春秋左氏伝 / 襄公二十六年 賞を勧め刑を畏る
將刑為之不舉。不舉則徹樂。此以知其畏刑也。夙興夜寐。朝夕臨政。此以知其恤民也。三者禮之大節也。有禮無敗。今楚多淫刑。其大夫逃死於四方。而為之謀主。以害楚國。不可救療。所謂不能也。子儀之亂。析公奔晉。晉人寘諸戎車之殿。以為謀主。繞角之役。晉將遁矣。析公曰:楚師輕窕。易震蕩也。若多鼓鈞聲以夜軍之。楚師必遁晉人從之。楚師宵潰。晉遂侵蔡襲沈。獲其君。敗申息之師於桑隧。獲申麗而還。鄭於是不敢南面。楚失華夏。則析公之為也。雍子之父兄譖雍子。君與大夫不善是也。雍子奔晉。晉人與之鄐。以為謀主。彭城之役。晉楚遇於靡角之谷。
新字:将刑為之不舉。不舉則徹楽。此以知其畏刑也。夙興夜寐。朝夕臨政。此以知其恤民也。三者礼之大節也。有礼無敗。今楚多淫刑。其大夫逃死於四方。而為之謀主。以害楚国。不可救療。所謂不能也。子儀之乱。析公奔晋。晋人寘諸戎車之殿。以為謀主。繞角之役。晋将遁矣。析公曰:楚師軽窕。易震蕩也。若多鼓鈞声以夜軍之。楚師必遁晋人従之。楚師宵潰。晋遂侵蔡襲沈。獲其君。敗申息之師於桑隧。獲申麗而還。鄭於是不敢南面。楚失華夏。則析公之為也。雍子之父兄譖雍子。君与大夫不善是也。雍子奔晋。晋人与之鄐。以為謀主。彭城之役。晋楚遇於靡角之谷。
書き下し
將に刑せんとすれば之が為に舉げず。舉げざれば則ち樂を徹す。此を以て其の刑を畏るるを知るなり。夙に興き夜に寐ね、朝夕政に臨む。此を以て其の民を恤ふるを知るなり。三者は禮の大節なり。禮有れば敗るること無し。今楚淫刑多く、其の大夫死を四方に逃れて、之が謀主と為り、以て楚國を害す。救療すべからず。所謂能はざるなり。子儀の亂に、析公晉に奔る。晉人諸を戎車の殿に寘き、以て謀主と為す。繞角の役に、晉將に遁れんとす。析公曰く、『楚師は輕窕にして、震蕩し易し。若し多く鼓を鈞しく聲して夜を以て之に軍せば、楚師必ず遁れん』と。晉人之に從ふ。楚師宵に潰ゆ。晉遂に蔡を侵し沈を襲ひ、其の君を獲、申・息の師を桑隧に敗り、申麗を獲て還る。鄭是に於いて敢へて南面せず。楚華夏を失ふは、則ち析公の為す所なり。雍子の父兄雍子を譖す。君と大夫と是を善とせず。雍子晉に奔る。晉人之に鄐を與へ、以て謀主と為す。彭城の役に、晉・楚靡角の谷に遇ふ。
現代語訳
刑を行おうとするときには、そのために盛大な食事をとりやめました。盛大な食事をとりやめれば、音楽も撤去しました。これによって、刑することを恐れていたと分かるのです。朝早く起きて夜遅く寝て、朝から晩まで政務に臨みました。これによって、民をいたわっていたと分かるのです。この三つは礼の大きな節目であり、礼があれば失敗することはありません。ところが今、楚ではみだりな刑罰が多く、大夫たちは死を逃れて四方の国に亡命し、その国の謀主(参謀)となって楚国を害しています。もはや治療のしようがありません。これが、いわゆる『楚には人材があっても用いることができない』ということです。子儀(闘克)の乱のとき、析公は晋に亡命しました。晋の人々は彼を君主の戦車の後ろに置いて、謀主としました。繞角の戦いで、晋軍は退却しようとしていました。そのとき析公が言いました。『楚軍は軽々しく落ち着きがなく、動揺しやすい。もし太鼓をいっせいに打ち鳴らし、夜のうちに攻め寄せれば、楚軍は必ず逃げるだろう』。晋の人々がこれに従うと、楚軍は夜のうちに崩れました。晋はそのまま蔡を侵し、沈を襲ってその君を捕らえ、申と息の軍を桑隧で破り、申麗を捕らえて帰りました。鄭はこのため、南の楚に顔を向けようとしなくなりました。楚が中原の諸国を失ったのは、析公のしわざです。雍子の父や兄が雍子を讒言しました。君主も大夫も雍子の言い分を正しいとしませんでした。雍子は晋に亡命しました。晋の人々は彼に鄐の地を与え、謀主としました。彭城の戦いで、晋と楚は靡角の谷で対峙しました。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公二十一年 礼は政の輿冬、曹の武公來朝す、始めて見ゆるなり。商任に會す、欒氏を錮するなり。齊侯・衛侯、敬せず。叔向曰く、「二君は必ず免れざらん。會朝は禮の經なり。禮は政の輿なり。政は身の守りなり。禮を怠れば政を失ひ、政を失へば立たず。是を以って亂るるなり」と。知起・中行喜・州綽・邢蒯、出でて齊に奔る。皆欒氏の黨なり。樂王鮒范宣子に謂ひて曰く、「盍ぞ州綽・邢蒯を反さざる。勇士なり」と。宣子曰く、「彼は欒氏の勇なり。余何をか獲ん」と。王鮒曰く、「子彼の欒氏と為らば、乃ち亦た子の勇なり」と。齊の莊公朝して殖綽・郭最を指して曰く、「是れ寡人の雄なり」と。州綽曰く、「君以って雄と為さば、誰か敢へて雄とせざらん。然れども臣は不敏なれど、平陰の役に、二子に先んじて鳴けり」と。莊公勇爵を為る。殖綽・郭最、與らんと欲す。州綽曰く、「東閭の役に、臣の左驂迫られ、門中に還りて、其の枚數を識れり。其れ以って此に與る可きか」と。公曰く、「子は晉君の為なり」と。對へて曰く、「臣の隸為るは新たなり。然れども二子は、諸を禽獸に譬ふれば、臣其の肉を食らひて、其の皮に寢處せり」と。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 楚材晋用對へて曰く、「晉の卿は楚に如かず。其の大夫は則ち賢なり。皆卿の材なり。杞梓・皮革の、楚より往くが如し。楚に材有りと雖も、晉實に之を用ゐる」と。子木曰く、「夫れ獨り族姻無からんや」と。對へて曰く、「有りと雖も、楚の材を用ゐること實に多し。歸生之を聞く、善く國を為むる者は、賞僭はずして刑濫れず。賞僭へば則ち淫人に及ばんことを懼れ、刑濫るれば則ち善人に及ばんことを懼る。若し不幸にして過たば、寧ろ僭ふとも濫るること無かれ。其の善を失はんよりは、寧ろ其れ淫を利せよ。善人無ければ、則ち國之に從ふ。詩に曰く、『人の云に亡ぶる、邦國殄瘁す』と。善人無きの謂ひなり。故に夏書に曰く、『其の不辜を殺さんよりは、寧ろ不經を失せよ』と。善を失はんことを懼るるなり。商頌に之有りて曰く、『僭はず濫れず、敢へて怠皇せず。下國に命じて、厥の福を封建す』と。此れ湯の天福を獲たる所以なり。古の民を治むる者は、賞を勸めて刑を畏れ、民を恤へて倦まず。賞するに春夏を以てし、刑するに秋冬を以てす。是を以て將に賞せんとすれば之が為に膳を加ふ。膳を加ふれば則ち飫賜す。此を以て其の賞を勸むるを知るなり。
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戦国策・韓珉相齊韓珉齊に相たり、吏をして公疇豎を逐わしめ、周の成陽君を留むるに大いに怒る。韓珉に謂いて曰く、「公二人の者を以て賢人と為さば、入る所の國、因りて之を用いんか。則ち其の小國に處るに如かず。何ぞや。成陽君秦の為に韓を去り、公疇豎は、楚王之を善しとす。今公因りて之を逐わば、二人の者必ず秦・楚に入り、必ず公の患いと為らん。且つ公の天下に善からざるを明らかにす。天下の公を善しとせざる者、與に齊に求むる有らんと欲する者、且に之を收めて、以て齊に臨みて公を市らんとす。」
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説苑・尊賢周の威公甯子に問いて曰く、「士を取るに道有りや」と。対えて曰く、「有り。窮する者は之を達せしめ、亡ぶる者は之を存せしめ、廃する者は之を起こせば、四方の士は則ち四面より至る。窮する者達せず、亡ぶる者存せず、廃する者起こらざれば、四方の士は則ち四面より畔く。夫れ城固きも自ら守る能わず、兵利なるも自ら保つ能わず、士を得て之を失えば、必ず其の間有り。夫れ士存すれば則ち君尊く、士亡ぶれば則ち君卑し」と。周の武公曰く、「士壹に此くの如きか」と。対えて曰く、「君聞かざるか、夫れ楚の平王士有り、曰く楚傒胥丘・負客、王将に之を殺さんとし、出でて晋に亡ぐ。晋人之を用い、是れ城濮の戦いを為す。又士有り苗賁皇と曰う、王将に之を殺さんとし、出でて晋に走る。晋人之を用い、是れ鄢陵の戦いを為す。又士有り上解于と曰う、王将に之を殺さんとし、出でて晋に走る。晋人之を用い、是れ両棠の戦いを為す。又士有り伍子胥と曰う、王其の父兄を殺し、出でて呉に走る。闔閭之を用い、是に於いて師を興して郢を襲う。故に楚の大いに梁・鄭・宋・衛の君に罪を得るも、猶お未だ遽かに此に至らざるなり。此れ四たび其の士に罪を得て、三たび其の民の骨を暴し、一たび其の国を亡ぼす。此に由りて之を観れば、士存すれば則ち国存し、士亡ぶれば則ち国亡ぶ。子胥怒りて之を亡ぼし、申包胥怒りて之を存す。士胡ぞ貴からざるべけんや」と。
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