春秋左氏伝 / 昭公三年 髪短くして心長し
八月。大雩。旱也。齊侯田於莒。盧蒲嫳見。泣且請曰。余髮如此種種。余奚能為。公曰。諾。吾告二子。歸而告之。子尾欲復之。子雅不可。曰。彼其髮短而心甚長。其或寢處我矣。九月。子雅放盧蒲嫳于北燕。燕簡公多嬖寵。欲去諸大夫。而立其寵人。冬。燕大夫比以殺公之外嬖。公懼奔齊。書曰。北燕伯款出奔齊。罪之也。十月。鄭伯如楚。子產相。楚子享之。賦吉日既享。子產乃具田備。王以田江南之夢。齊公孫灶卒。司馬灶見晏子曰。又喪子雅矣。晏子曰。惜也子旗不免。殆哉姜族弱矣。而媯將始昌。二惠競爽。猶可。又弱一個焉。姜其危哉。
新字:八月。大雩。旱也。斉侯田於莒。盧蒲嫳見。泣且請曰。余髪如此種種。余奚能為。公曰。諾。吾告二子。帰而告之。子尾欲復之。子雅不可。曰。彼其髪短而心甚長。其或寝処我矣。九月。子雅放盧蒲嫳于北燕。燕簡公多嬖寵。欲去諸大夫。而立其寵人。冬。燕大夫比以殺公之外嬖。公懼奔斉。書曰。北燕伯款出奔斉。罪之也。十月。鄭伯如楚。子産相。楚子享之。賦吉日既享。子産乃具田備。王以田江南之夢。斉公孫灶卒。司馬灶見晏子曰。又喪子雅矣。晏子曰。惜也子旗不免。殆哉姜族弱矣。而媯将始昌。二恵競爽。猶可。又弱一個焉。姜其危哉。
書き下し
八月、大いに雩す、旱すればなり。齊侯莒に田す。盧蒲嫳見え、泣き且つ請ひて曰く、「余が髮此の如く種種たり、余奚ぞ能く為さん」と。公曰く、「諾、吾二子に告げん」と。歸りて之を告ぐ。子尾之を復さんと欲す。子雅可かずして曰く、「彼は其の髮短くして心甚だ長し。其れ或いは我に寢處せん」と。九月、子雅盧蒲嫳を北燕に放つ。燕の簡公嬖寵多く、諸大夫を去りて其の寵人を立てんと欲す。冬、燕の大夫比して以って公の外嬖を殺す。公懼れて齊に奔る。書して「北燕伯款齊に出奔す」と曰ふは、之を罪するなり。十月、鄭伯楚に如き、子產相たり。楚子之を享し、吉日を賦す。既に享し、子產乃ち田備を具ふ。王以って江南の夢に田す。齊の公孫灶卒す。司馬灶晏子に見えて曰く、「又子雅を喪へり」と。晏子曰く、「惜しいかな、子旗免れず。殆ふいかな。姜族弱まれり、而して媯將に始めて昌えんとす。二惠競爽なれば、猶ほ可なり。又一個を弱む、姜其れ危ふいかな」と。
現代語訳
八月、大規模な雨乞いの祭り(雩)を行った。日照りだったからである。斉侯(景公)が莒の地で狩りをした。(追放されていた)盧蒲嫳が目通りし、泣きながら願い出て言った。「私の髪はこのように短く薄くなりました。私に何ができましょう(どうか帰国をお許しください)」。景公は言った。「よかろう。二人(子雅と子尾)に話してみよう」。帰って二人に告げた。子尾は彼を呼び戻そうとしたが、子雅は承知せず、言った。「あの男は髪は短いが、心はまことに長い(執念深い)。ひょっとすると、われわれの皮を敷いて寝ることになるでしょう」。九月、子雅は盧蒲嫳を北燕に追放した。燕の簡公には寵臣が多く、大夫たちを除いて寵臣を立てようとした。冬、燕の大夫たちは結託して、公の寵臣を殺した。公は恐れて斉に逃げた。『春秋』が「北燕伯款、斉に出奔す」と名を記しているのは、公を責めたのである。十月、鄭伯が楚に行き、子産が補佐した。楚王(霊王)は鄭伯を饗応し、『詩』の「吉日」を歌った(狩りに誘う意を示した)。饗応が終わると、子産は狩りの支度を整えた。楚王は鄭伯と江南の雲夢沢で狩りをした。斉の公孫竈(子雅)が亡くなった。司馬竈が晏子に会って言った。「またしても子雅を失いました」。晏子は言った。「惜しいことだ。子旗(子雅の子)は禍を免れまい。危ういことだ。姜氏(斉の公族)の一族は弱くなり、媯氏(陳氏)がいよいよ栄え始めようとしている。恵公の子孫の二家(子雅と子尾)がともにすぐれていれば、まだよかった。その一方が弱くなってしまった。姜氏は危ういことだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公六年 燕に君有り秋、七月、大いに雩す。旱すればなり。徐の儀楚楚に聘す。楚子之を執ふ。逃げ歸る。其の叛かんことを懼れ、薳洩をして徐を伐たしむ。吳人之を救ふ。令尹子蕩師を帥ゐて吳を伐ち、豫章に師して、乾谿に次る。吳人其の師を房鍾に敗り、宮廄尹棄疾を獲たり。子蕩罪を薳洩に歸して之を殺す。冬、叔弓楚に如きて聘し、且つ敗れたるを弔ふなり。十一月、齊侯晉に如く。北燕を伐たんことを請ふなり。士匄士鞅に相として諸を河に逆ふ。禮なり。晉侯之を許す。十二月、齊侯遂に北燕を伐ち、將に簡公を納れんとす。晏子曰く、「入らじ。燕に君有り、民貳せず。吾が君は賄あり、左右は諂諛す。大事を作すに信を以てせず、未だ嘗て可ならざるなり」と。
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『春秋左氏伝』襄公二十二年 貴にして能く貧し四月、又朝して以って事を聽く。不朝の間を期するも、歲として聘せざる無く、役として從はざる無し。大國の政令の常無きを以って、國家罷病し、不虞荐(しき)りに至り、日として惕(おそ)れざる無し。豈に敢へて職を忘れんや。大國若し之を安定せば、其れ朝夕庭に在らん、何ぞ命を辱くせん。若し其の患を恤へずして、以って口實と為さば、其れ乃ち命に任ふるに堪へずして、翦りて仇讎と為る無からんや。敝邑是れを懼る。其れ敢へて君の命を忘れんや。諸を執事に委ぬ。執事實に重ねて之を圖れ」と。秋、欒盈楚より齊に適く。晏平仲齊侯に言ひて曰く、「商任の會に、命を晉に受けたり。今欒氏を納る、將た安んぞ之を用ゐん。小の大に事ふる所以は、信なり。信を失へば立たず。君其れ之を圖れ」と。聽かず。退きて陳文子に告げて曰く、「人に君たる者は信を執り、人に臣たる者は共を執る。忠信篤敬、上下之を同じくするは、天の道なり。君自ら棄つるなり。久しきこと能はざらん」と。九月、鄭の公孫黑肱疾有り。邑を公に歸す。室老・宗人を召し、段を立てて、官を黜け祭を薄くせしむ。祭るに特羊を以ってし、殷するに少牢を以ってす、以って祀に共するに足る。盡く其の餘邑を歸して曰く、「吾之を聞く、亂世に生まれては、貴にして能く貧しければ、民求むること無く、以って後に亡ぶ可しと。敬み共して君と二三子とに事へよ。生は敬戒に在り、富に在らざるなり」と。己巳、伯張卒す。君子曰く、「戒を善くす。詩に曰く、『爾の侯度を慎み、用って不虞を戒む』と。鄭の子張其れ焉有り」と。
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『春秋左氏伝』昭公三年 陳氏、民を得る群臣を舉げて實に其の貺(たまもの)を受けん。其れ唐叔より以下、實に之を寵嘉せん」と。既に昏を成す。晏子禮を受く。叔向之に從ひて宴す。相與に語る。叔向曰く、「齊は其れ何如」と。晏子曰く、「此れ季世なり。吾知らず、齊其れ陳氏と為らん。公其の民を棄てて、陳氏に歸す。齊の舊四量は、豆・區・釜・鍾なり。四升を豆と為し、各其の四を自(もっ)て、以って釜に登す。釜十なれば則ち鍾なり。陳氏の三量は、皆一を登す。鍾乃ち大なり。家量を以って貸して、公量を以って之を收む。山木市の如くして、山より加へず。魚鹽蜃蛤、海より加へず。民其の力を參にし、二は公に入りて、其の一に衣食す。公は朽蠹を聚めて、三老は凍餒す。國の諸市、屨賤しくして踊貴し。民人痛疾して、或いは之を燠休(いくきう)す。其の之を愛すること父母の如く、之に歸すること流水の如し。民を獲ること無からんと欲すとも、將た焉くにか之を辟けん。箕伯・直柄・虞遂・伯戲、其れ胡公・大姬に相として、已に齊に在り」と。叔向曰く、「然り。吾が公室と雖も、
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『春秋左氏伝』成公十七年 葵すら足を衛る秋、七月、壬寅、鮑牽を刖りて高無咎を逐ふ。無咎莒に奔る。高弱盧を以って叛く。齊人來りて鮑國を召して之を立つ。初め、鮑國鮑氏を去りて來り、施孝叔の臣と為る。施氏宰を卜す。匡句須吉なり。施氏の宰は、百室の邑有り。匡句須に邑を與へて、宰と為さしむ。以って鮑國に讓りて邑を致す。施孝叔曰く、「子實に吉なり」と。對へて曰く、「能く忠良に與ふ、吉孰れか大ならん」と。鮑國施氏に相として忠なり。故に齊人取りて以って鮑氏の後と為す。仲尼曰く、「鮑莊子の知は葵に如かず。葵すら猶ほ能く其の足を衞る」と。冬、諸侯鄭を伐つ。十月、庚午、鄭を圍む。楚の公子申鄭を救ひ、汝上に師す。十一月、諸侯還る。初め、聲伯洹を涉り、或ひと己に瓊瑰を與へて之を食はしめ、泣きて瓊瑰と為り、其の懷に盈つるを夢む。從ひて之を歌ひて曰く、「洹の水を濟れば、我に贈るに瓊瑰を以ってす。歸らんか歸らんか、瓊瑰吾が懷に盈てり」と。懼れて敢へて占はず。鄭より還り、壬申、貍脤に至りて之を占ひて曰く、「余死を恐る、故に敢へて占はざりき。今眾繁くして余に從ふこと三年なり。傷む無からん」と。之を言ひて、莫に之きて卒す。齊侯崔杼をして大夫為らしめ、慶克をして之に佐たらしめ、師を帥ゐて盧を圍む。國佐諸侯に從ひて鄭を圍み、難を以って請ひて歸る。遂に盧の師に如き、慶克を殺し、穀を以って叛く。齊侯之と徐關に盟ひて之を復す。
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『春秋左氏伝』昭公三年 公事に私忌無し五月、叔弓滕に如き、滕の成公を葬る。子服椒介と為る。郊に及び、懿伯の忌に遇ふ。敬子入らず。惠伯曰く、「公事には公利有り、私忌無し。椒請ふ先づ入らん」と。乃ち先づ館を受く。敬子之に從ふ。晉の韓起齊に如きて女を逆ふ。公孫蠆少姜の寵有るが為に、其の子を以って公女に更へて、公子に嫁がしむ。人宣子に謂ふ、「子尾は晉を欺く。晉胡ぞ之を受くる」と。宣子曰く、「我齊を得んと欲して其の寵を遠ざけば、寵將に來らんや」と。
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『春秋左氏伝』昭公三年 晋もまた季世今も亦た季世なり。戎馬駕せず、卿は軍行無く、公乘は人無く、卒列は長無し。庶民罷敝して、宮室滋(ますます)侈る。道殣(だうきん)相望みて、女富溢尤(いついう)す。民公命を聞くこと、寇讎を逃るるが如し。欒・郤・胥・原・狐・續・慶・伯、降りて皁隸に在り。政は家門に在り、民依る所無し。君日に悛(あらた)めず、樂を以って憂ひを慆(まぎら)はす。公室の卑きこと、其れ何の日か之れ有らん。讒鼎の銘に曰く、『昧旦に丕(おほ)いに顯らかにするも、後世猶ほ怠る』と。況んや日に悛めざる、其れ能く久しからんや」と。晏子曰く、「子將に若何せんとする」と。叔向曰く、「晉の公族盡きたり。肸之を聞く、公室將に卑からんとすれば、其の宗族枝葉先づ落ち、則ち公之に從ふ。肸の宗十一族、唯だ羊舌氏在るのみ。肸又子無し。公室度無し。幸ひにして死を得ば、豈に其れ祀を獲んや」と。初め、景公晏子の宅を更めんと欲して曰く、「子の宅は市に近く、湫隘(しうあい)囂塵(がうぢん)にして、以って居る可からず。請ふ諸を爽塏(さうがい)なる者に更めん」と。辭して曰く、「君の先臣焉に容る。臣以って之を嗣ぐに足らず。
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