春秋左氏伝 / 襄公四年 穆叔、五善を拝す
四年春。楚師為陳叛故。猶在繁陽。韓獻子患之。言於朝曰。文王帥殷之叛國。以事紂。唯知時也。今我易之。難哉。三月。陳成公卒。楚人將伐陳。聞喪乃止。陳人不聽命。臧武仲聞之曰。陳不服於楚必亡。大國行禮焉而不服。在大猶有咎。而況小乎。夏。楚彭名侵陳。陳無禮故也。穆叔如晉。報知武子之聘也。晉侯享之。金奏肆夏之三。不拜。工歌文王之三。又不拜。歌鹿鳴之三。三拜。韓獻子使行人子員問之。曰。子以君命辱於敝邑。先君之禮。藉之以樂。以辱吾子。吾子舍其大而重。拜其細。敢問何禮也。對曰。三夏。天子所以享元侯也。使臣弗敢與聞。文王。兩君相見之樂也。臣不敢及。鹿鳴。君所以嘉寡君也。敢不拜嘉。四牡。君所以勞使臣也。敢不重拜。皇皇者華。君教使臣曰。必諮於周。臣聞之。訪問於善為咨。咨親為詢。咨禮為度。咨事為諏。咨難為謀。臣獲五善。敢不重拜。
新字:四年春。楚師為陳叛故。猶在繁陽。韓献子患之。言於朝曰。文王帥殷之叛国。以事紂。唯知時也。今我易之。難哉。三月。陳成公卒。楚人将伐陳。聞喪乃止。陳人不聴命。臧武仲聞之曰。陳不服於楚必亡。大国行礼焉而不服。在大猶有咎。而況小乎。夏。楚彭名侵陳。陳無礼故也。穆叔如晋。報知武子之聘也。晋侯享之。金奏肆夏之三。不拝。工歌文王之三。又不拝。歌鹿鳴之三。三拝。韓献子使行人子員問之。曰。子以君命辱於敝邑。先君之礼。藉之以楽。以辱吾子。吾子舎其大而重。拝其細。敢問何礼也。対曰。三夏。天子所以享元侯也。使臣弗敢与聞。文王。両君相見之楽也。臣不敢及。鹿鳴。君所以嘉寡君也。敢不拝嘉。四牡。君所以労使臣也。敢不重拝。皇皇者華。君教使臣曰。必諮於周。臣聞之。訪問於善為咨。咨親為詢。咨礼為度。咨事為諏。咨難為謀。臣獲五善。敢不重拝。
書き下し
四年春、楚の師、陳の叛くが爲の故に、猶ほ繁陽に在り。韓獻子之を患ひ、朝に言ひて曰く、「文王、殷の叛國を帥ゐて以て紂に事ふ。唯だ時を知ればなり。今我之を易ふ。難きかな」と。三月、陳の成公卒す。楚人將に陳を伐たんとし、喪を聞きて乃ち止む。陳人命を聽かず。臧武仲之を聞きて曰く、「陳、楚に服せずんば必ず亡びん。大國禮を行ひて服せず、大に在るも猶ほ咎有り、而るを況んや小をや」と。夏、楚の彭名、陳を侵す。陳の無禮の故なり。穆叔、晉に如く。知武子の聘に報ゆるなり。晉侯之を享す。金もて肆夏の三を奏す。拜せず。工、文王の三を歌ふ。又拜せず。鹿鳴の三を歌ふ。三たび拜す。韓獻子、行人子員をして之を問はしめて曰く、「子、君命を以て敝邑に辱くす。先君の禮、之に藉(し)くに樂を以てし、以て吾子を辱くす。吾子、其の大を舍てて、其の細を重拜す。敢へて問ふ、何の禮ぞや」と。對へて曰く、「三夏は、天子の元侯を享する所以なり。使臣敢へて與り聞かず。文王は、兩君相見ゆるの樂なり。臣敢へて及ばず。鹿鳴は、君の寡君を嘉する所以なり。敢へて嘉を拜せざらんや。四牡は、君の使臣を勞ふ所以なり。敢へて重拜せざらんや。皇皇者華は、君、使臣に教へて曰く、『必ず周に諮れ』と。臣之を聞く、善に訪問するを咨と爲し、親を咨るを詢と爲し、禮を咨るを度と爲し、事を咨るを諏と爲し、難を咨るを謀と爲す、と。臣、五善を獲たり。敢へて重拜せざらんや」と。
現代語訳
襄公四年の春、楚の軍は陳が叛いたために、なお繁陽に駐留していた。韓献子(韓厥)はこれを憂え、朝廷で言った。「周の文王は、殷に背いた国々を率いながらも紂王に仕えた。それはただ時勢を心得ていたからである。いま我々はそれを逆にして、楚に背いた国を引き受けて楚と争おうとしている。難しいことだ」。三月、陳の成公が亡くなった。楚は陳を討とうとしていたが、喪を聞いてとりやめた。それでも陳は楚の命令に従わなかった。臧武仲(ぞうぶちゅう)はこれを聞いて言った。「陳が楚に服従しないなら、必ず滅びるだろう。大国が礼を尽くしているのに服さないのは、大国であってもなお咎めを受ける。まして小国ならなおさらだ」。夏、楚の彭名(ほうめい)が陳を侵した。陳が無礼だったからである。穆叔(叔孫豹)が晋に行った。知武子の聘問への答礼である。晋侯(悼公)は穆叔をもてなす宴を開いた。鐘などの金属の楽器で肆夏(しか)の三曲を演奏したが、穆叔は拝礼しなかった。楽人が文王の三篇を歌ったが、やはり拝礼しなかった。鹿鳴の三篇を歌うと、三度拝礼した。韓献子は行人(外交官)の子員(しいん)を遣わして尋ねさせた。「あなたは君命を奉じて我が国にお越しくださいました。先君以来の礼に従い、音楽を添えておもてなししました。ところがあなたは大きなものを差し置いて、小さなものにだけ重ねて拝礼された。いったいどういう礼なのでしょうか」。穆叔は答えた。「三夏は、天子が諸侯の長をもてなすときの音楽です。使臣の私があずかり聞くべきものではありません。文王の三篇は、二国の君主が相まみえるときの音楽です。臣下の私が及ぶべきものではありません。鹿鳴は、貴君が我が君をほめたたえてくださる歌です。そのおほめに拝礼せずにいられましょうか。四牡は、貴君が使臣の労をねぎらってくださる歌です。重ねて拝礼せずにいられましょうか。皇皇者華は、貴君が使臣に『必ず忠信の人に相談せよ』と教えてくださる歌です。私はこう聞いております。善人に訪ね問うことを咨といい、親族のことを問うことを詢といい、礼を問うことを度といい、事柄を問うことを諏といい、困難を問うことを謀という、と。私は五つの善を授かりました。重ねて拝礼せずにいられましょうか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』定公十年 夾谷の会十年春、齊と平ぐ。夏、公、齊侯に祝其に會す。實は夾谷なり。孔丘、相たり。犁彌、齊侯に言ひて曰く、「孔丘は禮を知れども勇無し。若し萊人をして兵を以て魯侯を劫かさしめば、必ず志を得ん」と。齊侯、之に從ふ。孔丘、公を以て退きて曰く、「士、之に兵せよ。兩君好を合はするに、裔夷の俘、兵を以て之を亂す。齊君の諸侯に命ずる所以に非ざるなり。裔は夏を謀らず、夷は華を亂さず、俘は盟を干さず、兵は好に偪らず。神に於いては不祥と為し、德に於いては義を愆つと為し、人に於いては禮を失ふと為す。君必ず然らざらん」と。齊侯、之を聞き、遽かに之を辟く。將に盟はんとす。齊人、載書に加へて曰く、「齊の師、竟を出づるに、甲車三百乘を以て我に從はざる者は、此の盟の如き有らん」と。孔丘、茲無還をして揖して對へしめて曰く、「而、我が汶陽の田を反さずして、吾をして以て命に共せしむる者も、亦た之の如くならん」と。齊侯、將に公を享せんとす。孔丘、梁丘據に謂ひて曰く、
-
『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
-
『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
-
『春秋左氏伝』昭公三十年 大に事え小を字しむ三十年春、王の正月、公乾侯に在り。先に鄆と乾侯とを書かざるは、公を非とし、且つ過ちを徵(あきら)かにするなり。夏、六月、晉の頃公卒す。秋、八月、晉の頃公を葬る。鄭の游吉弔し、且つ葬を送る。魏獻子、士景伯をして之を詰らしめて曰く、「悼公の喪には、子西弔し、子蟜葬を送る。今吾子貳無し、何の故ぞ」と。對へて曰く、「諸侯の晉君に歸する所以は、禮なり。禮なる者は、小大に事へ、大小を字(いつく)しむの謂なり。大に事ふるは其の時命を共するに在り、小を字しむは其の無き所を恤むに在り。敝邑の大國の間に居るを以って、其の職貢と、其の不虞の患ひに備御するとを共す。豈に命を共することを忘れんや。先王の制に、諸侯の喪には、士弔し、大夫葬を送る。唯だ嘉好・聘享・三軍の事にのみ、是に於いてか卿を使はす。晉の喪事に、敝邑の間あるときは、
-
『春秋左氏伝』襄公二十八年 先事後賄の礼二十八年春、冰無し。梓慎曰く、「今茲(ことし)、宋・鄭其れ饑ゑんか。歲、星紀に在りて、玄枵に淫す。以て時の菑(わざはひ)有り、陰、陽に堪へず。蛇、龍に乘る。龍は宋・鄭の星なり。宋・鄭必ず饑ゑん。玄枵は虛の中なり。枵は秏(へ)るの名なり。土虛しくして民秏る、饑ゑずして何をか為さん」と。夏、齊侯・陳侯・蔡侯・北燕伯・杞伯・胡子・沈子・白狄、晉に朝す。宋の盟の故なり。齊侯將に行かんとす。慶封曰く、「我は盟に與らず、何為れぞ晉に於いてせん」と。陳文子曰く、「事を先にし賄を後にするは、禮なり。小、大に事へ、未だ事ふるを獲ずして、之に從ふこと志の如くするは、禮なり。盟に與らずと雖も、敢へて晉に叛かんや。重丘の盟、未だ忘るべからざるなり。子其れ行くを勸めよ」と。衛人、甯氏の黨を討つ。故に石惡、晉に出奔す。衛人、其の從子圃を立て、以て石氏の祀を守らしむ。禮なり。邾の悼公來朝す。時の事なり。
-
『春秋左氏伝』桓公十八年 魯の桓公、斉に死す十八年春、公將に行くこと有らんとし、遂に姜氏と齊に如かんとす。申繻曰く、「女に家有り、男に室有り、相瀆すこと無し、之を禮有りと謂ふ。此を易へば、必ず敗れん」と。公齊侯に濼に會し、遂に文姜と齊に如く。齊侯焉に通ず。公之を謫む。以て告ぐ。夏四月丙子、公を享す。公子彭生をして公を乘せしむ。公車に薨ず。魯人齊に告げて曰く、「寡君君の威を畏れ、敢へて甯居せず、來りて舊好を修む。禮成りて反らず、咎を歸する所無く、諸侯に惡し。請ふ彭生を以て之を除かん」と。齊人彭生を殺す。秋、齊侯首止に師す。子亹之に會し、高渠彌相たり。七月戊戌、齊人子亹を殺して高渠彌を轘す。祭仲鄭子を陳に逆へて之を立つ。是の行や、祭仲之を知る。故に疾と稱して往かず。人曰く、「祭仲知を以て免る」と。仲曰く、「信なり」と。周公莊王を弑して王子克を立てんと欲す。辛伯王に告げ、遂に王と周公黑肩を殺す。王子克燕に奔る。初め、子儀桓王に寵有り。桓王諸を周公に屬す。辛伯諫めて曰く、「后に並び、嫡に匹し、政を兩にし、國を耦にするは、亂の本なり」と。周公從はず。故に及ぶ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る