春秋左氏伝 / 襄公二十六年 楚、奔命に罷る
晉將遁矣。雍子發命於軍曰:歸老幼。反孤疾。二人役歸一人。簡兵蒐乘。秣馬蓐食。師陳焚次。明日將戰。行歸者。而逸楚囚。楚師宵潰。晉降彭城。而歸諸宋。以魚石歸。楚失東夷。子辛死之。則雍子之為也。子反與子靈爭夏姬。而雍害其事。子靈奔晉。晉人與之邢。以為謀主。扞禦北狄。通吳於晉。教吳叛楚。教之乘車。射御。驅侵。使其子狐庸。為吳行人焉。吳於是伐巢。取駕。克棘。入州來。楚罷於奔命。至今為患。則子靈之為也。若敖之亂。伯賁之子賁皇奔晉。晉人與之苗。以為謀主。鄢陵之役。楚晨壓晉軍而陳。晉將遁矣。苗賁皇曰:楚師之良在其中軍王族而已。
新字:晋将遁矣。雍子発命於軍曰:帰老幼。反孤疾。二人役帰一人。簡兵蒐乗。秣馬蓐食。師陳焚次。明日将戦。行帰者。而逸楚囚。楚師宵潰。晋降彭城。而帰諸宋。以魚石帰。楚失東夷。子辛死之。則雍子之為也。子反与子霊争夏姫。而雍害其事。子霊奔晋。晋人与之邢。以為謀主。扞禦北狄。通呉於晋。教呉叛楚。教之乗車。射御。駆侵。使其子狐庸。為呉行人焉。呉於是伐巣。取駕。克棘。入州来。楚罷於奔命。至今為患。則子霊之為也。若敖之乱。伯賁之子賁皇奔晋。晋人与之苗。以為謀主。鄢陵之役。楚晨圧晋軍而陳。晋将遁矣。苗賁皇曰:楚師之良在其中軍王族而已。
書き下し
晉將に遁れんとす。雍子命を軍に發して曰く、『老幼を歸し、孤疾を反し、二人役すれば一人を歸せ。兵を簡び乘を蒐め、馬に秣ひ蓐食し、師陳して次を焚け。明日將に戰はんとす』と。歸る者を行かしめ、而して楚の囚を逸す。楚師宵に潰ゆ。晉彭城を降し、而して諸を宋に歸し、魚石を以て歸る。楚東夷を失ひ、子辛之に死す。則ち雍子の為す所なり。子反子靈と夏姬を爭ひて、其の事を雍害す。子靈晉に奔る。晉人之に邢を與へ、以て謀主と為す。北狄を扞禦し、吳を晉に通じ、吳に楚に叛くことを教へ、之に乘車・射御・驅侵を教へ、其の子狐庸をして吳の行人為らしむ。吳是に於いて巢を伐ち、駕を取り、棘に克ち、州來に入る。楚奔命に罷る。今に至るまで患ひを為す。則ち子靈の為す所なり。若敖の亂に、伯賁の子賁皇晉に奔る。晉人之に苗を與へ、以て謀主と為す。鄢陵の役に、楚晨に晉軍に壓して陳す。晉將に遁れんとす。苗賁皇曰く、『楚師の良は其の中軍の王族に在るのみ。
現代語訳
晋軍は退却しようとしていました。そのとき雍子が軍中に命令を出しました。『老人と幼い者は帰らせ、みなし子と病人は帰らせ、兄弟二人で従軍している者は一人を帰らせよ。兵を選りすぐり、兵車を整え、馬に飼い葉を与え、兵は寝床で朝食をとり、軍は陣を敷いて宿営を焼き払え。明日、決戦を挑む』。そうして帰る者を出発させ、わざと楚の捕虜を逃がしました。(逃げた捕虜の報告を聞いた)楚軍は夜のうちに崩れました。晋は彭城を降伏させて宋に返し、魚石を捕らえて帰りました。楚は東夷の諸国を失い、子辛はその責めを負って死にました。これは雍子のしわざです。子反は子霊(巫臣)と夏姫を奪い合い、子霊の事を妨げました。子霊は晋に亡命しました。晋の人々は彼に邢の地を与え、謀主としました。子霊は北狄の侵入を防ぎ、呉と晋とを通じさせ、呉に楚から離反するよう教え、兵車の乗り方、弓の射方と車の御し方、車を駆って侵攻する戦法を教え、自分の子の狐庸を呉の行人(外交官)にしました。呉はこうして巣を攻め、駕を取り、棘に勝ち、州来に攻め入りました。楚は命令に応じて東奔西走し、疲れ果てました。今に至るまで呉は楚の患いとなっています。これは子霊のしわざです。若敖氏の乱のとき、伯賁(闘椒)の子の賁皇は晋に亡命しました。晋の人々は彼に苗の地を与え、謀主としました。鄢陵の戦いのとき、楚軍は早朝から晋軍に迫って陣を敷きました。晋軍は退却しようとしていました。そのとき苗賁皇が言いました。『楚軍の精鋭は、中軍の王族の兵だけだ。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 楚材晋用對へて曰く、「晉の卿は楚に如かず。其の大夫は則ち賢なり。皆卿の材なり。杞梓・皮革の、楚より往くが如し。楚に材有りと雖も、晉實に之を用ゐる」と。子木曰く、「夫れ獨り族姻無からんや」と。對へて曰く、「有りと雖も、楚の材を用ゐること實に多し。歸生之を聞く、善く國を為むる者は、賞僭はずして刑濫れず。賞僭へば則ち淫人に及ばんことを懼れ、刑濫るれば則ち善人に及ばんことを懼る。若し不幸にして過たば、寧ろ僭ふとも濫るること無かれ。其の善を失はんよりは、寧ろ其れ淫を利せよ。善人無ければ、則ち國之に從ふ。詩に曰く、『人の云に亡ぶる、邦國殄瘁す』と。善人無きの謂ひなり。故に夏書に曰く、『其の不辜を殺さんよりは、寧ろ不經を失せよ』と。善を失はんことを懼るるなり。商頌に之有りて曰く、『僭はず濫れず、敢へて怠皇せず。下國に命じて、厥の福を封建す』と。此れ湯の天福を獲たる所以なり。古の民を治むる者は、賞を勸めて刑を畏れ、民を恤へて倦まず。賞するに春夏を以てし、刑するに秋冬を以てす。是を以て將に賞せんとすれば之が為に膳を加ふ。膳を加ふれば則ち飫賜す。此を以て其の賞を勸むるを知るなり。
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『墨子』號令人、自ら大いに版に書し、之を其の署の隔に著く。守、必ず自ら其の先後を謀り、其の署に非ずして妄りに之に入る者は、斷ず。署を離れ左右し、共に他署に入り、左右、捕らえず、私書を挾み、行きて請謁し、及び行書を為し、守事を釋てて私家の事を治め、卒民、相い家室・嬰兒を盜む者は、皆な斷じて赦す無し。人、舉げて之を藉す。符節無くして軍中を横行する者は、斷ず。客、城下に在らば、數しば其の署を易えて其の養を易うる無し。敵を譽めて少なきを以て衆しと為し、亂を以て治と為し、敵の攻の拙きを以て巧と為す者は、斷ず。客と主人と、相い與に言い及び相い藉するを得る無し。客、射るに書を以てするも、譽むるを得る無し。外、内に示すに善を以てするも、應ずるを得る無し。令に従わざる者は皆な斷ず。禁じて矢書を舉げ若しくは書を以て寇に射るを得る無し。令を犯す者は、父母・妻子、皆な斷じ、身は城上に梟す。能く之を捕らえ告ぐる者有らば、之に賞するに黄金二十斤。時に非ずして行く者は、唯だ守及び太守の節を摻りて使いする者のみ。
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李衛公問対・卷下守るの法は、要は敵に示すに不足を以てするに在り。攻むるの法は、要は敵に示すに有餘を以てするに在るなり。
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孫子・九地篇利に合いて動き、利に合わずして止まる。
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説苑・尊賢周の威公甯子に問いて曰く、「士を取るに道有りや」と。対えて曰く、「有り。窮する者は之を達せしめ、亡ぶる者は之を存せしめ、廃する者は之を起こせば、四方の士は則ち四面より至る。窮する者達せず、亡ぶる者存せず、廃する者起こらざれば、四方の士は則ち四面より畔く。夫れ城固きも自ら守る能わず、兵利なるも自ら保つ能わず、士を得て之を失えば、必ず其の間有り。夫れ士存すれば則ち君尊く、士亡ぶれば則ち君卑し」と。周の武公曰く、「士壹に此くの如きか」と。対えて曰く、「君聞かざるか、夫れ楚の平王士有り、曰く楚傒胥丘・負客、王将に之を殺さんとし、出でて晋に亡ぐ。晋人之を用い、是れ城濮の戦いを為す。又士有り苗賁皇と曰う、王将に之を殺さんとし、出でて晋に走る。晋人之を用い、是れ鄢陵の戦いを為す。又士有り上解于と曰う、王将に之を殺さんとし、出でて晋に走る。晋人之を用い、是れ両棠の戦いを為す。又士有り伍子胥と曰う、王其の父兄を殺し、出でて呉に走る。闔閭之を用い、是に於いて師を興して郢を襲う。故に楚の大いに梁・鄭・宋・衛の君に罪を得るも、猶お未だ遽かに此に至らざるなり。此れ四たび其の士に罪を得て、三たび其の民の骨を暴し、一たび其の国を亡ぼす。此に由りて之を観れば、士存すれば則ち国存し、士亡ぶれば則ち国亡ぶ。子胥怒りて之を亡ぼし、申包胥怒りて之を存す。士胡ぞ貴からざるべけんや」と。
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戦国策・韓珉相齊韓珉齊に相たり、吏をして公疇豎を逐わしめ、周の成陽君を留むるに大いに怒る。韓珉に謂いて曰く、「公二人の者を以て賢人と為さば、入る所の國、因りて之を用いんか。則ち其の小國に處るに如かず。何ぞや。成陽君秦の為に韓を去り、公疇豎は、楚王之を善しとす。今公因りて之を逐わば、二人の者必ず秦・楚に入り、必ず公の患いと為らん。且つ公の天下に善からざるを明らかにす。天下の公を善しとせざる者、與に齊に求むる有らんと欲する者、且に之を收めて、以て齊に臨みて公を市らんとす。」
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