説苑 / 尊賢
周威公問於甯子曰:「取士有道乎?」對曰:「有,窮者達之,亡者存之,廢者起之;四方之士,則四面而至矣。窮者不達,亡者不存,廢者不起;四方之士,則四面而畔矣。夫城固不能自守,兵利不能自保,得士而失之,必有其間,夫士存則君尊,士亡則君卑。」周武公曰:「士壹至如此乎?」對曰:「君不聞夫楚平王有士,曰楚傒胥丘,負客,王將殺之,出亡之晉;晉人用之,是為城濮之戰。又有士曰苗賁皇,王將殺之,出亡走晉;晉人用之,是為鄢陵之戰。又有士曰上解于,王將殺之,出亡走晉;晉人用之,是為兩堂之戰。又有士曰伍子胥,王殺其父兄,出亡走吳;闔閭用之,於是興師而襲郢,故楚之大得罪於梁鄭宋衛之君,猶未遽至于此也。此四得罪於其士,三暴其民骨,一亡其國。由是觀之,士存則國存,士亡則國亡;子胥怒而亡之,申包胥怒而存之;士胡可無貴乎!」
新字:周威公問於甯子曰:「取士有道乎?」対曰:「有,窮者達之,亡者存之,廃者起之;四方之士,則四面而至矣。窮者不達,亡者不存,廃者不起;四方之士,則四面而畔矣。夫城固不能自守,兵利不能自保,得士而失之,必有其間,夫士存則君尊,士亡則君卑。」周武公曰:「士壱至如此乎?」対曰:「君不聞夫楚平王有士,曰楚傒胥丘,負客,王将殺之,出亡之晋;晋人用之,是為城濮之戦。又有士曰苗賁皇,王将殺之,出亡走晋;晋人用之,是為鄢陵之戦。又有士曰上解于,王将殺之,出亡走晋;晋人用之,是為両堂之戦。又有士曰伍子胥,王殺其父兄,出亡走呉;闔閭用之,於是興師而襲郢,故楚之大得罪於梁鄭宋衛之君,猶未遽至于此也。此四得罪於其士,三暴其民骨,一亡其国。由是観之,士存則国存,士亡則国亡;子胥怒而亡之,申包胥怒而存之;士胡可無貴乎!」
書き下し
周の威公甯子に問いて曰く、「士を取るに道有りや」と。対えて曰く、「有り。窮する者は之を達せしめ、亡ぶる者は之を存せしめ、廃する者は之を起こせば、四方の士は則ち四面より至る。窮する者達せず、亡ぶる者存せず、廃する者起こらざれば、四方の士は則ち四面より畔く。夫れ城固きも自ら守る能わず、兵利なるも自ら保つ能わず、士を得て之を失えば、必ず其の間有り。夫れ士存すれば則ち君尊く、士亡ぶれば則ち君卑し」と。周の武公曰く、「士壹に此くの如きか」と。対えて曰く、「君聞かざるか、夫れ楚の平王士有り、曰く楚傒胥丘・負客、王将に之を殺さんとし、出でて晋に亡ぐ。晋人之を用い、是れ城濮の戦いを為す。又士有り苗賁皇と曰う、王将に之を殺さんとし、出でて晋に走る。晋人之を用い、是れ鄢陵の戦いを為す。又士有り上解于と曰う、王将に之を殺さんとし、出でて晋に走る。晋人之を用い、是れ両棠の戦いを為す。又士有り伍子胥と曰う、王其の父兄を殺し、出でて呉に走る。闔閭之を用い、是に於いて師を興して郢を襲う。故に楚の大いに梁・鄭・宋・衛の君に罪を得るも、猶お未だ遽かに此に至らざるなり。此れ四たび其の士に罪を得て、三たび其の民の骨を暴し、一たび其の国を亡ぼす。此に由りて之を観れば、士存すれば則ち国存し、士亡ぶれば則ち国亡ぶ。子胥怒りて之を亡ぼし、申包胥怒りて之を存す。士胡ぞ貴からざるべけんや」と。
現代語訳
周の威公が甯子に尋ねた。「人材を得るのに方法があるだろうか。」甯子は答えた。「あります。困窮する者を助け、亡命者を保護し、廃された者を復興させれば、四方の人材が集まってきます。逆であれば四方に背かれます。城壁や兵器も、人材を失えば自らを保てません。人材が留まれば君主は尊く、去れば卑しくなります。」周の武公が言った。「そこまでのものか。」甯子は答えた。「楚の平王は多くの人材を殺そうとして晋や呉に追いやりました。楚傒胥丘・苗賁皇・上解于はいずれも晋に逃れ用いられ、城濮・鄢陵・両棠の戦いをもたらしました。伍子胥は父兄を殺され呉に逃れ、闔閭に用いられて楚の都・郢を襲いました。人材が留まれば国は存続し、去れば国は滅びます。伍子胥は怒って楚を滅ぼしかけ、申包胥は怒って楚を存続させました。人材はどうして貴ばずにいられましょうか。」
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『武家家訓集』朝倉敏景十七箇条「第十二条」一、僧俗共に能藝一手あらん者、他家へ越さるまじく候。但し身の能をのみ本として、奉公無からん輩は曲无く候事、
-
『春秋左氏伝』襄公二十六年 楚材晋用對へて曰く、「晉の卿は楚に如かず。其の大夫は則ち賢なり。皆卿の材なり。杞梓・皮革の、楚より往くが如し。楚に材有りと雖も、晉實に之を用ゐる」と。子木曰く、「夫れ獨り族姻無からんや」と。對へて曰く、「有りと雖も、楚の材を用ゐること實に多し。歸生之を聞く、善く國を為むる者は、賞僭はずして刑濫れず。賞僭へば則ち淫人に及ばんことを懼れ、刑濫るれば則ち善人に及ばんことを懼る。若し不幸にして過たば、寧ろ僭ふとも濫るること無かれ。其の善を失はんよりは、寧ろ其れ淫を利せよ。善人無ければ、則ち國之に從ふ。詩に曰く、『人の云に亡ぶる、邦國殄瘁す』と。善人無きの謂ひなり。故に夏書に曰く、『其の不辜を殺さんよりは、寧ろ不經を失せよ』と。善を失はんことを懼るるなり。商頌に之有りて曰く、『僭はず濫れず、敢へて怠皇せず。下國に命じて、厥の福を封建す』と。此れ湯の天福を獲たる所以なり。古の民を治むる者は、賞を勸めて刑を畏れ、民を恤へて倦まず。賞するに春夏を以てし、刑するに秋冬を以てす。是を以て將に賞せんとすれば之が為に膳を加ふ。膳を加ふれば則ち飫賜す。此を以て其の賞を勸むるを知るなり。
-
『春秋左氏伝』襄公二十六年 楚、奔命に罷る晉將に遁れんとす。雍子命を軍に發して曰く、『老幼を歸し、孤疾を反し、二人役すれば一人を歸せ。兵を簡び乘を蒐め、馬に秣ひ蓐食し、師陳して次を焚け。明日將に戰はんとす』と。歸る者を行かしめ、而して楚の囚を逸す。楚師宵に潰ゆ。晉彭城を降し、而して諸を宋に歸し、魚石を以て歸る。楚東夷を失ひ、子辛之に死す。則ち雍子の為す所なり。子反子靈と夏姬を爭ひて、其の事を雍害す。子靈晉に奔る。晉人之に邢を與へ、以て謀主と為す。北狄を扞禦し、吳を晉に通じ、吳に楚に叛くことを教へ、之に乘車・射御・驅侵を教へ、其の子狐庸をして吳の行人為らしむ。吳是に於いて巢を伐ち、駕を取り、棘に克ち、州來に入る。楚奔命に罷る。今に至るまで患ひを為す。則ち子靈の為す所なり。若敖の亂に、伯賁の子賁皇晉に奔る。晉人之に苗を與へ、以て謀主と為す。鄢陵の役に、楚晨に晉軍に壓して陳す。晉將に遁れんとす。苗賁皇曰く、『楚師の良は其の中軍の王族に在るのみ。
-
『春秋左氏伝』成公十六年 巣車に登る楚子巢車に登りて以って晉の軍を望む。子重大宰伯州犁をして王の後に侍せしむ。王曰く、「騁せて左右するは、何ぞや」と。曰く、「軍吏を召すなり」と。「皆中軍に聚まれり」と。曰く、「合謀するなり」と。「幕を張れり」と。曰く、「虔みて先君に卜するなり」と。「幕を徹せり」と。曰く、「將に命を發せんとするなり」と。「甚だ囂しく、且つ塵上れり」と。曰く、「將に井を塞ぎ灶を夷らげて行を為さんとするなり」と。「皆乘れり。左右兵を執りて下れり」と。曰く、「誓を聽くなり」と。「戰はんか」と。曰く、「未だ知る可からざるなり」と。「乘りて左右皆下れり」と。曰く、「戰禱するなり」と。伯州犁公卒を以って王に告ぐ。苗賁皇晉侯の側に在り、亦た王卒を以って告ぐ。皆曰く、「國士在り、且つ厚し。當る可からざるなり」と。苗賁皇晉侯に言ひて曰く、「楚の良は、其の中軍の王族に在るのみ。請ふ良を分ちて以って其の左右を擊ち、而して三軍王卒に萃まらば、必ず大いに之を敗らん」と。公之を筮す。史曰く、「吉なり。其の卦は復に遇ふ。曰く、『南國蹙まり、其の元を射る。王厥の目に中る』と。國蹙まり王傷つく、敗れずして何をか待たん」と。公之に從ふ。
-
『春秋左氏伝』襄公二十一年 礼は政の輿冬、曹の武公來朝す、始めて見ゆるなり。商任に會す、欒氏を錮するなり。齊侯・衛侯、敬せず。叔向曰く、「二君は必ず免れざらん。會朝は禮の經なり。禮は政の輿なり。政は身の守りなり。禮を怠れば政を失ひ、政を失へば立たず。是を以って亂るるなり」と。知起・中行喜・州綽・邢蒯、出でて齊に奔る。皆欒氏の黨なり。樂王鮒范宣子に謂ひて曰く、「盍ぞ州綽・邢蒯を反さざる。勇士なり」と。宣子曰く、「彼は欒氏の勇なり。余何をか獲ん」と。王鮒曰く、「子彼の欒氏と為らば、乃ち亦た子の勇なり」と。齊の莊公朝して殖綽・郭最を指して曰く、「是れ寡人の雄なり」と。州綽曰く、「君以って雄と為さば、誰か敢へて雄とせざらん。然れども臣は不敏なれど、平陰の役に、二子に先んじて鳴けり」と。莊公勇爵を為る。殖綽・郭最、與らんと欲す。州綽曰く、「東閭の役に、臣の左驂迫られ、門中に還りて、其の枚數を識れり。其れ以って此に與る可きか」と。公曰く、「子は晉君の為なり」と。對へて曰く、「臣の隸為るは新たなり。然れども二子は、諸を禽獸に譬ふれば、臣其の肉を食らひて、其の皮に寢處せり」と。
-
『春秋左氏伝』襄公二十六年 賞を勧め刑を畏る將に刑せんとすれば之が為に舉げず。舉げざれば則ち樂を徹す。此を以て其の刑を畏るるを知るなり。夙に興き夜に寐ね、朝夕政に臨む。此を以て其の民を恤ふるを知るなり。三者は禮の大節なり。禮有れば敗るること無し。今楚淫刑多く、其の大夫死を四方に逃れて、之が謀主と為り、以て楚國を害す。救療すべからず。所謂能はざるなり。子儀の亂に、析公晉に奔る。晉人諸を戎車の殿に寘き、以て謀主と為す。繞角の役に、晉將に遁れんとす。析公曰く、『楚師は輕窕にして、震蕩し易し。若し多く鼓を鈞しく聲して夜を以て之に軍せば、楚師必ず遁れん』と。晉人之に從ふ。楚師宵に潰ゆ。晉遂に蔡を侵し沈を襲ひ、其の君を獲、申・息の師を桑隧に敗り、申麗を獲て還る。鄭是に於いて敢へて南面せず。楚華夏を失ふは、則ち析公の為す所なり。雍子の父兄雍子を譖す。君と大夫と是を善とせず。雍子晉に奔る。晉人之に鄐を與へ、以て謀主と為す。彭城の役に、晉・楚靡角の谷に遇ふ。