春秋左氏伝 / 定公四年 三叔の令徳
殷民七族。陶氏。施氏。繁氏。錡氏。樊氏。饑氏。終葵氏。封畛土略。自武父以南。及圃田之北竟。取於有閻之土。以共王職。取於相土之東都。以會王之東蒐。聃季授土。陶叔授民。命以康誥。而封於殷虛。皆啟以商政。疆以周索。分唐叔以大路密須之鼓。闕鞏沽洗。懷姓九宗。職官五正。命以唐誥。而封於夏虛。啟以夏政。疆以戎索。三者皆叔也。而有令德。故昭之以分物。不然。文武成康之伯猶多。而不獲是分也。唯不尚年也。管蔡啟商。惎間王室。王於是乎殺管叔而蔡蔡叔。以車七乘。徒七十人。其子蔡仲。改行帥德。周公舉之。以為己卿士。見諸王。而命之以蔡。其命書云。王曰。胡。無若爾考之違王命也。
新字:殷民七族。陶氏。施氏。繁氏。錡氏。樊氏。饑氏。終葵氏。封畛土略。自武父以南。及圃田之北竟。取於有閻之土。以共王職。取於相土之東都。以会王之東蒐。聃季授土。陶叔授民。命以康誥。而封於殷虚。皆啓以商政。疆以周索。分唐叔以大路密須之鼓。闕鞏沽洗。懐姓九宗。職官五正。命以唐誥。而封於夏虚。啓以夏政。疆以戎索。三者皆叔也。而有令徳。故昭之以分物。不然。文武成康之伯猶多。而不獲是分也。唯不尚年也。管蔡啓商。惎間王室。王於是乎殺管叔而蔡蔡叔。以車七乗。徒七十人。其子蔡仲。改行帥徳。周公舉之。以為己卿士。見諸王。而命之以蔡。其命書云。王曰。胡。無若爾考之違王命也。
書き下し
殷民七族、陶氏・施氏・繁氏・錡氏・樊氏・饑氏・終葵氏を以ってす。封畛土略、武父より以南、圃田の北竟に及ぶ。土を有閻に取りて、以って王職を共し、土を相土の東都に取りて、以って王の東蒐に會す。聃季土を授け、陶叔民を授け、命ずるに康誥を以ってして、殷虛に封ず。皆啟くに商政を以ってし、疆するに周索を以ってす。唐叔に分かつに大路・密須の鼓・闕鞏・沽洗、懷姓九宗、職官五正を以ってし、命ずるに唐誥を以ってして、夏虛に封ず。啟くに夏政を以ってし、疆するに戎索を以ってす。三者は皆叔なり。而して令德有り、故に之を昭らかにするに分物を以ってす。然らずんば、文武成康の伯猶ほ多し、而るに是の分を獲ず。唯だ年を尚ばざればなり。管蔡商を啟き、王室を惎間す。王是に於いてか管叔を殺して蔡叔を蔡(しりぞ)く、車七乘・徒七十人を以ってす。其の子蔡仲、行を改め德に帥ふ。周公之を舉げて、以って己の卿士と為し、諸を王に見えしめて、之に命ずるに蔡を以ってす。其の命書に云ふ、『王曰く、胡よ、爾の考の王命に違ひしが若くなる無かれ』と。
現代語訳
殷の遺民七族、すなわち陶氏・施氏・繁氏・錡氏・樊氏・饑氏・終葵氏を与えました。領地の境界は、武父から南、圃田の北の境までとしました。有閻の土地を取って王への職務を果たせるようにし、相土の東都の土地を取って王の東方の巡狩に参加できるようにしました。聃季(司空)が土地を授け、陶叔(司徒)が民を授け、『康誥』をもって命じて、殷の旧都に封じました。(魯と衛は)いずれも商の政治のやり方で始めさせ、周の法で境界を定めました。唐叔(晋の始祖)には大路、密須の鼓、闕鞏の甲(よろい)、沽洗の鐘、懐姓の九宗、五正の職官を分け与え、『唐誥』をもって命じて、夏の旧地に封じました。夏の政治のやり方で始めさせ、戎の法で境界を定めました。この三人はいずれも叔(年少の弟)です。しかしよい徳があったので、分け与える品々によってそれを明らかにしたのです。そうでなければ、文王・武王・成王・康王の兄弟で年長の者はまだたくさんいたのに、彼らはこのような分与を受けていません。年齢を尊ばなかったからです。管叔と蔡叔は商の遺民をそそのかして王室を裏切りました。王はそこで管叔を殺し、蔡叔を追放しました。車七乗と従者七十人をつけてです。その子の蔡仲は行いを改め、徳に従いました。周公は彼を取り立てて自分の卿士とし、王に謁見させ、蔡に封ずるよう命じました。その任命の文書にはこうあります。『王曰く、胡(蔡仲)よ、汝の父が王命に背いたようなことはするな』。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』定公四年 尚徳か尚年か君行けば師從ひ、卿行けば旅從ふ。臣事無し」と。公曰く、「行け」と。皋鼬に及び、將に蔡を衛に長(さき)んぜんとす。衛侯祝佗をして萇弘に私せしめて曰く、「諸を道路に聞く、信否を知らず。若(も)し蔡將に衛に先んぜんとすと聞く、信なるか」と。萇弘曰く、「信なり。蔡叔は康叔の兄なり。衛に先んずるも、亦た可ならずや」と。子魚曰く、「先王を以って之を觀れば、則ち德を尚ぶなり。昔武王商に克ち、成王之を定め、明德を選建して、以って周に藩屏す。故に周公王室に相として以って天下に尹たり、周に於いて睦と為す。魯公に分かつに大路・大旂、夏后氏の璜、封父の繁弱、殷民六族、條氏・徐氏・蕭氏・索氏・長勺氏・尾勺氏を以ってし、其の宗氏を帥ゐ、其の分族を輯め、其の類醜を將ゐて、以って周公に法則し、用って命に周に即かしむ。是れ之をして職を魯に事とせしめ、以って周公の明德を昭らかにす。之に土田倍敦、祝宗卜史、備物典策、官司彝器を分かち、商奄の民に因りて、命ずるに伯禽を以ってして、少皞の虛に封ず。康叔に分かつに大路・少帛・綪茷・旃旌・大呂、
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尚書・蔡仲之命惟れ周公冢宰に位し、百工を正す。群叔流言す。乃ち管叔を商に致辟し、蔡叔を郭鄰に囚ふるに、車七乗を以てす。霍叔を庶人に降し、三年歯(よはひ)せず。蔡仲克く庸(つね)に徳を祗み、周公以て卿士と為す。叔卒し、乃ち諸(これ)を王に命じて之を蔡に邦せしむ。王若(かく)のごとく曰く、「小子胡よ。惟れ爾徳に率ひて行を改め、克く厥の猷を慎む。肆に予爾に命じて東土に侯たらしむ。往きて乃の封に即け、敬せよや。爾尚はくは前人の愆を蓋ひ、惟れ忠惟れ孝なれ。爾乃ち跡を自身に邁め、克く勤めて怠ること無く、以て憲を乃の後に垂れよ。乃の祖文王の彝訓に率ひ、爾の考の王命に違ふが若くなる無かれ。
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史記 衛康叔世家衛の康叔、名は封、周の武王の同母の少弟なり。其の次に尚ほ冉季有り、冉季最も少し。武王已に殷の紂に克ち、復た殷の余民を以て紂の子武庚禄父を封じ、諸侯に比し、以て其の先祀を奉じて絶ゆること勿からしむ。武庚未だ集まらざるが為に、其の賊心有らんことを恐れ、武王乃ち其の弟管叔・蔡叔をして武庚禄父に傅相として、以て其の民を和せしむ。武王既に崩じ、成王少し。周公旦成王に代はりて治め、国に当たる。管叔・蔡叔周公を疑ひ、乃ち武庚禄父と乱を作し、成周を攻めんと欲す。周公旦成王の命を以て師を興して殷を伐ち、武庚禄父・管叔を殺し、蔡叔を放ち、武庚の殷の余民を以て康叔を封じて衛君と為し、河・淇の間の故の商墟に居らしむ。
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史記 管蔡世家文王崩じて発立つに及ぶ。是を武王と為す。伯邑考既已に前に卒す。武王已に殷の紂に克ち、天下を平らげ、功臣昆弟を封ず。是に於て叔鮮を管に封じ、叔度を蔡に封ず。二人、紂の子武庚禄父に相として、殷の遺民を治む。叔旦を魯に封じて周に相たらしめ、周公と為す。叔振鐸を曹に封じ、叔武を成に封じ、叔処を霍に封ず。康叔封・冉季載は皆少くして、未だ封を得ず。
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史記 周本紀是に於て武王再拝稽首して、曰く、「大命を膺け更め、殷を革め、天の明命を受く」と。武王又再拝稽首して、乃ち出づ。商紂の子禄父に殷の余民を封ず。武王殷の初めて定まりて未だ集まらざるが為に、乃ち其の弟管叔鮮・蔡叔度をして禄父を相けて殷を治めしむ。已にして召公に命じて箕子の囚を釈かしむ。畢公に命じて百姓の囚を釈き、商容の閭を表せしむ。南宮括に命じて鹿台の財を散じ、鉅橋の粟を発し、以て貧弱の萌隷を振はしむ。南宮括・史佚に命じて九鼎保玉を展べしむ。閎夭に命じて比干の墓を封ぜしむ。宗祝に命じて軍に享祠せしむ。乃ち兵を罷めて西に帰る。行きて狩し、政事を記し、武成を作る。諸侯を封じ、宗彝を班賜し、分殷之器物を作る。武王先聖王を追思し、乃ち神農の後を焦に、黄帝の後を祝に、帝堯の後を薊に、帝舜の後を陳に、大禹の後を杞に褒封す。是に於て功臣謀士を封じ、而して師尚父を首封と為す。尚父を営丘に封じ、斉と曰ふ。弟周公旦を曲阜に封じ、魯と曰ふ。召公奭を燕に封ず。弟叔鮮を管に、弟叔度を蔡に封ず。余は各次を以て封を受く。武王九牧の君を徴し、豳の阜に登りて、以て商邑を望む。
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『春秋左氏伝』定公四年 子大叔の九言若之何ぞ其れ蔡をして衛に先んぜしめんや。武王の母弟八人、周公は太宰為り、康叔は司寇為り、聃季は司空為り、五叔は官無し。豈に年を尚ばんや。曹は文の昭なり。晉は武の穆なり。曹は伯甸為り、年を尚ぶに非ざるなり。今將に之を尚ばんとす、是れ先王に反くなり。晉の文公踐土の盟を為す。衛の成公在らず、夷叔は其の母弟なり、猶ほ蔡に先んず。其の載書に云ふ、『王若(かく)のごとく曰く、晉の重、魯の申、衛の武、蔡の甲午、鄭の捷、齊の潘、宋の王臣、莒の期』と。周府に藏す、覆視す可きなり。吾子文武の略を復せんと欲して、其の德を正さずんば、將に之を如何せんとす」と。萇弘說び、劉子に告げ、范獻子と之を謀り、乃ち衛侯を盟に長とす。召陵より反る。鄭の子大叔未だ至らずして卒す。晉の趙簡子之が為に臨みて甚だ哀しみて曰く、「黃父の會に、夫子我に九言を語りて曰く、『亂を始むる無かれ、富を怙む無かれ、寵を恃む無かれ、同に違ふ無かれ、禮に敖る無かれ、能に驕る無かれ、怒りを復びする無かれ、德に非ざるを謀る無かれ、義に非ざるを犯す無かれ』と」と。沈人召陵に會せず。晉人蔡をして之を伐たしむ。
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