春秋左氏伝 / 昭公三十二年 物生じて両有り
十二月。公疾。遍賜大夫。大夫不受。賜子家子雙琥。一環。一璧。輕服。受之。大夫皆受其賜。己未。公薨。子家子反賜於府人曰。吾不敢逆君命也。大夫皆反其賜。書曰。公薨于乾侯。言失其所也。趙簡子問於史墨曰。季氏出其君。而民服焉。諸侯與之。君死於外。而莫之或罪也。對曰。物生有兩。有三有五。有陪貳。故天有三辰。地有五行。體有左右。各有妃耦。王有公。諸侯有卿。皆有貳也。天生季氏。以貳魯侯。為日久矣。民之服焉。不亦宜乎。魯君世從其失。季氏世脩其勤。民忘君矣。雖死於外。
新字:十二月。公疾。遍賜大夫。大夫不受。賜子家子双琥。一環。一璧。軽服。受之。大夫皆受其賜。己未。公薨。子家子反賜於府人曰。吾不敢逆君命也。大夫皆反其賜。書曰。公薨于乾侯。言失其所也。趙簡子問於史墨曰。季氏出其君。而民服焉。諸侯与之。君死於外。而莫之或罪也。対曰。物生有両。有三有五。有陪貳。故天有三辰。地有五行。体有左右。各有妃耦。王有公。諸侯有卿。皆有貳也。天生季氏。以貳魯侯。為日久矣。民之服焉。不亦宜乎。魯君世従其失。季氏世脩其勤。民忘君矣。雖死於外。
書き下し
十二月、公疾む。遍く大夫に賜ふ。大夫受けず。子家子に雙琥・一環・一璧・輕服を賜ふ。之を受く。大夫皆其の賜を受く。己未、公薨ず。子家子賜を府人に反して曰く、「吾敢へて君命に逆らはざるなり」と。大夫皆其の賜を反す。書して「公乾侯に薨ず」と曰ふは、其の所を失ふを言ふなり。趙簡子史墨に問ひて曰く、「季氏其の君を出だして、民焉に服し、諸侯之に與す。君外に死して、之を罪する或る莫きは、何ぞや」と。對へて曰く、「物の生ずるや兩有り、三有り五有り、陪貳有り。故に天に三辰有り、地に五行有り、體に左右有り、各々妃耦有り。王に公有り、諸侯に卿有り、皆貳有るなり。天季氏を生じて、以って魯侯に貳す、日を為すこと久し。民の焉に服する、亦た宜ならずや。魯君は世々其の失に從ひ、季氏は世々其の勤を脩む。民君を忘れたり。外に死すと雖も、
現代語訳
十二月、公(昭公)が病気になった。大夫たちに広く品物を賜ったが、大夫たちは受け取らなかった。子家子には一対の虎形の玉(琥)、環一つ、璧一つ、軽い衣服を賜った。子家子はこれを受け取った。すると大夫たちもみな賜り物を受け取った。己未の日、公が亡くなった。子家子は賜り物を府庫の役人に返して言った。「私はあえて君の命に逆らわなかっただけだ(受け取ったのは君の意に従うためであり、私物にするためではない)」。大夫たちもみな賜り物を返した。『春秋』が「公、乾侯に薨ず」と書いたのは、公が本来いるべき場所で死ななかったことを言うのである。趙簡子(趙鞅)が史墨に尋ねた。「季氏はその君主を追い出したのに、民はそれに服し、諸侯も季氏に味方している。君主が国外で死んでも、誰も季氏を罪に問わない。これはなぜか」。史墨は答えた。「物が生まれるときには、二つの組があり、三つの組、五つの組があり、また補佐となる副があります。だから天には三辰(日・月・星)があり、地には五行があり、体には左右があり、それぞれに対となるものがあります。王には公がおり、諸侯には卿がいて、みな副があるのです。天は季氏を生んで魯侯の副としました。その期間はすでに長い。民がこれに服するのも当然ではありませんか。魯の君主は代々その失政を重ね、季氏は代々その勤めを修めてきました。民は君主を忘れてしまったのです。国外で死んだとしても、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』懼戒魯の昭公、乾侯に薨ず。趙簡子、史墨に問いて曰く「季氏其の君を出だして、民服し、諸侯之に与す。君外に死して之を罪する或る莫きは、何ぞや」と。対えて曰く「物の生ずるに両有り、三有り、五有り、陪弐有り。故に天に三辰有り〔三有るを謂う〕、地に五行有り〔五有るを謂う〕、体に左右有り〔両有るを謂う〕、各々妃耦有り〔陪弐を謂う〕。王に公有り、諸侯に卿有り、皆其の弐なり。天、季氏を生じて、以て魯侯に弐たらしむること、日久しと為す。民の服するは、亦た宜ならずや。魯君は世々其の失に従い、季氏は世々其の勤を修め、民は君を忘る。外に死すと雖も、其れ誰か之を矜れまん。
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 子猶、賄を受く二十六年春、王の正月、庚申、齊侯鄆を取る。宋の元公を葬ること、先君の如くす、禮なり。三月、公齊より至り、鄆に處る。魯の地を言ふなり。夏、齊侯將に公を納れんとし、魯の貨を受くること無かれと命ず。申豐、女賈に從ひ、幣錦二兩を以って、縛りて一にすること瑱(てん)の如くし、齊の師に適く。子猶の人高齮(こうき)に謂ふ、「能く子猶に貨せば、高氏の後と為さん、粟五千庾(ゆ)あらん」と。高齮錦を以って子猶に示す。子猶之を欲す。齮曰く、「魯人之を買ふこと、百兩一布なり。道の通ぜざるを以って、先づ幣財を入るるのみ」と。子猶之を受く。齊侯に言ひて曰く、「群臣の力を魯君に盡くさざるは、君に事ふる能はざるに非ざるなり。然れども據(きょ)異とする有り。宋の元公魯君の為に晉に如き、曲棘に卒す。叔孫昭子其の君を納れんことを求め、疾無くして死す。知らず天の魯を棄つるか、抑も魯君鬼神に罪有るか。
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『春秋左氏伝』昭公二十五年 将に人に求めんとせば先ず下る罪を負ひて以って出でしめよ。君止まれ。意如の君に事ふるや、敢へて改めずんばあらず」と。公曰く、「余忍びざるなり」と。臧孫と墓に如きて謀り、遂に行く。己亥、公齊に孫(のが)れ、陽州に次る。齊侯將に公を平陰に唁(いた)まんとす。公先づ野井に至る。齊侯曰く、「寡人の罪なり。有司をして平陰に待たしむるは、近きが為の故なり」と。書して曰く、「公齊に孫れ、陽州に次る。齊侯公を野井に唁む」と。禮なり。將に人に求めんとすれば、則ち先づ之に下る、禮の善物なり。齊侯曰く、「莒の疆より以西、請ふ千社を致して、以って君の命を待たん。寡人將に敝賦を帥ゐて、以って執事に從はんとす。唯だ命を是れ聽かん。君の憂ひは、寡人の憂ひなり」と。公喜ぶ。子家子曰く、「天祿は再びせず。天若し君に胙(さいはひ)せば、周公に過ぎざらん。魯を以ってすれば足れり。魯を失ひて千社を以って臣と為らば、誰か之と與に立たん。且つ齊君は信無し。早く晉に之くに如かず」と。從はず。臧昭伯、從者を率ゐて將に盟はんとす。載書に曰く、「力を戮(あは)せ心を壹にし、好惡之を同じくせん。罪の有無を信(あき)らかにし、繾綣(けんけん)として公に從ひ、外内を通ずること無からん」と。公の命を以って子家子に示す。
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『春秋左氏伝』昭公三十二年 器と名は人に仮さず其れ誰か之を矜(あはれ)まん。社稷に常奉無く、君臣に常位無し。古より以って然り。故に詩に曰く、『高岸谷と為り、深谷陵と為る』と。三后の姓、今に於いて庶と為る。王の知る所なり。易の卦に在りて、雷乾に乘るを大壯と曰ふ、天の道なり。昔成季友は、桓の季なり、文姜の愛子なり。始めて震(はら)みて卜す。卜人之を謁して曰く、『生まれて嘉聞有り、其の名を友と曰ひ、公室の輔と為らん』と。生まるるに及びて卜人の言の如く、文の其の手に在る有りて、友と曰ふ。遂に以って之に名づく。既にして大功を魯に有り、費を受けて以って上卿と為る。文子・武子に至りて、世々其の業を增し、舊績を廢せず。魯の文公薨じて、東門遂適を殺し庶を立つ。魯君是に於いてか國を失ひ、政季氏に在り。此の君に於いて、四公なり。民君を知らず、何を以ってか國を得ん。是を以って君為る者は、器と名とを慎み、以って人に假す可からず」と。
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『春秋左氏伝』昭公二十九年 務人、此の禍を為す二十九年春、公乾侯より至り、鄆に處る。齊侯、高張をして來たりて公を唁(いた)ましめ、主君と稱す。子家子曰く、「齊君を卑しめり。君祇(ただ)辱めらるるのみ」と。公乾侯に如く。三月己卯、京師、召伯盈、尹氏固及び原伯魯の子を殺す。尹固の復るや、婦人の之に周の郊に遇ふ有り。之を尤めて曰く、「處りては則ち人に禍を為すを勸め、行きては則ち數日にして反る。是の夫や、其れ三歲を過ぎんや」と。夏五月庚寅、王子趙車鄻(れん)に入りて以って叛く。陰不佞之を敗る。平子每歲馬を賈(か)ひ、從者の衣屨を具へて、之を乾侯に歸る。公、馬を歸る者を執へて之を賣る。乃ち馬を歸らず。衛侯來たりて其の乘馬を獻ず、啟服と曰ふ。塹(ほり)にて死す。公將に之が為に櫝(ひつぎ)せんとす。子家子曰く、「從者病めり。請ふ以って之に食はしめん」と。乃ち幃を以って之を裹む。公、公衍に羔裘を賜ひ、龍輔を齊侯に獻ぜしむ。遂に羔裘を入る。齊侯喜び、之に陽穀を與ふ。公衍・公為の生まるるや、其の母偕に出づ。公衍先に生まる。公為の母曰く、「相與に偕に出づ、請ふ相與に偕に告げん」と。三日にして公為生まる。其の母先づ以って告ぐ。公為兄と為る。公私かに陽穀を喜びて、魯を思ひて曰く、「務人、此の禍を為すなり。且つ後に生まれて兄と為る、其の誣ふるや久し」と。乃ち之を黜(しりぞ)けて、公衍を以って大子と為す。秋、龍、絳の郊に見はる。
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『春秋左氏伝』定公元年 子家羈、逃る三月、諸を京師に歸す。城くこと三旬にして畢はる。乃ち歸る。諸侯の戍、齊の高張後れ、諸侯に從はず。晉の女叔寬曰く、「周の萇弘、齊の高張、皆將に免れざらんとす。萇叔は天に違ひ、高子は人に違ふ。天の壞る所は、支ふ可からざるなり。衆の為す所は、奸(をか)す可からざるなり」と。夏、叔孫成子、公の喪を乾侯に逆ふ。季孫曰く、「子家子亟(しばしば)我に言ひ、未だ嘗て吾が志に中らずんばあらず。吾之と與に政に從はんと欲す。子必ず之を止め、且つ命を聽け」と。子家子叔孫を見ず、幾(とき)を易へて哭す。叔孫子家子に見えんことを請ふ。子家子辭して曰く、「羈未だ見ゆるを得ずして、君に從ひて以って出づ。君命ぜずして薨ず。羈敢へて見えず」と。叔孫之に告げしめて曰く、「公衍・公為、實に群臣をして君に事ふるを得ざらしむ。若し公子宋社稷を主らば、則ち群臣の願ひなり。凡そ君に從ひて出でて以って入る可き者は、將に唯だ子のみ是れ聽かんとす。子家氏未だ後有らず、季孫子と與に政に從はんことを願ふ。此れ皆季孫の願ひなり。敢へて以って告げざらしむ」と。對へて曰く、「若し君を立てば、則ち卿大夫と守龜と在る有り、羈敢へて知らず。若し君に從ふ者は、則ち貌にして出づる者は、入りて可なり。寇にして出づる者は、行きて可なり。羈の若きは、則ち君其の出づるを知れども、未だ其の入るを知らず。羈將に逃れんとす」と。喪壞隤に及ぶ。公子宋先に入る。公に從ふ者皆壞隤より反る。
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