春秋左氏伝 / 文公元年 商臣、成王を弑す
初,楚子將以商臣為大子,訪諸令尹子上,子上曰:「君之齒未也,而又多愛,黜乃亂也。楚國之舉,恒在少者,且是人也,蜂目而豺聲,忍人也,不可立也。」弗聽。既又欲立王子職而黜大子商臣。商臣聞之而未察,告其師潘崇曰:「若之何而察之?」潘崇曰:「享江芊而勿敬也。」從之。江芊怒曰:「呼,役夫!宜君王之欲殺女而立職也。」告潘崇曰:「信矣。」潘崇曰:「能事諸乎?」曰:「不能。」「能行乎?」曰:「不能。」「能行大事乎?」曰:「能。」冬,十月,以宮甲圍成王。王請食熊蹯而死,弗聽。丁未,王縊。謚之曰「靈」,不瞑,曰「成」,乃瞑。穆王立,以其為大子之室與潘崇,使為大師,且掌環列之尹。穆伯如齊,始聘焉,禮也。凡君即位,卿出並聘,踐脩舊好,要結外援,好事鄰國,以衛社稷,忠信卑讓之道也。忠,德之正也。信,德之固也。卑讓,德之基也。
新字:初,楚子将以商臣為大子,訪諸令尹子上,子上曰:「君之歯未也,而又多愛,黜乃乱也。楚国之舉,恒在少者,且是人也,蜂目而豺声,忍人也,不可立也。」弗聴。既又欲立王子職而黜大子商臣。商臣聞之而未察,告其師潘崇曰:「若之何而察之?」潘崇曰:「享江芊而勿敬也。」従之。江芊怒曰:「呼,役夫!宜君王之欲殺女而立職也。」告潘崇曰:「信矣。」潘崇曰:「能事諸乎?」曰:「不能。」「能行乎?」曰:「不能。」「能行大事乎?」曰:「能。」冬,十月,以宮甲囲成王。王請食熊蹯而死,弗聴。丁未,王縊。謚之曰「霊」,不瞑,曰「成」,乃瞑。穆王立,以其為大子之室与潘崇,使為大師,且掌環列之尹。穆伯如斉,始聘焉,礼也。凡君即位,卿出並聘,践脩旧好,要結外援,好事鄰国,以衛社稷,忠信卑譲之道也。忠,徳之正也。信,徳之固也。卑譲,徳之基也。
書き下し
初め、楚子將に商臣を以って大子と為さんとし、諸を令尹子上に訪ふ。子上曰く、「君の齒未だし。而も又愛多し。黜(しりぞ)くるは乃ち亂なり。楚國の舉は、恒に少者に在り。且つ是の人や、蜂目にして豺聲、忍人なり。立つ可からざるなり」と。聽かず。既にして又王子職を立てて大子商臣を黜けんと欲す。商臣之を聞きて未だ察せず。其の師潘崇に告げて曰く、「之を若何にして之を察せん」と。潘崇曰く、「江芊を享して敬すること勿かれ」と。之に從ふ。江芊怒りて曰く、「呼、役夫。宜なるかな君王の女を殺して職を立てんと欲するや」と。潘崇に告げて曰く、「信なり」と。潘崇曰く、「能く諸に事へんか」と。曰く、「能はず」と。「能く行らんか」と。曰く、「能はず」と。「能く大事を行はんか」と。曰く、「能くす」と。冬、十月、宮甲を以って成王を圍む。王熊蹯(ゆうはん)を食らひて死せんことを請ふ。聽かず。丁未、王縊る。之に謚して「靈」と曰ふ。瞑せず。「成」と曰ふ。乃ち瞑す。穆王立つ。其の大子為りし時の室を以って潘崇に與へ、大師と為し、且つ環列の尹を掌らしむ。穆伯齊に如く、始めて聘す、禮なり。凡そ君位に即けば、卿出でて並びに聘し、舊好を踐脩し、外援を要結し、鄰國に好事して、以って社稷を衛る。忠信卑讓の道なり。忠は、德の正なり。信は、德の固なり。卑讓は、德の基なり。
現代語訳
これより前、楚子(成王)は商臣を太子に立てようとして、令尹の子上に相談した。子上は言った。「君はまだお若く、しかも寵愛する方が多い。いったん立てて後で廃すれば、乱のもとになります。楚国では跡継ぎは常に年少の子から選ばれてきました。それに、この方は蜂のような目に豺のような声で、残忍な人です。立ててはなりません」。成王は聞き入れなかった。その後、成王はまた王子職を立てて太子商臣を廃そうとした。商臣はこれを聞いたが、確かめられずにいた。そこで自分の師である潘崇に言った。「どうすれば確かめられるだろうか」。潘崇は言った。「江芊(成王の妹)を宴に招き、わざと無礼に扱いなさい」。商臣はそのとおりにした。江芊は怒って言った。「ああ、この下郎め。君王がおまえを殺して職を立てようとなさるのも当然だ」。商臣は潘崇に告げた。「本当だった」。潘崇は言った。「王子職に仕えることができますか」。「できない」。「国外に逃れることができますか」。「できない」。「大事(王を弑すること)を行うことができますか」。「できる」。冬十月、商臣は宮中の兵で成王を包囲した。成王は熊の掌を食べてから死にたいと願った(煮えるまでの時を稼ごうとした)が、聞き入れられなかった。丁未の日、成王は首をくくって死んだ。諡を「霊」としたところ、目を閉じなかった。「成」としたところ、ようやく目を閉じた。穆王(商臣)が即位した。自分が太子のときの屋敷を潘崇に与え、太師とし、さらに王宮の護衛の長をつかさどらせた。穆伯(公孫敖)が斉に行った。文公即位後はじめての聘問であり、礼にかなう。およそ君主が即位すれば、卿たちは手分けして諸国に聘問に出かけ、古い友好を確かめて修め、外からの支援を取り付け、隣国とよしみを結んで、それによって社稷を守る。これが忠・信・卑譲(へりくだり譲ること)の道である。忠は徳の正しさであり、信は徳の堅さであり、卑譲は徳の土台である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 屈原賈生列伝屈平既に絀けらる。其の後秦斉を伐たんと欲す。斉と楚と従親す。恵王之を患ふ。乃ち張儀をして詳りて秦を去り、厚幣もて質を委ねて楚に事へしめて曰く、「秦は甚だ斉を憎む。斉と楚と従親す。楚誠に能く斉と絶たば、秦は商・於の地六百里を献ぜんことを願ふ」と。楚の懐王貪りて張儀を信じ、遂に斉と絶ち、使をして秦に如きて地を受けしむ。張儀之を詐りて曰く、「儀は王と六里を約せり。六百里を聞かず」と。楚の使怒りて去り、帰りて懐王に告ぐ。懐王怒り、大いに師を興して秦を伐つ。秦兵を発して之を撃ち、大いに楚の師を丹・淅に破り、首を斬ること八万、楚将屈丐を虜にし、遂に楚の漢中の地を取る。懐王乃ち悉く国中の兵を発して以て深く入りて秦を撃ち、藍田に戦ふ。魏之を聞き、楚を襲ひて鄧に至る。楚兵懼れ、秦より帰る。而して斉竟に怒りて楚を救はず。楚大いに困しむ。明年、秦漢中の地を割きて楚に与へ以て和す。楚王曰く、「地を得るを願はず。張儀を得て心を甘んぜんことを願ふ」と。張儀聞き、乃ち曰く、「一儀を以て漢中の地に当つ。臣請ふ往きて楚に如かん」と。楚に如き、又因りて厚幣もて事を用ふる者の臣靳尚に用ひ、而して詭弁を懐王の寵姫鄭袖に設く。懐王竟に鄭袖に聴き、復た張儀を釈し去らしむ。是の時屈平既に疏んぜられ、復た位に在らず。斉に使ひし、顧反し、懐王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を殺さざる」と。懐王悔い、張儀を追へども及ばず。其の後諸侯共に楚を撃ち、大いに之を破り、其の将唐眛を殺す。時に秦の昭王楚と婚し、懐王と会せんと欲す。懐王行かんと欲す。屈平曰く、「秦は虎狼の国なり。信ずべからず。行くこと毋きに如かず」と。懐王の稚子子蘭、王に行くを勧む。「奈何ぞ秦の歓を絶たん」と。懐王卒に行く。武関に入る。秦伏兵もて其の後を絶ち、因りて懐王を留め、以て地を割かんことを求む。懐王怒り、聴かず。亡げて趙に走る。趙内れず。復た秦に之き、竟に秦に死して帰葬せらる。
-
『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
-
『春秋左氏伝』昭公二十二年 華氏、楚に出奔す二十二年春、王の二月、甲子、齊の北郭啟師を帥ゐて莒を伐つ。莒子將に戰はんとす。苑羊牧之諫めて曰く、「齊の帥は賤し、其の求むること多からず。之に下るに如かず。大國は怒らす可からざるなり」と。聽かず。齊の師を壽餘に敗る。齊侯莒を伐つ。莒子成を行ふ。司馬灶莒に如きて盟に蒞み、莒子齊に如きて盟に蒞む。稷門の外に盟ふ。莒是に於いてか大いに其の君を惡む。楚の薳越、宋に告げしめて曰く、「寡君、君に不令の臣有りて、君の憂ひと為ると聞く。寧ろ以って宗の羞と為す無からんや。寡君請ふ受けて之を戮せん」と。對へて曰く、「孤佞ならず、父兄に媚ぶる能はず、以って君の憂ひと為る。命の辱きを拜す。抑君臣日に戰ふ。君曰く、『余必ず臣を是れ助けん』と。亦た唯だ命のままなり。人言へる有り、曰く、『唯だ亂門にのみ過ぐる無し』と。君若し惠みて敝邑を保んじ、不衷に亢(かば)ひて、以って亂人を獎むる無くんば、孤の望みなり。唯だ君之を圖れ」と。楚人之を患ふ。諸侯の戍謀りて曰く、「若し華氏困しむを知りて死を致し、楚功無きを恥ぢて疾く戰はば、吾が利に非ざるなり。之を出だして、以って楚の功と為すに如かず。其れ亦た能く為す無からんのみ。宋を救ひて其の害を除く、又何をか求めん」と。乃ち固く之を出ださんことを請ふ。宋人之に從ふ。己巳、宋の華亥・向寧・華定・華貙・華登・皇奄傷・省臧・士平、出でて楚に奔る。宋公、公孫忌をして大司馬為らしめ、邊卬を大司徒と為し、樂祁を司馬と為し、仲幾を左師と為し、樂大心を右師と為し、樂輓を大司寇と為し、以って國人を靖んず。
-
『春秋左氏伝』襄公二十九年 魯を瘠せて杞を肥やす展瑕・展玉父、一耦と為る。公臣は、公巫召伯・仲顏莊叔、一耦と為る。鄫鼓父・黨叔、一耦と為る。晉侯、司馬女叔侯をして來りて杞田を治めしむ。盡くは歸さざるなり。晉の悼夫人慍りて曰く、「齊や貨を取れり。先君若し知る有らば、之を取るを尚ばざらん」と。公、叔侯に告ぐ。叔侯曰く、「虞・虢・焦・滑・霍・揚・韓・魏は、皆姬姓なり。晉是を以て大なり。若し小を侵すに非ずんば、將に何れの所より取らん。武・獻より以下、國を兼ぬること多し。誰か之を治むるを得ん。杞は夏の餘なり、而して東夷に即く。魯は周公の後なり、而して晉に睦まじ。杞を以て魯に封ずるも、猶ほ可なり。而るを何か有らん。魯の晉に於けるや、職貢乏しからず、玩好時に至り、公卿大夫、相繼いで朝す。史は書を絕たず、府は虛月無し。是くの如くにして可なり。何ぞ必ずしも魯を瘠せて以て杞を肥やさん。且つ先君にして知る有らば、毋寧ろ夫人ならん、而して焉んぞ老臣を用ゐん」と。杞の文公來りて盟ふ。書して子と曰ふは、之を賤しむなり。
-
『春秋左氏伝』隠公六年 親仁善隣は国の宝六年春、鄭人來りて平を渝ふ、成を更むるなり。翼の九宗五正頃父の子嘉父、晉侯を隨に逆へ、諸を鄂に納る。晉人之を鄂侯と謂ふ。夏、艾に盟ふ、始めて齊に平ぐなり。五月庚申、鄭伯陳を侵し、大いに獲たり。往歲、鄭伯成を陳に請ふ、陳侯許さず。五父諫めて曰く、「仁に親しみ鄰に善くするは、國の寶なり。君其れ鄭を許せ」と。陳侯曰く、「宋・衛實に難し、鄭何ぞ能く為さん」と。遂に許さず。君子曰く、「善は失ふ可からず、惡は長ず可からずとは、其れ陳の桓公の謂か。惡を長じて悛めずんば、從ひて自ら及ばん。之を救はんと欲すと雖も、其れ將に能くせんや。商書に曰く、『惡の易るや、火の原に燎ゆるが如し。鄉邇す可からず、其れ猶ほ撲滅す可けんや』と。周任言へる有りて曰く、『國家を為むる者は、惡を見ること、農夫の務めて草を去るが如くす。芟夷して之を蘊崇し、其の本根を絕ち、能く殖えしむること勿かれ。則ち善なる者信びん』と」と。秋、宋人長葛を取る。冬、京師來りて饑を告ぐ。公之が為に糴を宋・衛・齊・鄭に請ふ、禮なり。鄭伯周に如く、始めて桓王に朝するなり。王禮せず。周の桓公王に言ひて曰く、「我が周の東遷するや、晉・鄭に焉れ依る。鄭を善くして以って來る者を勸むるも、猶ほ蔇らざるを懼る、況や禮せざるをや。鄭來らざらん」と。
-
『春秋左氏伝』襄公四年 和戎の五利少康を立つ。少康、澆を過に滅ぼし、后杼、豷を戈に滅ぼす。有窮、是に由りて遂に亡ぶ。人を失ふが故なり。昔、周の辛甲の大史たるや、百官に命じ、官ごとに王の闕を箴(いまし)めしむ。虞人の箴に於て曰く、『芒芒たる禹の跡、畫して九州と爲し、九道を經啟す。民に寢廟有り、獸に茂草有り。各〻攸(ところ)を處(しめ)る有り、德用(もつ)て擾れず。帝夷羿に在りては、原獸に冒(むさぼ)り、其の國の恤(うれ)ひを忘れて、其の麀牡(ゆうぼ)を思ふ。武は重ぬべからず、用て夏家を恢(ひろ)めず。獸臣原を司る、取りて僕夫に告ぐ』と。虞箴是くの如し。懲りざるべけんや」と。是に於て晉侯田を好む。故に魏絳之に及ぶ。公曰く、「然らば則ち戎に和するに如くは莫きか」と。對へて曰く、「戎に和するに五利有り。戎狄は荐居(せんきょ)し、貨を貴びて土を易(かろ)んず。土賈(か)ふべし。一なり。邊鄙聳(おそ)れず、民其の野に狎れ、穡人(しょくじん)功を成す。二なり。戎狄晉に事へ、四鄰振動し、諸侯威懷す。三なり。德を以て戎を綏んじ、師徒動かず、甲兵頓(つか)れず。四なり。后羿に鑒みて、德度を用ゐ、遠きは至り邇(ちか)きは安んず。五なり。君其れ之を圖れ」と。公說(よろこ)び、魏絳をして諸戎と盟はしむ。民事を脩め、田するに時を以てす。冬、十月、邾人・莒人、鄫を伐つ。臧紇、鄫を救ひ、邾を侵し、狐駘(こたい)に敗る。國人の喪を逆ふる者、皆髽(ざ)す。魯、是に於てか始めて髽す。國人之を誦して曰く、「臧の狐裘、我を狐駘に敗る。我が君は小子、朱儒是れ使ふ。朱儒よ朱儒よ、我をして邾に敗らしむ」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る