春秋左氏伝 / 昭公十九年 乱門を過ぐる無かれ
大夫謀對。子產不待而對客曰。鄭國不天。寡君之二三臣。札瘥夭昏。今又喪我先大夫偃。其子幼弱。其一二父兄。懼隊宗主。私族於謀。如立長親。寡君與其二三老曰。抑天實剝亂。是吾何知焉。諺曰。無過亂門。民有亂兵。猶憚過之。而況敢知天之所亂。今大夫將問其故。抑寡君實不敢知。其誰實知之。平丘之會。君尋舊盟曰。無或失職。若寡君之二三臣。其即世者。晉大夫而專制其位。是晉之縣鄙也。何國之為。辭客幣而報其使。晉人舍之。楚人城州來。沈尹戌曰。楚人必敗。昔吳滅州來。子旗請伐之。
新字:大夫謀対。子産不待而対客曰。鄭国不天。寡君之二三臣。札瘥夭昏。今又喪我先大夫偃。其子幼弱。其一二父兄。懼隊宗主。私族於謀。如立長親。寡君与其二三老曰。抑天実剥乱。是吾何知焉。諺曰。無過乱門。民有乱兵。猶憚過之。而況敢知天之所乱。今大夫将問其故。抑寡君実不敢知。其誰実知之。平丘之会。君尋旧盟曰。無或失職。若寡君之二三臣。其即世者。晋大夫而専制其位。是晋之県鄙也。何国之為。辞客幣而報其使。晋人舎之。楚人城州来。沈尹戌曰。楚人必敗。昔呉滅州来。子旗請伐之。
書き下し
大夫對へんことを謀る。子產待たずして客に對へて曰く、「鄭國天(さいはひ)せられず、寡君の二三臣、札瘥夭昏す。今又我が先大夫偃を喪ふ。其の子幼弱なり。其の一二の父兄、宗主を隊(おと)さんことを懼れ、族に私(ひそ)かに謀りて、長親を立つ。寡君其の二三老と曰く、『抑も天實に剝亂す。是れ吾何をか知らん』と。諺に曰く、『亂門を過ぐること無かれ』と。民に亂兵有るも、猶ほ之を過ぐるを憚る。而るを況んや敢へて天の亂す所を知らんや。今大夫將に其の故を問はんとす。抑も寡君實に敢へて知らず。其れ誰か實に之を知らん。平丘の會に、君舊盟を尋(あたた)めて曰く、『職を失ふこと或る無かれ』と。若し寡君の二三臣、其の世に即く者、晉の大夫にして其の位を專制せば、是れ晉の縣鄙なり。何の國か之れ為さん」と。客の幣を辭して其の使に報ず。晉人之を舍く。楚人州來に城く。沈尹戌曰く、「楚人必ず敗れん。昔吳州來を滅ぼす。子旗之を伐たんと請ふ。
現代語訳
鄭の大夫たちはどう答えるか相談した。子産はその結論を待たずに、晋の使者に答えて言った。「鄭の国は天の恵みを受けず、わが君の臣下たちは疫病にかかったり若死にしたりしております。いままた先の大夫である偃(駟偃)を失いました。その子は幼く弱い。一族の父や兄の一人二人が、宗家の主を失って家が絶えるのを恐れ、一族の中で内々に相談して、年長の近親を立てたのです。わが君は重臣たちと『これは天が乱しているのであろう。我々がどうして関わり知ろうか』と話しておりました。諺に『乱れのある家の門前を通るな』とあります。民の間に争いの兵があっても、人はその前を通るのをはばかるものです。まして天が乱していることに、どうしてあえて関わりましょうか。いま晋の大夫がそのわけをお尋ねになりますが、実のところわが君もあえて知ろうとはしておりません。では誰が本当にそれを知っているのでしょうか。平丘の会で、晋君は古い盟約を再確認して『それぞれの職分を失わせるな』とおっしゃいました。もしわが君の臣下で世を去った者の跡継ぎを、晋の大夫が思うままに決めるとなれば、鄭は晋の辺境の一県にすぎなくなります。どうして国と言えましょうか」。子産は使者の贈り物を辞退し、使者に返礼して帰らせた。晋はこの件を不問にした。楚が州来に城を築いた。沈尹戌(しんいんじゅつ、楚の大夫)が言った。「楚は必ず敗れるであろう。昔、呉が州来を滅ぼしたとき、子旗(楚の大夫)がこれを討とうと願い出たが、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公三十一年 子産、館垣を壊す癸酉、襄公を葬る。公薨ずるの月、子產鄭伯に相として以て晉に如く。晉侯我が喪の故を以て、未だ之に見えず。子產盡く其の館の垣を壞たしめて、車馬を納る。士文伯之を讓めて曰く、「敝邑は政刑の脩まらざるを以て、寇盜充斥す。諸侯の屬の、辱くも寡君に在る者を若何せん。是を以て吏人をして客の館する所を完くし、其の閈閎を高くし、其の牆垣を厚くし、以て客使を憂へしむること無からしむ。今吾子之を壞つ。從者能く戒むと雖も、其れ異客を若何せん。敝邑の盟主為るを以て、繕完葺牆して、以て賓客を待つ。若し皆之を毀たば、其れ何を以て命に共せん。寡君匄をして命を請はしむ」と。對へて曰く、「敝邑の褊小にして、大國に介まり、誅求時無きを以て、是を以て敢へて寧居せず、悉く敝賦を索めて、以て來りて時事に會す。執事の間あらざるに逢ひて、未だ見ゆるを得ず、又命を聞くを獲ず、未だ見ゆる時を知らず。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 子産、楚を禦がず冬、十月、楚子鄭を伐つ。鄭人將に之を禦がんとす。子產曰く、「晉・楚將に平らがんとし、諸侯將に和せんとす。楚王是の故に一たび來るに昧るのみ。逞くして歸らしむるに如かず。乃ち成り易からん。夫れ小人の性は、勇に釁き、禍に嗇り、以て其の性を足して、名を求むる者は、國家の利に非ざるなり。若何ぞ之に從はん」と。子展說び、寇を禦がず。十二月、乙酉、南里に入り、其の城を墮ち、樂氏に涉り、師之梁に門す。縣門發し、九人を獲たり。氾を涉りて歸る。而る後に許の靈公を葬る。衛人衛姬を晉に歸る。乃ち衛侯を釋す。君子是を以て平公の政を失ふを知る。晉の韓宣子周に聘す。王事を請はしむ。對へて曰く、「晉の士起將に時事を宰旅に歸せんとす。他事無し」と。王之を聞きて曰く、「韓氏其れ晉に昌阜ならんか。辭舊を失はず」と。齊人郟に城くの歲、其の夏、齊の烏餘廩丘を以て晉に奔る。衛の羊角を襲ひて之を取る。遂に我が高魚を襲ふ。大雨有り、其の竇より入り、其の庫に介して、以て其の城に登り、克ちて之を取る。又邑を宋に取る。是に於いて范宣子卒す。諸侯治むる能はず。趙文子政を為すに及び、乃ち卒に之を治む。文子晉侯に言ひて曰く、「晉盟主為り。諸侯或いは相侵さば、則ち討ちて其の地を歸さしむ。今烏餘の邑は、皆討類なり。而るに之を貪るは、是れ以て盟主為ること無きなり。請ふ之を歸さん」と。公曰く、「諾。孰か使ふべき」と。對へて曰く、「胥梁帶能く師を用ゐること無からん」と。晉侯往かしむ。
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『春秋左氏伝』襄公二十二年 子産、晋の徴朝に対う二十二年春、臧武仲晉に如く。雨ふる。御叔に過(よぎ)る。御叔其の邑に在り、將に酒を飲まんとす。曰く、「焉んぞ聖人を用ゐん。我は將に酒を飲まんとするのみ。雨に行く、何ぞ聖を以って為さん」と。穆叔之を聞きて曰く、「使ふ可からざるなり。而も使人に傲る、國の蠹なり」と。其の賦を倍せしむ。夏、晉人朝を鄭に徵す。鄭人少正公孫僑をして對へしめて曰く、「晉の先君悼公の九年に在りて、我が寡君是に於いて位に即く。位に即きて八月にして、我が先大夫子駟、寡君に從ひて以って執事に朝す。執事寡君に禮せず。寡君懼る。是の行に因りて、我が二年六月、楚に朝す。晉是を以って戲の役有り。楚人猶ほ競ひて禮を敝邑に申ぶ。敝邑執事に從はんと欲すれども、大尤と為らんことを懼る。曰く、『晉其れ我を有禮に共せずと謂はん』と。是を以って敢へて楚に攜貳せず。我が四年三月、先大夫子蟜又寡君に從ひて以って釁を楚に觀る。晉是に於いてか蕭魚の役有り。我が敝邑を謂ふ、『晉國に邇く在り。諸を草木に譬ふれば、吾が臭味なり。而るに何ぞ敢へて差池せん』と。楚も亦た競はず。寡君其の土實を盡し、之に重ぬるに宗器を以ってし、以って齊盟を受く。遂に群臣を帥ゐて執事に隨ひ、以って歲終に會す。楚に貳する者、子侯・石盂は、歸りて之を討ず。溴梁の明年、子蟜老いたり。公孫夏寡君に從ひて以って君に朝し、嘗酎に見え、燔を執るに與る。間くこと二年、君將に東夏を靖んぜんとすと聞く。
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『春秋左氏伝』昭公十九年 民を撫するとは王曰く、『吾未だ吾が民を撫せず』と。今も亦た之の如し。而るに州來に城きて以て吳を挑む。能く敗るること無からんや」と。侍者曰く、「王施舍して倦まず、民を息はしむること五年、之を撫すと謂ふ可し」と。戌曰く、「吾聞く、民を撫する者は、用を内に節して、德を外に樹つ。民其の性を樂しみて、寇讎無し、と。今宮室量無く、民人日に駭き、勞罷死轉して、寢と食とを忘る。之を撫するに非ざるなり」と。鄭大いに水あり。龍時門の外の洧淵に鬥ふ。國人禜を為さんと請ふ。子產許さず。曰く、「我鬥ふも、龍我を覿ず。龍鬥ふも、我獨り何ぞ覿ん。之を禳へば、則ち彼其の室なり。吾龍に求むる無く、龍も亦た我に求むる無し」と。乃ち止むなり。令尹子瑕蹶由を楚子に言ひて曰く、「彼何の罪かある。諺に所謂『室に怒りて、市に色す』とは、楚の謂なり。前の忿りを舍てて、可なり」と。乃ち蹶由を歸す。
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『春秋左氏伝』昭公十八年 許を析に遷す邊人恐懼して、敢へて告げずんばあらず」と。子產對へて曰く、「吾子の言の若くんば、敝邑の災は、君の憂ひなり。敝邑政を失ひて、天之に災を降す。又讒慝の之を間謀して、以て貪人を啟き、荐(しき)りに敝邑の不利を為して、以て君の憂ひを重ねんことを懼る。幸ひにして亡びずんば、猶ほ說く可きなり。不幸にして亡びなば、君之を憂ふと雖も、亦た及ぶ無し。鄭他竟有るも、望走は晉に在り。既に晉に事ふ、其れ敢へて二心有らんや」と。楚の左尹王子勝楚子に言ひて曰く、「許の鄭に於けるは、仇敵なり。而るに楚の地に居りて、以て鄭に禮あらず。晉・鄭方に睦まじ。鄭若し許を伐ちて、晉之を助けば、楚地を喪はん。君盍ぞ許を遷さざる。許は楚に專らならず。鄭は方に令政有り。許は曰く、『余が舊國なり』と。鄭は曰く、『余が俘邑なり』と。葉は楚國に在りて、方城の外の蔽なり。土は易ふ可からず、國は小とす可からず、許は俘とす可からず、讎は啟く可からず。君其れ之を圖れ」と。楚子說ぶ。冬、楚子王子勝をして許を析に遷さしむ。實に白羽なり。
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『春秋左氏伝』昭公十三年 子産、承を争う牛瘠せたりと雖も、豚の上に僨れなば、其れ死せざるを畏れんや。南蒯・子仲の憂、其れ庸ぞ棄つ可けんや。若し晉の眾を奉じ、諸侯の師を用ひ、邾・莒・杞・鄫の怒りに因りて、以って魯の罪を討ち、其の二憂に間せば、何を求めてか克たざらん」と。魯人懼れて命を聽く。甲戌、平丘に同盟す。齊服すればなり。諸侯をして日中に除に造らしむ。癸酉、朝を退く。子產外僕に命じて速やかに除に張らしむ。子大叔之を止め、明日を待たしむ。夕に及び、子產其の未だ張らざるを聞き、速やかに往かしむ。乃ち張る所無し。盟に及びて、子產承を爭ひて曰く、「昔天子貢を班つに、輕重は列を以ってす。列尊ければ貢重きは、周の制なり。卑しくして貢重き者は、甸服なり。鄭伯は、男なり。而るに公侯の貢に從はしむ。給せざるを懼るるなり。敢へて以って請ふと為す。諸侯兵を靖んじ、好以って事と為す。行理の命、月として至らざる無し。貢の藝無く、小國闕有るは、罪を得る所以なり。諸侯盟を脩むるは小國を存するなり。貢獻極まり無くんば、亡ぶること待つ可きなり。存亡の制、
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