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春秋左氏伝 / 昭公六年 燕に君有り

秋。七月。大雩。旱也。徐儀楚聘于楚。楚子執之。逃歸。懼其叛也。使薳洩伐徐。吳人救之。令尹子蕩帥師伐吳。師于豫章。而次于乾谿。吳人敗其師於房鍾。獲宮廄尹棄疾。子蕩歸罪於薳洩而殺之。冬。叔弓如楚聘。且弔敗也。十一月。齊侯如晉。請伐北燕也。士匄相士鞅逆諸河。禮也。晉侯許之。十二月。齊侯遂伐北燕。將納簡公。晏子曰。不入。燕有君矣。民不貳。吾君賄。左右諂諛。作大事不以信。未嘗可也。

新字:秋。七月。大雩。旱也。徐儀楚聘于楚。楚子執之。逃帰。懼其叛也。使薳洩伐徐。呉人救之。令尹子蕩帥師伐呉。師于予章。而次于乾谿。呉人敗其師於房鍾。獲宮廄尹棄疾。子蕩帰罪於薳洩而殺之。冬。叔弓如楚聘。且弔敗也。十一月。斉侯如晋。請伐北燕也。士匄相士鞅逆諸河。礼也。晋侯許之。十二月。斉侯遂伐北燕。将納簡公。晏子曰。不入。燕有君矣。民不貳。吾君賄。左右諂諛。作大事不以信。未嘗可也。

書き下し

秋、七月、大いに雩す。旱すればなり。徐の儀楚楚に聘す。楚子之を執ふ。逃げ歸る。其の叛かんことを懼れ、薳洩をして徐を伐たしむ。吳人之を救ふ。令尹子蕩師を帥ゐて吳を伐ち、豫章に師して、乾谿に次る。吳人其の師を房鍾に敗り、宮廄尹棄疾を獲たり。子蕩罪を薳洩に歸して之を殺す。冬、叔弓楚に如きて聘し、且つ敗れたるを弔ふなり。十一月、齊侯晉に如く。北燕を伐たんことを請ふなり。士匄士鞅に相として諸を河に逆ふ。禮なり。晉侯之を許す。十二月、齊侯遂に北燕を伐ち、將に簡公を納れんとす。晏子曰く、「入らじ。燕に君有り、民貳せず。吾が君は賄あり、左右は諂諛す。大事を作すに信を以てせず、未だ嘗て可ならざるなり」と。

現代語訳

秋七月、魯は大規模な雨乞いの祭りを行った。日照りだったからである。徐の儀楚が楚に聘問に行くと、楚子(霊王)はこれを捕らえたが、儀楚は逃げ帰った。楚は徐が背くことを恐れ、薳洩に徐を討たせた。呉が徐を救援した。令尹の子蕩が軍を率いて呉を討ち、豫章に軍を進めて乾谿に駐屯した。呉はその軍を房鍾で破り、宮廄尹の棄疾を捕虜にした。子蕩は敗戦の罪を薳洩になすりつけて殺した。冬、魯の叔弓が楚へ聘問に行き、あわせて敗戦を見舞った。十一月、斉侯(景公)が晋へ行った。北燕を討つことを願い出るためである。士匄が士鞅の介添え役となって、黄河のほとりで斉侯を出迎えた。これは礼にかなっている。晋侯はこれを許した。十二月、斉侯はそのまま北燕を討ち、亡命中の燕の簡公を国に入れようとした。晏子は言った。「簡公は入れないでしょう。燕にはすでに君がいて、民は二心を抱いていません。わが君は賄賂を好み、側近はへつらってばかりいます。大事を起こすのに信義に拠らないのでは、うまくいったためしがありません」。

解説

雨乞い、楚と呉の戦い、斉の北燕討伐と、記事が続く句である。楚では敗戦の責任を、令尹子蕩が部下の薳洩になすりつけて殺している。前の句の公子棄疾の規律ある振る舞いと並べると、楚の指導層の質の差が浮かぶ。中心は最後の晏子の言葉である。斉の景公は亡命中の燕の簡公を送り込もうと北燕を討つが、晏子は失敗を予言する。理由は二つ。燕にはすでに新しい君がいて、民が背いていないこと。そして斉の側では、君主が賄賂を好み、側近がへつらっていること。大義名分を掲げた出兵でも、実際には賄賂で動いているのなら、信に拠った大事とは言えない。晏子は相手の内情と自国の内情の両方を見て判断している。事業の成否を見るとき、外の条件だけでなく、自分たちの動機が何であるかも見ておく必要がある。

この章句が説くこと

信義民心責任転嫁諂諛見通し

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