春秋左氏伝 / 昭公十九年 寡婦の縄
秋。齊高發帥師伐莒。莒子奔紀鄣。使孫書伐之。初。莒有婦人。莒子殺其夫。己為嫠婦。及老。託於紀鄣。紡焉以度而去之。及師至。則投諸外。或獻諸子占。子占使師夜縋而登。登者六十人。縋絕。師鼓譟。城上之人亦譟。莒共公懼。啟西門而出。七月。丙子。齊師入紀。是歲也。鄭駟偃卒。子游娶於晉大夫。生絲弱。其父兄立子瑕。子產憎其為人也。且以為不順。弗許。亦弗止。駟氏聳。他日。絲以告其舅。冬。晉人使以幣如鄭。問駟乞之立故。駟氏懼。駟乞欲逃。子產弗遣。請龜以卜。亦弗予。
新字:秋。斉高発帥師伐莒。莒子奔紀鄣。使孫書伐之。初。莒有婦人。莒子殺其夫。己為嫠婦。及老。託於紀鄣。紡焉以度而去之。及師至。則投諸外。或献諸子占。子占使師夜縋而登。登者六十人。縋絶。師鼓譟。城上之人亦譟。莒共公懼。啓西門而出。七月。丙子。斉師入紀。是歳也。鄭駟偃卒。子游娶於晋大夫。生糸弱。其父兄立子瑕。子産憎其為人也。且以為不順。弗許。亦弗止。駟氏聳。他日。糸以告其舅。冬。晋人使以幣如鄭。問駟乞之立故。駟氏懼。駟乞欲逃。子産弗遣。請亀以卜。亦弗予。
書き下し
秋、齊の高發師を帥ゐて莒を伐つ。莒子紀鄣に奔る。孫書をして之を伐たしむ。初め、莒に婦人有り。莒子其の夫を殺し、己は嫠婦と為る。老ゆるに及びて、紀鄣に託す。紡ぎて以て度りて之を去(をさ)む。師至るに及び、則ち諸を外に投ず。或ひと諸を子占に獻ず。子占師をして夜縋(つな)して登らしむ。登る者六十人。縋絕ゆ。師鼓譟し、城上の人も亦た譟す。莒の共公懼れ、西門を啟きて出づ。七月、丙子、齊師紀に入る。是の歲や、鄭の駟偃卒す。子游晉の大夫に娶りて、絲を生む。弱し。其の父兄子瑕を立つ。子產其の為人を憎み、且つ以て不順と為す。許さず、亦た止めず。駟氏聳(おそ)る。他日、絲以て其の舅に告ぐ。冬、晉人をして幣を以て鄭に如かしめ、駟乞の立つ故を問ふ。駟氏懼る。駟乞逃れんと欲す。子產遣らず。龜を請ひて以て卜せんとするも、亦た予へず。
現代語訳
秋、斉の高発が軍を率いて莒を攻めた。莒子(莒の共公)は紀鄣に逃げ込んだ。斉は孫書(子占)にこれを攻めさせた。これより前、莒に一人の婦人がいた。莒子がその夫を殺し、彼女は寡婦となった。年老いてから紀鄣に身を寄せ、糸を紡いで縄をない、城壁の高さを測ってその長さに合わせ、しまっておいた。斉軍がやって来ると、その縄を城壁の外に投げ下ろした。ある者がそれを子占(孫書)に献上した。子占は兵に夜、その縄を伝って城壁を登らせた。登った者が六十人に達したところで縄が切れた。そこで城外の軍は太鼓を打ち鳴らして鬨の声をあげ、城壁の上の兵も呼応して声をあげた。莒の共公は恐れて西門を開いて逃げ出した。七月丙子、斉軍は紀鄣に入った。この年、鄭の駟偃(しえん、字は子游)が亡くなった。子游は晋の大夫の娘を娶り、絲という子を生んでいたが、まだ幼かった。駟氏の父や兄たちは子瑕(駟乞、子游の叔父)を跡継ぎに立てた。子産は駟乞の人柄を憎み、しかも順序にかなわないと考えた。認めもしなかったが、止めもしなかった。駟氏の人々は恐れた。後日、絲はこのことを母方の叔父(晋の大夫)に告げた。冬、晋は使者に贈り物を持たせて鄭に遣わし、駟乞が跡を継いだわけを問いただした。駟氏は恐れ、駟乞は逃げようとした。子産は逃げることを許さなかった。駟氏は亀卜をしようと亀を願い出たが、子産はそれも与えなかった。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公十九年 乱門を過ぐる無かれ大夫對へんことを謀る。子產待たずして客に對へて曰く、「鄭國天(さいはひ)せられず、寡君の二三臣、札瘥夭昏す。今又我が先大夫偃を喪ふ。其の子幼弱なり。其の一二の父兄、宗主を隊(おと)さんことを懼れ、族に私(ひそ)かに謀りて、長親を立つ。寡君其の二三老と曰く、『抑も天實に剝亂す。是れ吾何をか知らん』と。諺に曰く、『亂門を過ぐること無かれ』と。民に亂兵有るも、猶ほ之を過ぐるを憚る。而るを況んや敢へて天の亂す所を知らんや。今大夫將に其の故を問はんとす。抑も寡君實に敢へて知らず。其れ誰か實に之を知らん。平丘の會に、君舊盟を尋(あたた)めて曰く、『職を失ふこと或る無かれ』と。若し寡君の二三臣、其の世に即く者、晉の大夫にして其の位を專制せば、是れ晉の縣鄙なり。何の國か之れ為さん」と。客の幣を辭して其の使に報ず。晉人之を舍く。楚人州來に城く。沈尹戌曰く、「楚人必ず敗れん。昔吳州來を滅ぼす。子旗之を伐たんと請ふ。
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『春秋左氏伝』襄公二年 鄭成公、楚に背かず二年春、鄭の師、宋を侵す。楚の令なり。齊侯、萊を伐つ。萊人、正輿子をして夙沙衛に賂(まひな)ふに索馬牛を以てせしむ、皆百匹。齊の師乃ち還る。君子是を以て齊の靈公の靈たるを知る。夏、齊姜薨ず。初め、穆姜、美檟を擇ばしめ、以て自ら櫬(ひつぎ)と頌琴とを爲る。季文子取りて以て葬る。君子曰く、「禮に非ざるなり。禮は逆ふる所無し。婦は姑を養ふ者なり。姑を虧きて以て婦を成す、逆焉より大なるは莫し。詩に曰く、『其れ惟れ哲人、之に話言を告ぐれば、德に順ひて之れ行ふ』と。季孫是に於て哲ならずと爲す。且つ姜氏は君の妣なり。詩に曰く、『酒を爲り醴を爲り、烝(すす)めて祖妣に畀(あた)へ、以て百禮を洽(あまね)くし、福を降すこと孔(はなは)だ偕(あまね)し』と」と。齊侯、諸姜・宗婦をして來りて葬を送らしむ。萊子を召す。萊子會せず。故に晏弱、東陽に城きて以て之に偪る。鄭の成公疾む。子駟、肩を晉に息めんことを請ふ。公曰く、「楚君、鄭の故を以て、親ら矢を其の目に集む。異人の任に非ず、寡人なり。若し之に背かば、是れ力と言とを棄つるなり。其れ誰か我に暱(した)しまん。寡人を免(ゆる)さば、唯だ二三子のみ」と。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 子産、楚を禦がず冬、十月、楚子鄭を伐つ。鄭人將に之を禦がんとす。子產曰く、「晉・楚將に平らがんとし、諸侯將に和せんとす。楚王是の故に一たび來るに昧るのみ。逞くして歸らしむるに如かず。乃ち成り易からん。夫れ小人の性は、勇に釁き、禍に嗇り、以て其の性を足して、名を求むる者は、國家の利に非ざるなり。若何ぞ之に從はん」と。子展說び、寇を禦がず。十二月、乙酉、南里に入り、其の城を墮ち、樂氏に涉り、師之梁に門す。縣門發し、九人を獲たり。氾を涉りて歸る。而る後に許の靈公を葬る。衛人衛姬を晉に歸る。乃ち衛侯を釋す。君子是を以て平公の政を失ふを知る。晉の韓宣子周に聘す。王事を請はしむ。對へて曰く、「晉の士起將に時事を宰旅に歸せんとす。他事無し」と。王之を聞きて曰く、「韓氏其れ晉に昌阜ならんか。辭舊を失はず」と。齊人郟に城くの歲、其の夏、齊の烏餘廩丘を以て晉に奔る。衛の羊角を襲ひて之を取る。遂に我が高魚を襲ふ。大雨有り、其の竇より入り、其の庫に介して、以て其の城に登り、克ちて之を取る。又邑を宋に取る。是に於いて范宣子卒す。諸侯治むる能はず。趙文子政を為すに及び、乃ち卒に之を治む。文子晉侯に言ひて曰く、「晉盟主為り。諸侯或いは相侵さば、則ち討ちて其の地を歸さしむ。今烏餘の邑は、皆討類なり。而るに之を貪るは、是れ以て盟主為ること無きなり。請ふ之を歸さん」と。公曰く、「諾。孰か使ふべき」と。對へて曰く、「胥梁帶能く師を用ゐること無からん」と。晉侯往かしむ。
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『春秋左氏伝』昭公二十二年 華氏、楚に出奔す二十二年春、王の二月、甲子、齊の北郭啟師を帥ゐて莒を伐つ。莒子將に戰はんとす。苑羊牧之諫めて曰く、「齊の帥は賤し、其の求むること多からず。之に下るに如かず。大國は怒らす可からざるなり」と。聽かず。齊の師を壽餘に敗る。齊侯莒を伐つ。莒子成を行ふ。司馬灶莒に如きて盟に蒞み、莒子齊に如きて盟に蒞む。稷門の外に盟ふ。莒是に於いてか大いに其の君を惡む。楚の薳越、宋に告げしめて曰く、「寡君、君に不令の臣有りて、君の憂ひと為ると聞く。寧ろ以って宗の羞と為す無からんや。寡君請ふ受けて之を戮せん」と。對へて曰く、「孤佞ならず、父兄に媚ぶる能はず、以って君の憂ひと為る。命の辱きを拜す。抑君臣日に戰ふ。君曰く、『余必ず臣を是れ助けん』と。亦た唯だ命のままなり。人言へる有り、曰く、『唯だ亂門にのみ過ぐる無し』と。君若し惠みて敝邑を保んじ、不衷に亢(かば)ひて、以って亂人を獎むる無くんば、孤の望みなり。唯だ君之を圖れ」と。楚人之を患ふ。諸侯の戍謀りて曰く、「若し華氏困しむを知りて死を致し、楚功無きを恥ぢて疾く戰はば、吾が利に非ざるなり。之を出だして、以って楚の功と為すに如かず。其れ亦た能く為す無からんのみ。宋を救ひて其の害を除く、又何をか求めん」と。乃ち固く之を出ださんことを請ふ。宋人之に從ふ。己巳、宋の華亥・向寧・華定・華貙・華登・皇奄傷・省臧・士平、出でて楚に奔る。宋公、公孫忌をして大司馬為らしめ、邊卬を大司徒と為し、樂祁を司馬と為し、仲幾を左師と為し、樂大心を右師と為し、樂輓を大司寇と為し、以って國人を靖んず。
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『春秋左氏伝』昭公二十九年 務人、此の禍を為す二十九年春、公乾侯より至り、鄆に處る。齊侯、高張をして來たりて公を唁(いた)ましめ、主君と稱す。子家子曰く、「齊君を卑しめり。君祇(ただ)辱めらるるのみ」と。公乾侯に如く。三月己卯、京師、召伯盈、尹氏固及び原伯魯の子を殺す。尹固の復るや、婦人の之に周の郊に遇ふ有り。之を尤めて曰く、「處りては則ち人に禍を為すを勸め、行きては則ち數日にして反る。是の夫や、其れ三歲を過ぎんや」と。夏五月庚寅、王子趙車鄻(れん)に入りて以って叛く。陰不佞之を敗る。平子每歲馬を賈(か)ひ、從者の衣屨を具へて、之を乾侯に歸る。公、馬を歸る者を執へて之を賣る。乃ち馬を歸らず。衛侯來たりて其の乘馬を獻ず、啟服と曰ふ。塹(ほり)にて死す。公將に之が為に櫝(ひつぎ)せんとす。子家子曰く、「從者病めり。請ふ以って之に食はしめん」と。乃ち幃を以って之を裹む。公、公衍に羔裘を賜ひ、龍輔を齊侯に獻ぜしむ。遂に羔裘を入る。齊侯喜び、之に陽穀を與ふ。公衍・公為の生まるるや、其の母偕に出づ。公衍先に生まる。公為の母曰く、「相與に偕に出づ、請ふ相與に偕に告げん」と。三日にして公為生まる。其の母先づ以って告ぐ。公為兄と為る。公私かに陽穀を喜びて、魯を思ひて曰く、「務人、此の禍を為すなり。且つ後に生まれて兄と為る、其の誣ふるや久し」と。乃ち之を黜(しりぞ)けて、公衍を以って大子と為す。秋、龍、絳の郊に見はる。
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『春秋左氏伝』襄公二十三年 欒盈、曲沃に入る二十三年春、杞の孝公卒す。晉の悼夫人之を喪す。平公樂を徹せず、禮に非ざるなり。禮は鄰國の為に闕く。陳侯楚に如く。公子黃二慶を楚に愬ふ。楚人之を召す。慶樂をして往かしむ。之を殺す。慶氏陳を以って叛く。夏、屈建陳侯に從ひて陳を圍む。陳人板隊に城きて人を殺す。役人相命じて、各々其の長を殺し、遂に慶虎・慶寅を殺す。楚人公子黃を納る。君子謂ふ、「慶氏不義なり、肆にす可からず」と。故に書に曰く、「惟れ命は常に于いてせず」と。晉將に女を吳に嫁がせんとす。齊侯析歸父をして之に媵せしめ、藩を以って欒盈及び其の士を載せ、諸を曲沃に納る。欒盈夜胥午に見えて之に告ぐ。對へて曰く、「不可なり。天の廢する所、誰か能く之を興さん。子必ず免れざらん。吾死を愛しむに非ざるなり。集らざるを知るなり」と。盈曰く、「然りと雖も、子に因りて死せば、吾悔ゆること無し。我實に天ならず。子に咎無し」と。許諾す。之を伏せて曲沃の人に觴す。樂作る。午言ひて曰く、「今や欒孺子を得ば何如」と。對へて曰く、「主を得て之が為に死せば、猶ほ死せざるがごとし」と。皆歎ず。泣く者有り。爵行る。又言ふ。皆曰く、「主を得ば何の貳か之れ有らん」と。盈出でて、遍く之を拜す。
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