晏子春秋 / 問下・叔向問意孰為高行孰為厚晏子對以愛民樂民/叔向問嗇吝愛之于行何如晏子對以嗇者君子之道
叔向問晏子曰:「意孰為高?行孰為厚?」對曰:「意莫高於愛民,行莫厚于樂民。」又問曰:「意孰為下,行孰為賤?」對曰:「意莫下於刻民,行莫賤於害身也。」叔向問晏子曰:「嗇、吝、愛之於行何如?」晏子對曰:「嗇者,君子之道,吝愛者,小人之行也。」叔向曰:「何謂也?」晏子曰:「稱財多寡而節用之,富無金藏,貧不假貸,謂之嗇。積多不能分人,而厚自養,謂之吝。不能分人,又不能自養,謂之愛。故夫嗇者,君子之道;吝愛者,小人之行也。」
新字:叔向問晏子曰:「意孰為高?行孰為厚?」対曰:「意莫高於愛民,行莫厚于楽民。」又問曰:「意孰為下,行孰為賤?」対曰:「意莫下於刻民,行莫賤於害身也。」叔向問晏子曰:「嗇、吝、愛之於行何如?」晏子対曰:「嗇者,君子之道,吝愛者,小人之行也。」叔向曰:「何謂也?」晏子曰:「称財多寡而節用之,富無金蔵,貧不仮貸,謂之嗇。積多不能分人,而厚自養,謂之吝。不能分人,又不能自養,謂之愛。故夫嗇者,君子之道;吝愛者,小人之行也。」
書き下し
叔向、晏子に問いて曰く、「意は孰れか高しと為し、行いは孰れか厚しと為す」と。対えて曰く、「意は民を愛するより高きは莫く、行いは民を楽しましむるより厚きは莫し」と。又問いて曰く、「意は孰れか下しと為し、行いは孰れか賤しと為す」と。対えて曰く、「意は民を刻するより下きは莫く、行いは身を害するより賤しきは莫し」と。叔向、晏子に問いて曰く、「嗇・吝・愛の行いに於ける何如」と。晏子対えて曰く、「嗇なる者は、君子の道なり。吝愛なる者は、小人の行いなり」と。叔向曰く、「何の謂いぞ」と。晏子曰く、「財の多寡に称いて之を節用し、富みて金蔵無く、貧しくして貸を仮らざる、之を嗇と謂う。積むこと多くして人に分かつ能わず、而して厚く自ら養う、之を吝と謂う。人に分かつ能わず、又自ら養う能わざる、之を愛と謂う。故に夫れ嗇なる者は、君子の道なり。吝愛なる者は、小人の行いなり」と。
現代語訳
叔向が晏子に尋ねました。「心の持ち方は何が高く、行いは何が厚いと言えますか」。晏子は答えました。「心は民を愛することより高いものはなく、行いは民を楽しませることより厚いものはありません」。さらに尋ねました。「心は何が低く、行いは何が賤しいですか」。晏子は答えました。「心は民を苛酷に扱うことより低いものはなく、行いは自分を傷つけることより賤しいものはありません」。叔向は晏子に尋ねました。「嗇・吝・愛は、行いとしてどうですか」。晏子は答えました。「嗇は君子の道、吝や愛は小人の行いです」。叔向は言いました。「どういうことですか」。晏子は言いました。「財産の多少に見合って節約して使い、富んでも金を溜め込まず、貧しくても借金に頼らないことを、嗇と言います。多く蓄えて人に分けられず、自分だけを厚く養うことを、吝と言います。人に分けられず、自分も養えないことを、愛と言います。ですから嗇は君子の道、吝や愛は小人の行いなのです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』辭過子墨子曰く、古の民、未だ宫を為るを知らざる時、陵阜に就きて以て居り、穴して處る。下、潤濕にして民を傷る。故に聖王、作りて宫室を為る。宫室を為るの法に曰く、髙さは以て潤濕を辟くるに足り、邊は以て風寒を圉ぐに足り、上は以て雪霜雨露を待つに足り、宫牆の髙さは、以て男女の禮を别つに足る。謹んで此に止まり、財を費やし力を勞して利を加えざる者は、為さざるなり。是の故に聖王の宫室を作り為るは、生に使するにして、以て觀樂を為さざるなり。衣服・帯履を作り為るは、身に便なるにして、以て辟怪を為さざるなり。故に身に節し、民に誨う。是を以て天下の民、得て治む可く、財用、得て足る可し。今の主に當たりては、其の宫室を為るや則ち此と異なれり。必ず厚く百姓に作斂し、暴かに民の衣食の財を奪いて、以て宫室・臺榭・曲直の望、青黄刻鏤の飾りを為る。宫室を為ること此くの若し。故に左右皆な之に法象す。是を以て其の財、以て凶饑を待ち孤寡を賑わすに足らず。故に國貧しくして民治め難きなり。君、實に天下の治を欲して其の亂を惡まば、當に宫室を為るは節せざる可からず。
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『墨子』辭過古の民、未だ衣服を為るを知らざる時、皮を衣、茭を帶び、冬は則ち輕からずして温かならず、夏は則ち輕からずして凊しからず。聖王、以て人の情に中らずと為す。故に婦人に誨えて絲麻を治め役し、布絹を捆ちて、以て民の衣を為らしむ。衣服を為るの法は、冬夏には則ち練帛の飾り、以て温かにして且つ清きを為すに足り、謹んで此に止まる。故に聖人の衣服を為るは、身體に適い肌膚に和して足れりとし、耳目を榮えしめて愚民に觀せしむるに非ざるなり。是の時に當たりて、堅車良馬も貴ぶを知らざるなり、刻鏤文采も喜ぶを知らざるなり。何となれば則ち、其の道く所、然らしむればなり。故に民の衣食の財、家、以て旱水凶饑を待つに足る者は、何ぞや。其の自ら養う所以の情を得て、外に感ぜざればなり。是を以て其の民は儉にして治め易く、其の君は財を用うること節にして贍らし易きなり。府庫は實ち滿ち、以て不然を待つに足る。兵革は頓れず、士民は勞れず、以て不服を征するに足る。故に霸王の業、天下に行う可し。
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『墨子』節用上聖人、一國に政を為さば、一國、倍す可きなり。之を大にして天下に政を為さば、天下、倍す可きなり。其の之を倍するは、外に地を取るに非ざるなり。其の國家に因りて、其の無用を去れば、以て之を倍するに足る。聖王の政を為すや、其の令を發し事を興し、民を便にし財を用うるや、用を加えずして為す者無し。是の故に財を用うるに費えず、民の徳、勞せずして、其の利を興すこと多し。
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『弁名』節儉倹は用を節するなり。「温良恭倹譲」の如き、宋儒誤りて以て聖人の威儀と為し、遂に倹は止だ用を節するのみならずと謂ふ者は、非なり。蓋し倹は仁人の道なり、王者の大徳なり。堯舜の茅茨剪らず、土階三尺、禹の衣服を悪しくし、飲食を菲くし、宮室を卑くす、豈に然らずや。孟子の所謂「民を仁して物を愛す」は、蓋し古言なり。物を愛惜するを謂ふなり。孟子に又た牛を愛するの説有るに因りて、宋儒誤りて以て慈愛の愛と為す者は、非なり。「数罟洿池に入れず、斧斤時を以て山林に入る」は、皆天物を暴はざるの義なり。若し徒らに慈愛を以て之を言はば、則ち孰れか浮屠の殺を戒むるに若かんや。孟子の仁術を以て之を言ふ所以の者は、以て斉王を誘はんと欲すればなり。其の弁を好むの失、率ね是くの如きのみ。
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『慎思録』巻之二財は国家の資用する所にして、民命の繋かる所なり。故に財竭くれば則ち自ら給するに足らず。況んや貧窮を贍し、礼義を行ひ、廉恥を励まし、有功を賞し、兵を行ひ敵を防ぐをや。凡そ国家の百事、挙行するを得べからざらんや。故に国家を治むるの道は、理財を以て要と為す。然れども財を足すの道は、本を務めて用を節するに在り。本を務むとは、稼穡を教へ、種植を勧め、民力を惜しみ、貧乏を賑はすに在るのみ。貪求侵奪の謂ひに非ざるなり。用を節すとは、入るを量りて出づるを為し、冗費を裁制し、奢華を禁止するに在るのみ。吝嗇刻薄の謂ひに非ざるなり。大学の書の、財を生ずるに大道有りの一節は、是れ理財の大略なり。小人の貪求侵奪と吝嗇刻薄との如きは、是れ財を生ずるの小道なり。
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『墨子』辭過古の民、未だ飲食を為るを知らざる時、素食して分れ處る。故に聖人、作りて男に耕稼樹藝を誨えて、以て民の食を為らしむ。其の食を為るや、以て氣を増し虚を充たし、體を彊くし腹に適うに足るのみ。故に其の財を用うること節にして、其の自ら養うこと儉なれば、民富み國治まる。今は則ち然らず。厚く百姓に作斂して、以て美食・芻豢・蒸炙・魚鼈を為り、大國は百器を累ね、小國は十器を累ね、前は方丈にして、目は徧く視る能わず、手は徧く操る能わず、口は徧く味わう能わず。夏は則ち冰を設け、冬は則ち饐を飾る。人君の飲食を為すこと此くの如し。故に左右之に象る。是を以て富貴なる者は奢侈にして、孤寡なる者は凍餒す。亂無からんと欲するも、得可からざるなり。君、實に天下の治を欲して其の亂を惡まば、當に飲食を為すは節せざる可からず。
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