春秋左氏伝 / 襄公十年 知伯、机を投ず
及堞而絕之。隊則又縣之。蘇而復上者三。主人辭焉。乃退。帶其斷以徇於軍三日。諸侯之師。久於偪陽。荀偃。士匄。請於荀罃曰。水潦將降。懼不能歸。請班師。知伯怒。投之以机。出於其間曰。女成二事而後告余。余恐亂命。以不女違。女既勤君而興諸侯。牽帥老夫。以至于此。既無武守。而又欲易余罪。曰是實班師。不然克矣。余羸老也。可重任乎。七日不克。必爾乎取之。五月。庚寅。荀偃。士匄。帥卒攻偪陽。親受矢石。甲午。滅之。書曰。遂滅偪陽。言自會也。以與向戌。向戌辭曰。君若猶辱鎮撫宋國。而以偪陽光啟寡君。
新字:及堞而絶之。隊則又県之。蘇而復上者三。主人辞焉。乃退。帯其断以徇於軍三日。諸侯之師。久於偪陽。荀偃。士匄。請於荀罃曰。水潦将降。懼不能帰。請班師。知伯怒。投之以机。出於其間曰。女成二事而後告余。余恐乱命。以不女違。女既勤君而興諸侯。牽帥老夫。以至于此。既無武守。而又欲易余罪。曰是実班師。不然克矣。余羸老也。可重任乎。七日不克。必爾乎取之。五月。庚寅。荀偃。士匄。帥卒攻偪陽。親受矢石。甲午。滅之。書曰。遂滅偪陽。言自会也。以与向戌。向戌辞曰。君若猶辱鎮撫宋国。而以偪陽光啓寡君。
書き下し
堞(ちふ)に及びて之を絕つ。隊(お)つれば則ち又之を縣く。蘇(よみがへ)りて復た上る者三たび。主人辭す。乃ち退き、其の斷を帶びて以て軍に徇ふること三日。諸侯の師、偪陽に久し。荀偃・士匄、荀罃に請ひて曰く、「水潦將に降らんとす。歸る能はざるを懼る。請ふ師を班(かへ)さん」と。知伯怒り、之に投ずるに机を以てす。其の間より出でて曰く、「女(なんぢ)二事を成して而る後に余に告ぐ。余、命を亂らんことを恐れ、以て女に違はず。女既に君を勤めしめて諸侯を興し、老夫を牽帥して、以て此に至る。既に武守無くして、又余に罪を易へんと欲し、『是れ實に師を班せり。然らずんば克てり』と曰はん。余は羸老なり、重任すべけんや。七日にして克たずんば、必ず爾(なんぢ)を取らん」と。五月庚寅、荀偃・士匄、卒を帥ゐて偪陽を攻め、親ら矢石を受く。甲午、之を滅す。書して「遂に偪陽を滅す」と曰ふは、會よりするを言ふなり。以て向戌に與ふ。向戌辭して曰く、「君若し猶ほ辱くも宋國を鎮撫し、而して偪陽を以て寡君を光啟せば、
現代語訳
秦堇父が城壁の姫垣に達したところで、守り手は布を切った。落ちると、また布を垂らした。息を吹き返してまた登ること三度に及んだ。守り手はもう結構だと断った。そこで秦堇父は退き、切れた布を身に帯びて、三日間、軍中に見せて回った。諸侯の軍は長く偪陽に留まった。荀偃と士匄は荀罃(知伯、知武子)に願い出て言った。「長雨の季節がもうすぐやって来ます。帰れなくなるのが心配です。どうか軍を引き揚げさせてください」。知伯は怒って、二人に向かって脇息を投げつけた。脇息は二人の間を抜けていった。知伯は言った。「おまえたちは、二つの事(偪陽攻めと向戌への封地)を決めてしまってから私に告げた。私は命令系統が乱れるのを恐れて、おまえたちに逆らわなかった。おまえたちは主君を働かせて諸侯を動員し、この老いぼれを引っ張ってここまで来た。それなのに武功を挙げられず、今度は罪を私になすりつけようとし、『あの人が軍を引き揚げさせたのだ。そうでなければ勝っていた』と言うつもりなのだろう。私は老い衰えた身だ、そんな重荷を背負えようか。七日たって勝てなければ、必ずおまえたちの首を取る」。五月庚寅の日、荀偃と士匄は兵士を率いて偪陽を攻め、自ら矢や石を身に受けた。甲午の日、偪陽を滅ぼした。『春秋』が「遂に偪陽を滅す」と「遂」の字を使って記しているのは、柤の会合からそのまま続けて攻めたことを言っているのである。偪陽の地は向戌に与えられた。向戌は辞退して言った。「もし君(晋侯)がなお宋国を慰撫してくださり、偪陽の地で我が君の国土を広げてくださるのでしたら、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』三守第十六事敗るれば主と其の禍を分かち、而して功成らば則ち臣獨り之を専らにす。...心を壹にし辭を同じくして以て其の美を語らば、則ち主として悪を言う者は必ず信ぜられざらん。
-
『春秋左氏伝』昭公八年 弔うべきを賀す夏、四月、辛亥、哀公縊る。干徵師楚に赴げ、且つ君を立つる有るを告ぐ。公子勝之を楚に愬ふ。楚人執へて之を殺す。公子留鄭に奔る。書して曰く、「陳侯の弟招、陳の世子偃師を殺す」と。罪招に在るなり。「楚人陳の行人干徵師を執へて之を殺す」と。罪行人に在らざるなり。叔弓晉に如く、虒祁を賀するなり。游吉鄭伯を相けて以って晉に如く、亦た虒祁を賀するなり。史趙子大叔に見えて曰く、「甚だしいかな其の相蒙くや。弔ふべくして又之を賀す」と。子大叔曰く、「若何ぞ弔はん。其れ唯だ我のみ賀するに非ず、將に天下實に賀せんとす」と。秋、紅に大蒐す。根牟より商・衛に至るまで、革車千乘なり。七月、甲戌、齊の子尾卒す。子旗其の室を治めんと欲す。丁丑、梁嬰を殺す。
-
呉子・励士篇戦うに先だつこと一日、呉起、三軍に令して曰く、諸々の吏士は当に従いて馳を受くべし。車騎と徒と、若し車は車を得ず、騎は騎を得ず、徒は徒を得ずんば、軍を破ると雖も皆易ること無し、と。故に戦いの日、其の令煩わしからずして威天下に震う。
-
荀子・王制篇官を序す。宰爵は賓客、祭祀、饗食犠牲の牢数を知る。司徒は百宗、城郭、立器の数を知る。司馬は師旅、甲兵、乗白の数を知る。憲命を脩め、詩商を審らかにし、淫声を禁じ、時を以て順脩し、夷俗邪音をして敢えて雅を乱さざらしむるは、大師の事なり。隄梁を脩め、溝澮を通じ、水潦を行らし、水臧を安んじ、時を以て決塞し、歳凶敗水旱と雖も、民をして耘艾する所有らしむるは、司空の事なり。高下を相し、肥墝を視、五種を序し、農功を省み、蓄蔵を謹み、時を以て順脩し、農夫をして樸力にして能寡なからしむるは、治田の事なり。火憲を脩め、山林藪沢の草木、魚鱉、百素を養い、時を以て禁発し、国家をして用に足りて、財物屈きざらしむるは、虞師の事なり。州里を順にし、廛宅を定め、六畜を養い、樹芸を閒え、教化を勧め、孝弟に趨かしめ、時を以て順修し、百姓をして命に順い、郷に処るを安楽ならしむるは、郷師の事なり。百工を論じ、時事を審らかにし、功苦を弁じ、完利を尚び、備用を便にし、雕琢文采をして敢えて家に専ら造らざらしむるは、工師の事なり。陰陽を相し、祲兆を占い、亀を鑽り卦を陳ね、五卜を攘択するを主どり、其の吉凶妖祥を知るは、傴巫跛撃の事なり。採清を脩め、道路を易らかにし、盗賊を謹み、室律を平らかにし、時を以て順修し、賓旅をして安んじて貨財通ぜしむるは、治市の事なり。急を抃え悍を禁じ、淫を防ぎ邪を除き、之を戮するに五刑を以てし、暴悍をして以て変ぜしめ、姦邪作らざらしむるは、司寇の事なり。政教を本とし、法則を正し、兼ね聴きて時に之を稽え、其の功労を度り、其の慶賞を論じ、時を以て慎脩し、百吏をして免め尽くさしめ、衆庶をして偸ならざらしむるは、冢宰の事なり。礼楽を論じ、身行を正し、教化を広め、風俗を美にし、兼ね覆いて之を調一するは、辟公の事なり。道徳を全うし、隆高を致し、文理を綦め、天下を一にし、毫末を振るい、天下をして順比従服せざる莫からしむるは、天王の事なり。故に政事乱るれば、則ち冢宰の罪なり。国家俗を失えば、則ち辟公の過ちなり。天下一ならず、諸侯俗に反けば、則ち天王其の人に非ざるなり。
-
『春秋左氏伝』昭公三十年 伍員、楚を疲れさす冬、十二月、吳子鍾吾子を執へ、遂に徐を伐ち、山を防ぎて以って之に水(みづひた)す。己卯、徐を滅ぼす。徐子章禹其の髮を斷ち、其の夫人を攜へて、以って吳子を逆ふ。吳子唁して之を送り、其の邇臣をして之に從はしむ。遂に楚に奔る。楚の沈尹戌師を帥ゐて徐を救ふも、及ばず。遂に夷に城き、徐子をして之に處らしむ。吳子伍員に問ひて曰く、「初め而(なんぢ)楚を伐たんことを言ふ、余其の可なるを知れり。而るに其の余をして往かしめんことを恐れ、又人の余の功を有つを惡めり。今余將に自ら之を有たんとす。楚を伐つは何如」と。對へて曰く、「楚は執政衆くして乖(そむ)き、患ひに適任する莫し。若し三師を為(つく)りて以って肄(し)せば、一師至らば、彼必ず皆出でん。彼出づれば則ち歸り、彼歸れば則ち出でば、楚必ず道に敝れん。亟(しばしば)肄して以って之を罷らし、多方以って之を誤らしめ、既に罷れて後に三軍を以って之に繼がば、必ず大いに之に克たん」と。闔廬之に從ふ。楚是に於いてか始めて病む。
-
荀子・致士篇君なる者は国の隆なり、父なる者は家の隆なり。隆は一なれば治まり、二なれば乱る。古より今に及ぶまで、未だ二隆重きを争いて、能く長久なる者は有らざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る