呉子 / 励士篇
先戰一日,吳起令三軍曰:「諸吏士當從受馳。車騎與徒,若車不得車,騎不得騎,徒不得徒,雖破軍皆無易。」故戰之日,其令不煩而威震天下。
新字:先戦一日,呉起令三軍曰:「諸吏士当従受馳。車騎与徒,若車不得車,騎不得騎,徒不得徒,雖破軍皆無易。」故戦之日,其令不煩而威震天下。
書き下し
戦うに先だつこと一日、呉起、三軍に令して曰く、諸々の吏士は当に従いて馳を受くべし。車騎と徒と、若し車は車を得ず、騎は騎を得ず、徒は徒を得ずんば、軍を破ると雖も皆易ること無し、と。故に戦いの日、其の令煩わしからずして威天下に震う。
現代語訳
戦いの前日、呉起は全軍に令して言った。将校も兵士も、みな指示に従って攻めかかる役目を受けよ。戦車隊と騎兵隊と歩兵隊のうち、戦車隊が敵の戦車を仕留められず、騎兵隊が敵の騎兵を仕留められず、歩兵隊が敵の歩兵を仕留められなければ、たとえ敵軍を打ち破ったとしても、その働きは功として認められない。こうして、戦いの当日、その命令はこまごまとしていなかったにもかかわらず、その威は天下に響き渡ったのである。
解説
励士篇の締めくくりです。決戦の前日、呉起が全軍に出した命令は、たった一つでした。戦車は敵の戦車を、騎兵は敵の騎兵を、歩兵は敵の歩兵を、それぞれ確実に仕留めよ。それができなければ、全体として勝ったとしても功とは認めない。難解な一節で末尾の読みには諸説ありますが、各部隊に担当を明示し、その担当を果たすことを求めた命令だと読めます。ここで効いているのは、命令が徹底して簡潔だったことです。細々とした指示を並べず、誰が何に責任を持つかだけを明示する。だからこそ全員が自分のやるべきことを間違えず、その威は天下に響いたと記されます。論将篇で呉子が挙げた約、すなわち法令は簡潔で煩わしくないこと、がここで実践されています。仕事でも、細かい手順書を配るより、各人の担当と成果の定義を一言で示すほうが人は動きます。責任の所在を明確にする一言の重みを教えてくれる段です。
この章句が説くこと
命令の簡潔さ担当の明確化責任の所在約の実践士気率先垂範
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