬行実践するの工夫を啓くものなり。
現代語訳
人がこの世に生まれると、賢さや愚かさ、強さや弱さの違いが生じないわけにはいきません。賢く強い人の数を増やし、愚かで弱い人の数を減らすのは、教育の力にかかっています。教育とは、人に独立自尊の道を教え、それを自分の身で行い実践する工夫を開いてやるものです。
解説
人には賢さや強さの差が生じるが、それを縮めるのは教育の力であり、教育とは独立自尊の道を教え、自ら実践する工夫を開くことだと述べる条です。賢愚強弱という言い方は当時の表現ですが、差を固定した運命と見ず、教育で変えられるものと捉えている点が要です。教える側が知識を与えるだけでなく、実践の工夫まで開くという考えは、人材育成にもそのまま通じます。部下を育てるとは、答えを渡すことより、自分で動けるようになる道筋を示すことです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
教育智愚強弱独立自尊躬行実践工夫人材育成
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