春秋左氏伝 / 昭公三年 晋もまた季世
今亦季世也。戎馬不駕。卿無軍行。公乘無人。卒列無長。庶民罷敝。而宮室滋侈。道殣相望。而女富溢尤。民聞公命。如逃寇讎。欒。郤。胥。原。狐。續。慶。伯。降在皁隸。政在家門。民無所依。君日不悛。以樂慆憂。公室之卑。其何日之有。讒鼎之銘曰。昧旦丕顯。後世猶怠。況日不悛。其能久乎。晏子曰。子將若何。叔向曰。晉之公族盡矣。肸聞之。公室將卑。其宗族枝葉先落。則公從之。肸之宗十一族。唯羊舌氏在而已。肸又無子。公室無度。幸而得死。豈其獲祀。初。景公欲更晏子之宅。曰。子之宅近市。湫隘囂塵。不可以居。請更諸爽塏者。辭曰。君之先臣容焉。臣不足以嗣之。
新字:今亦季世也。戎馬不駕。卿無軍行。公乗無人。卒列無長。庶民罷敝。而宮室滋侈。道殣相望。而女富溢尤。民聞公命。如逃寇讎。欒。郤。胥。原。狐。続。慶。伯。降在皁隸。政在家門。民無所依。君日不悛。以楽慆憂。公室之卑。其何日之有。讒鼎之銘曰。昧旦丕顕。後世猶怠。況日不悛。其能久乎。晏子曰。子将若何。叔向曰。晋之公族尽矣。肸聞之。公室将卑。其宗族枝葉先落。則公従之。肸之宗十一族。唯羊舌氏在而已。肸又無子。公室無度。幸而得死。豈其獲祀。初。景公欲更晏子之宅。曰。子之宅近市。湫隘囂塵。不可以居。請更諸爽塏者。辞曰。君之先臣容焉。臣不足以嗣之。
書き下し
今も亦た季世なり。戎馬駕せず、卿は軍行無く、公乘は人無く、卒列は長無し。庶民罷敝して、宮室滋(ますます)侈る。道殣(だうきん)相望みて、女富溢尤(いついう)す。民公命を聞くこと、寇讎を逃るるが如し。欒・郤・胥・原・狐・續・慶・伯、降りて皁隸に在り。政は家門に在り、民依る所無し。君日に悛(あらた)めず、樂を以って憂ひを慆(まぎら)はす。公室の卑きこと、其れ何の日か之れ有らん。讒鼎の銘に曰く、『昧旦に丕(おほ)いに顯らかにするも、後世猶ほ怠る』と。況んや日に悛めざる、其れ能く久しからんや」と。晏子曰く、「子將に若何せんとする」と。叔向曰く、「晉の公族盡きたり。肸之を聞く、公室將に卑からんとすれば、其の宗族枝葉先づ落ち、則ち公之に從ふ。肸の宗十一族、唯だ羊舌氏在るのみ。肸又子無し。公室度無し。幸ひにして死を得ば、豈に其れ祀を獲んや」と。初め、景公晏子の宅を更めんと欲して曰く、「子の宅は市に近く、湫隘(しうあい)囂塵(がうぢん)にして、以って居る可からず。請ふ諸を爽塏(さうがい)なる者に更めん」と。辭して曰く、「君の先臣焉に容る。臣以って之を嗣ぐに足らず。
現代語訳
今やはり末世です。軍馬は車につながれず、卿は軍を率いて出ることもなく、公の兵車には乗る人がなく、兵の隊列には長がいません。庶民は疲れ果てているのに、宮殿はますます贅沢になっています。道には飢え死にした者が次々に見え、寵愛される女たちの家の富は度を越えています。民は公の命令を聞くと、仇敵から逃げるように逃げ出します。欒・郤・胥・原・狐・続・慶・伯といった名門は、落ちぶれて下僕の身分になっています。政治は大夫の家門が握り、民は頼るところがありません。君は日々改めることなく、楽しみで憂いを紛らわせています。公室が衰えきるのに、いくらも日はかからないでしょう。讒鼎の銘に『夜明け前から大いに徳を明らかにしても、子孫はなお怠るものだ』とあります。まして日々改めないのでは、長く続くはずがありません」。晏子は言った。「あなたはどうなさるおつもりか」。叔向は言った。「晋の公族は尽きました。私はこう聞いています。公室が衰えようとするときは、その宗族という枝葉がまず落ち、そのあと公室もそれに続くのだ、と。私の宗族は十一の家がありましたが、残っているのは羊舌氏だけです。しかも私には(よい)子がありません。公室には節度がありません。幸いに天寿を全うできたとしても、どうして子孫に祭ってもらえましょうか」。これより前、斉の景公は晏子の家を建て替えようとして言った。「あなたの家は市場に近く、低く狭く騒がしく埃っぽい。住むにふさわしくない。どうか明るく高燥な所に移ってほしい」。晏子は辞退して言った。「君の先代の臣(私の父)がここに住んでおりました。私はそれを継ぐにも足りない者です。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公三年 陳氏、民を得る群臣を舉げて實に其の貺(たまもの)を受けん。其れ唐叔より以下、實に之を寵嘉せん」と。既に昏を成す。晏子禮を受く。叔向之に從ひて宴す。相與に語る。叔向曰く、「齊は其れ何如」と。晏子曰く、「此れ季世なり。吾知らず、齊其れ陳氏と為らん。公其の民を棄てて、陳氏に歸す。齊の舊四量は、豆・區・釜・鍾なり。四升を豆と為し、各其の四を自(もっ)て、以って釜に登す。釜十なれば則ち鍾なり。陳氏の三量は、皆一を登す。鍾乃ち大なり。家量を以って貸して、公量を以って之を收む。山木市の如くして、山より加へず。魚鹽蜃蛤、海より加へず。民其の力を參にし、二は公に入りて、其の一に衣食す。公は朽蠹を聚めて、三老は凍餒す。國の諸市、屨賤しくして踊貴し。民人痛疾して、或いは之を燠休(いくきう)す。其の之を愛すること父母の如く、之に歸すること流水の如し。民を獲ること無からんと欲すとも、將た焉くにか之を辟けん。箕伯・直柄・虞遂・伯戲、其れ胡公・大姬に相として、已に齊に在り」と。叔向曰く、「然り。吾が公室と雖も、
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『春秋左氏伝』襄公三十一年 趙孟の語は偸なり三十一年春、王の正月、穆叔會より至り、孟孝伯に見えて之に語りて曰く、「趙孟將に死せんとす。其の語偷にして、民の主に似ず。且つ年未だ五十に盈たずして、諄諄焉として八九十の者の如し。久しきこと能はざらん。若し趙孟死せば、政を為す者は其れ韓子か。吾子盍ぞ季孫と之を言はざる。以て善を樹つべし。君子なり。晉君將に政を失はんとす。若し樹てずんば、早く魯に備へしめよ。既にして政大夫に在り、韓子は懦弱にして、大夫は貪ること多く、求欲厭くこと無からん。齊・楚は未だ與にするに足らず。魯其れ懼れんかな」と。孝伯曰く、「人生幾何ぞ。誰か能く偷なること無からん。朝に夕に及ばず。將た安んぞ樹つるを用ゐん」と。穆叔出でて人に告げて曰く、「孟孫將に死せんとす。吾諸に趙孟の偷を語りしに、而も又甚だし」と。又季孫と晉の故を語る。季孫從はず。趙文子卒するに及び、晉の公室卑く、政は侈家に在り。韓宣子政を為して、諸侯を圖ること能はず。魯晉の求めに堪へず、讒慝弘く多し。是を以て平丘の會有り。齊の子尾閭丘嬰を害とし、之を殺さんと欲し、師を帥ゐて以て陽州を伐たしむ。我師の故を問ふ。夏、五月、子尾閭丘嬰を殺して以て我が師に說く。工僂灑・渻灶・孔虺・賈寅、莒に出奔す。群公子を出す。
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