春秋左氏伝 / 昭公十五年 力を量りて行う
晉荀吳帥師伐鮮虞,圍鼓,鼓人或請以城叛,穆子弗許。左右曰:師徒不勤。而可以獲城。何故不為?穆子曰。吾聞諸叔向曰。好惡不愆。民知所適。事無不濟。或以吾城叛。吾所甚惡也。人以城來。吾獨何好焉?賞所甚惡。若所好何?若其弗賞。是失信也。何以庇民?力能則進。否則退。量力而行。吾不可以欲城而邇姦。所喪滋多。使鼓人殺叛人而繕守備。圍鼓三月。鼓人或請降。使其民見曰。猶有食色。姑脩而城。軍吏曰。獲城而弗取。勤民而頓兵。何以事君。穆子曰。吾以事君也。獲一邑而教民怠。將焉用邑?邑以賈怠。不如完舊。賈怠無卒。棄舊不祥。鼓人能事其君。我亦能事吾君。率義不爽。好惡不愆。城可獲而民知義。所有死命。而無二心。不亦可乎?鼓人告食竭力盡。而後取之。克鼓而反。不戮一人。以鼓子截鞮歸。冬。公如晉。平丘之會故也。
新字:晋荀呉帥師伐鮮虞,囲鼓,鼓人或請以城叛,穆子弗許。左右曰:師徒不勤。而可以獲城。何故不為?穆子曰。吾聞諸叔向曰。好悪不愆。民知所適。事無不済。或以吾城叛。吾所甚悪也。人以城来。吾独何好焉?賞所甚悪。若所好何?若其弗賞。是失信也。何以庇民?力能則進。否則退。量力而行。吾不可以欲城而邇姦。所喪滋多。使鼓人殺叛人而繕守備。囲鼓三月。鼓人或請降。使其民見曰。猶有食色。姑脩而城。軍吏曰。獲城而弗取。勤民而頓兵。何以事君。穆子曰。吾以事君也。獲一邑而教民怠。将焉用邑?邑以賈怠。不如完旧。賈怠無卒。棄旧不祥。鼓人能事其君。我亦能事吾君。率義不爽。好悪不愆。城可獲而民知義。所有死命。而無二心。不亦可乎?鼓人告食竭力尽。而後取之。克鼓而反。不戮一人。以鼓子截鞮帰。冬。公如晋。平丘之会故也。
書き下し
晉の荀吳師を帥ゐて鮮虞を伐ち、鼓を圍む。鼓人或いは城を以って叛かんと請ふ。穆子許さず。左右曰く、「師徒勤めずして、以って城を獲可し。何の故にか為さざる」と。穆子曰く、「吾諸を叔向に聞く、曰く、『好惡愆はざれば、民適く所を知り、事濟らざる無し』と。或いは吾が城を以って叛くは、吾の甚だ惡む所なり。人城を以って來るも、吾獨り何ぞ好まんや。甚だ惡む所を賞せば、好む所を若何せん。若し其れ賞せずんば、是れ信を失ふなり。何を以ってか民を庇はん。力能はば則ち進み、否ずんば則ち退く。力を量りて行ふ。吾以って城を欲して姦に邇づく可からず。喪ふ所滋々多からん」と。鼓人をして叛人を殺して守備を繕はしむ。鼓を圍むこと三月、鼓人或いは降らんことを請ふ。其の民をして見えしめて曰く、「猶ほ食色有り。姑く而の城を脩めよ」と。軍吏曰く、「城を獲れども取らず、民を勤めて兵を頓す。何を以ってか君に事へん」と。穆子曰く、「吾以って君に事ふるなり。一邑を獲て民に怠を教へば、將た焉んぞ邑を用ひん。邑以って怠を賈はば、舊を完くするに如かず。怠を賈へば卒へ無く、舊を棄つるは不祥なり。鼓人能く其の君に事へ、我も亦た能く吾が君に事ふ。義に率ひて爽はず、好惡愆はず、城獲可くして民義を知り、死命有る所にして二心無し。亦た可ならずや」と。鼓人食竭き力盡くるを告げて、而る後に之を取る。鼓に克ちて反り、一人をも戮せず。鼓子截鞮を以って歸る。冬、公晉に如く。平丘の會の故なり。
現代語訳
晋の荀呉(中行穆子)が軍を率いて鮮虞を討ち、鼓を包囲した。鼓の人の中に、城ごと寝返りたいと申し出る者がいた。穆子は許さなかった。側近たちは言った。「兵を苦労させずに城を手に入れられるのです。どうしてそうなさらないのですか」。穆子は言った。「私は叔向からこう聞いている。『好むことと憎むことが食い違わなければ、民は向かうべきところを知り、事は成し遂げられないことがない』と。もし誰かがわが城ごと寝返ったら、私はそれをひどく憎むだろう。他人が城ごと寝返って来たからといって、私だけがそれを好んでよいものか。ひどく憎むことに賞を与えたら、好むべきことをどう扱えばよいのか。もし賞を与えなければ、信を失うことになる。それでどうして民を守れよう。力が足りれば進み、足りなければ退く。力を量って行動するのだ。私は城を欲しがって悪事に近づくわけにはいかない。そうすれば失うものがますます多くなる」。そして鼓の人に寝返りを申し出た者を殺させ、守備を整えさせた。鼓を包囲して三か月、鼓の人の中に降伏を願い出る者がいた。穆子はその民を自分の前に来させて言った。「まだ食べ物が足りている顔色だ。しばらくお前たちの城を修めておれ」。軍吏が言った。「城を手に入れられるのに取らず、民を苦労させ兵を疲れさせています。これでどうして君にお仕えできましょう」。穆子は言った。「私はこうして君に仕えているのだ。一つの邑を手に入れても、民に怠惰を教えてしまえば、その邑を何に使えようか。邑を得る代わりに怠惰を買い込むのなら、もとの気風を損なわないほうがよい。怠惰を買えば良い終わり方はなく、もとの気風を捨てるのは不吉である。鼓の人々は自分の君によく仕えており、われわれもまたわが君によく仕えている。義に従って違わず、好むことと憎むことが食い違わず、城は手に入り、民は義を知り、命を捨てる覚悟で二心がない。それでよいではないか」。鼓の人々が食糧も尽き力も尽きたと告げて、その後はじめて城を取った。鼓を攻め落として帰還したが、一人も殺さなかった。鼓の君截鞮を連れて帰った。冬、魯の昭公が晋に行った。平丘の会のためである。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公二十一年 上の為す所は民の帰なり二十一年春、公晉に如きて師を拜し、及び邾の田を取るを拜するなり。邾の庶其漆・閭丘を以って來奔す。季武子公の姑姊を以って之に妻はせ、皆其の從者に賜有り。是に於いて魯に盜多し。季孫臧武仲に謂ひて曰く、「子盍ぞ盜を詰めざる」と。武仲曰く、「詰むべからざるなり。紇も又能はず」と。季孫曰く、「我に四封有りて、其の盜を詰む。何の故に可ならざる。子は司寇為り。將に盜を是れ務めて去らんとす。之を若何ぞ能はざらん」と。武仲曰く、「子外盜を召して大いに之に禮す。何を以ってか吾が盜を止めん。子は正卿為りて、外盜を來たす。紇をして之を去らしむるも、將た何を以ってか能くせん。庶其は邑を邾に竊みて以って來る。子姬氏を以って之に妻はせて、之に邑を與へ、其の從者も皆賜有り。若し大盜には之に禮するに、君の姑姊と其の大邑とを以ってし、其の次は皁牧輿馬、其の小なる者は衣裳劍帶ならば、是れ盜を賞するなり。賞して之を去る、其れ或いは難からん。紇や之を聞く、上位に在る者は其の心を洒濯し、壹にして以って人を待ち、其の信を軌度して、明らかに徵すべくして、而る後に以って人を治むべしと。夫れ上の為す所は、民の歸なり。上の為さざる所にして、民或いは之を為す。是を以って刑罰を加へて、敢へて懲りざる莫し。若し上の為す所にして民も亦た之を為すは、乃ち其の所なり。又禁ずべけんや。夏書に曰く、『茲を念ふも茲に在り、茲を釋くも茲に在り、名言するも茲に在り、允に出だすも茲に在り。惟れ帝功を念ふ』と。將に己に由りて壹なるを謂ふなり。信、己に由りて壹にして、而る後に功念ふべきなり」と。庶其は卿に非ざるなり。地を以って來る。賤しと雖も必ず書す。地を重んずるなり。
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『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
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司馬法・定爵法を立つるは、一に曰く受、二に曰く法、三に曰く立、四に曰く疾、五に曰く其の服を御(おさ)む、六に曰く其の色を等しくす、七に曰く百官に淫服無し。凡そ軍は、法をして己に在らしむるを専と曰い、下と与に法を畏るるを法と曰う。軍に小聴無く、戦いに小利無く、日に成り微に行う、道と曰う。凡そ戦いに正行われざれば則ち事専らにし、服せざれば則ち法あり、相信ぜざれば則ち一にす。若し怠れば則ち之を動かし、若し疑えば則ち之を変じ、若し人上を信ぜざれば、則ち其の復せざるを行う。古よりの政なり。
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呂氏春秋・貴信②天行信ならざれば、歲を成すこと能わず。地行信ならざれば、草木大ならず。春の德は風、風、信ならざれば、其の華盛ならず。華盛ならざれば、則ち果實生ぜず。夏の德は暑なり。暑、信ならざれば、其の土肥えず。土肥えざれば、則ち長遂精ならず。秋の德は雨なり。雨、信ならざれば、其の穀堅からず。穀堅かざれば、則ち五種成らず。冬の德は寒なり。寒、信ならざれば、其の地剛ならず。地剛ならざれば、則ち凍閉開かず。天地の大、四時の化すら、猶ほ信ならざるを以て物を成すこと能わず。又況んや人事をや。君臣、信ならずんば、則ち百姓誹謗し、社稷寧かならず。官を處くこと信ならずんば、則ち少、長を畏れず、貴賤相輕んず。賞罰信ならずんば、則ち民易しく法を犯して、使令す可からず。交友、信ならずんば、則ち離散鬱怨して、相親しむこと能わず。百工、信ならずんば、則ち器械苦偽して、丹漆染色貞ならず。夫れ與に始めを為す可く、與に終りを為す可く、與に尊通なる可く、與に卑窮なる可き者は、其れ唯だ信か。信にして又信、身に重襲すれば、乃ち轉に通ず。此を以て人を治むれば、則ち膏雨甘露降り、寒暑四時當たらん。
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『春秋左氏伝』成公十六年 戦の器鄭人晉の師有るを聞き、楚に告げしむ。姚句耳與に往く。楚子鄭を救ふ。司馬中軍に將たり、令尹左に將たり、右尹子辛右に將たり。申を過ぐ。子反入りて申叔時に見えて曰く、「師其れ何如」と。對へて曰く、「德・刑・詳・義・禮・信は、戰の器なり。德は以って惠を施し、刑は以って邪を正し、詳は以って神に事へ、義は以って利を建て、禮は以って時に順ひ、信は以って物を守る。民生厚くして德正しく、用利ありて事節あり、時順ひて物成る。上下和睦し、周旋逆はず、求めて具はらざる無く、各其の極を知る。故に詩に曰く、『我が烝民を立つる、爾の極に匪ざる莫し』と。是を以って神之に福を降し、時に災害無く、民生敦厖にして、和同して以って聽き、力を盡くして以って上の命に從ひ、死を致して以って其の闕を補はざる莫し。此れ戰の由りて克つ所なり。今楚内に其の民を棄て、外に其の好を絶ち、齊盟を瀆して、話言を食み、時を奸して以って動き、民を疲らせて以って逞しくす。民信を知らず、進退罪あり。人底る所を恤ふ、其れ誰か死を致さん。子其れ之を勉めよ。吾復た子を見ざらん」と。姚句耳先に歸る。子駟焉に問ふ。對へて曰く、「其の行速かにして、險を過ぎて整はず。速かなれば則ち志を失ひ、整はざれば列を喪ふ。志失ひ列喪ふ、將に何を以ってか戰はん。楚懼らくは用ふ可からざらん」と。
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『呻吟語』内篇・問學・第一に信を體するを要す我は我を信じ得過ぐるも、人は未だ必ずしも我を信じ得過ぎず。故に君子は嫌を避く。若し正大光明の心を以てすること青天白日の如く、又た至誠惻怛の意を以てすること火の熱く水の寒きが如くんば、何の嫌か避く可けん。故に君子の學問は第一に信を體するを要す。只だ信じ了はらば、天下に些子の事無し。
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