春秋左氏伝 / 僖公二十八年 三舎を退く
子玉使伯棼請戰,曰:「非敢必有功也,願以間執讒慝之口。」王怒,少與之師,唯西廣、東宮與若敖之六卒實從之。子玉使宛春告於晉師,曰:「請復衛侯而封曹,臣亦釋宋之圍。」子犯曰:「子玉無禮哉!君取一,臣取二,不可失矣。」先軫曰:「子與之。定人之謂禮,楚一言而定三國,我一言而亡之,我則無禮,何以戰乎?不許楚言,是棄宋也。救而棄之,謂諸侯何?楚有三施,我有三怨。怨讎已多,將何以戰?不如私許復曹、衛以攜之,執宛春以怒楚,既戰而後圖之。」公說,乃拘宛春於衛,且私許復曹、衛。曹衛告絕於楚。子玉怒,從晉師。晉師退。軍吏曰:「以君辟臣,辱也。且楚師老矣,何故退?」子犯曰:「師直為壯,曲為老,豈在久乎?微楚之惠不及此,退三舍辟之,所以報也。背惠食言,以亢其讎,我曲楚直,其眾素飽,不可謂老。我退而楚還,我將何求?若其不還,君退臣犯,曲在彼矣。」退三舍,楚眾欲止,子玉不可。
新字:子玉使伯棼請戦,曰:「非敢必有功也,願以間執讒慝之口。」王怒,少与之師,唯西広、東宮与若敖之六卒実従之。子玉使宛春告於晋師,曰:「請復衛侯而封曹,臣亦釈宋之囲。」子犯曰:「子玉無礼哉!君取一,臣取二,不可失矣。」先軫曰:「子与之。定人之謂礼,楚一言而定三国,我一言而亡之,我則無礼,何以戦乎?不許楚言,是棄宋也。救而棄之,謂諸侯何?楚有三施,我有三怨。怨讎已多,将何以戦?不如私許復曹、衛以攜之,執宛春以怒楚,既戦而後図之。」公説,乃拘宛春於衛,且私許復曹、衛。曹衛告絶於楚。子玉怒,従晋師。晋師退。軍吏曰:「以君辟臣,辱也。且楚師老矣,何故退?」子犯曰:「師直為壮,曲為老,豈在久乎?微楚之恵不及此,退三舎辟之,所以報也。背恵食言,以亢其讎,我曲楚直,其衆素飽,不可謂老。我退而楚還,我将何求?若其不還,君退臣犯,曲在彼矣。」退三舎,楚衆欲止,子玉不可。
書き下し
子玉伯棼をして戰を請はしめて曰く、「敢へて必ずしも功有らんとするに非ず、願はくは以って讒慝の口を間執せん」と。王怒り、少しく之に師を與ふ。……晉師退く。軍吏曰く、「君を以って臣を辟くるは、辱なり。且つ楚師老いたり、何の故に退くか」と。子犯曰く、「師は直なれば壯と為し、曲なれば老と為す、豈に久しきに在らんや。楚の惠微かりせば此に及ばず、三舍を退きて之を辟くるは、報ゆる所以なり。惠に背き言を食み、以って其の讎に亢(あた)らば、我曲にして楚直なり、其の眾素より飽く、老と謂ふ可からず。我退きて楚還らば、我將に何をか求めん。若し其れ還らずんば、君退きて臣犯す、曲彼に在らん」と。三舍を退く。楚眾止まらんと欲するも、子玉可かず。
現代語訳
子玉は伯棼をやって戦いを請わせ、「あえて必ず功があるとは申しません。ただ、讒言する者の口をふさぎたいのです」と言わせた。王は怒り、わずかな軍しか与えなかった。……晋軍は退いた。軍吏が言った。「君が臣を避けるのは恥辱です。それに楚軍はもう疲れています。なぜ退くのですか」。子犯が言った。「軍は道理が通っていれば壮んであり、道理を欠けば老いる。時間の長短ではない。楚の恩恵がなければ我が君は今日に至らなかった。三舎を退いてこれを避けるのは、恩に報いるためだ。恩に背き約束を破って敵にあたれば、我らが曲で楚が直となる。あちらの兵はもともと満ち足りており、老いたとは言えない。我らが退いて楚が帰るなら、こちらは何も求めるものがない。もし帰らないなら、君が退いて臣が迫ることになり、曲はあちらにある」。三舎を退いた。楚の兵は止まろうとしたが、子玉は許さなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公二十三年 退避三舎鄭に及ぶ、鄭の文公も亦た禮せず。叔詹諫めて曰く、「臣聞く、天の啟く所は、人及ばずと。晉の公子に三有り、天其れ或いは將に諸を建てんとす、君其れ禮せよ。男女姓を同じくすれば、其の生蕃らず。晉の公子は、姬の出なり、而も今に至る、一なり。外の患に離りて、而も天下晉國を靖んぜず、殆ど將に之を啟かんとす、二なり。三士の以て人に上たるに足る有りて、之に從ふ、三なり。晉・鄭は同儕なり、其の子弟を過ぐるも、固より將に禮せんとす、況んや天の啟く所をや」と。聽かず。楚に及ぶ、楚子之を饗して、曰く、「公子若し晉國に反らば、則ち何を以てか不穀に報いん」と。對へて曰く、「子女玉帛は、則ち君之を有す。羽毛齒革は、則ち君の地に生ず。其の晉國に波及する者は、君の餘なり。其れ何を以てか報いん」と。君曰く、「然りと雖も、何を以てか我に報いん」と。對へて曰く、「若し君の靈を以て、晉國に反るを得て、晉・楚兵を治め、中原に遇はば、其れ君を辟くること三舍せん。若し命を獲ずんば、其れ左に鞭弭を執り、右に櫜鞬を屬け、以て君と周旋せん」と。
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 難きを知りて退く楚人入りて申に居り、申叔をして穀を去らしめ、子玉をして宋を去らしめて、曰く、「晉の師に從ふ無かれ。晉侯外に在ること十九年、而して果たして晉國を得たり。險阻艱難、備さに之を嘗めたり。民の情偽、盡く之を知れり。天之に年を假して、其の害を除く。天の置く所、其れ廢すべけんや。《軍志》に曰く、『允當なれば則ち歸る』と。又曰く、『難きを知りて退く』と。又曰く、『德有るは敵すべからず』と。此の三志は、晉の謂ひなり」と。
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 城濮の戦い晉の車七百乘、韅・靷・鞅・靽あり。晉侯有莘の虛に登りて以て師を觀て、曰く、「少長禮有り、其れ用ゐるべし」と。遂に其の木を伐りて以て其の兵を益す。己巳、晉の師莘北に陳し、胥臣下軍の佐を以て陳・蔡に當たる。子玉若敖の六卒を以て中軍に將たり。曰く、「今日必ず晉無からん」と。子西左に將たり、子上右に將たり。胥臣馬を蒙ふに虎皮を以てし、先づ陳・蔡を犯す。陳・蔡奔り、楚の右師潰ゆ。狐毛二旆を設けて之を退く。欒枝輿をして柴を曳きて偽り遁れしむ、楚の師之を馳す。原軫・郤溱中軍の公族を以て之を橫擊す。狐毛・狐偃上軍を以て子西を夾攻し、楚の左師潰ゆ。楚の師敗績す。子玉其の卒を收めて止まる、故に敗れず。晉の師三日館穀し、癸酉に及びて還る。甲午、衡雍に至り、王宮を踐土に作る。鄉役の三月、鄭伯楚に如きて其の師を致す。楚の師既に敗るるが為に懼れ、子人九をして成を晉に行はしむ。晉の欒枝入りて鄭伯と盟ふ。五月、丙午、晉侯鄭伯と衡雍に盟ふ。丁未、楚の俘を王に獻ず、駟介百乘、徒兵千。鄭伯王に傅く、平禮を用ゐるなり。
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国語・晋語四文公立ちて四年、楚の成王宋を伐つ。公斉・秦を率いて曹・衛を伐ち以て宋を救う。宋人門尹班(もんいんはん)をして急を晋に告げしむ。公大夫に告げて曰く、「宋人急を告ぐ、之を舍(す)つれば則ち宋絶えん。楚に告ぐれば則ち我を許さず。我楚を撃たんと欲すれども、斉・秦欲せず、其れ之を若何せん」と。先軫(せんしん)曰く、「斉・秦をして楚の怨みを主(つかさど)らしむるに若かず」と。公曰く、「可ならんか」と。先軫曰く、「宋をして我を舍てて斉・秦に賂い、之に藉(よ)りて楚に告げしめん。我曹・衛の地を分かちて以て宋人に賜わん。楚は曹・衛を愛す、必ず斉・秦を許さず。斉・秦其の請いを得ずんば、必ず怨みを属(つ)けん。然る後に之を用いば、欲せざること蔑(な)からん」と。公説び、是の故に曹の田・衛の田を以て宋人に賜う。 令尹子玉宛春(えんしゅん)をして来たり告げしめて曰く、「請う衛侯を復して曹を封ぜよ、臣も亦宋の囲みを釈かん」と。舅犯慍(いか)りて曰く、「子玉無礼なるかな。君は一を取り、臣は二を取る、必ず之を撃たん」と。先軫曰く、「子之に与せよ。我曹・衛の請いを許さずんば、是れ宋を釈くを許さざるなり。宋の衆乃ち彊からんこと無からんや。是れ楚は一言にして三施有り、子は一言にして三怨有り。怨み已に多し、以て人を撃ち難し。私かに曹・衛を復すを許して以て之を攜(はな)し、宛春を執えて以て楚を怒らしめ、既に戦いて後に之を図るに若かず」と。公説び、是の故に宛春を衛に拘う。 子玉宋の囲みを釈き、晋の師に従う。楚既に陳(じん)す。晋の師退舎す。軍吏請いて曰く、「君を以て臣を避くるは、辱なり。且つ楚の師は老いたり、必ず敗れん。何の故に退く」と。子犯曰く、「二三子楚に在りしことを忘れたるか。偃や之を聞く、戦闘は、直なるを壮と為し、曲なるを老と為す。未だ楚の恵みに報いずして宋を抗(すく)う、我曲にして楚直なり、其の衆気を生ぜざる莫し、老と謂うべからず。若し我君を以て臣を避けて、去らずんば、彼も亦曲ならん」と。退くこと三舎にして楚を避く。楚の衆止まらんと欲す、子玉肯んぜず。城濮(じょうぼく)に至りて、果たして戦い、楚の衆大いに敗る。君子曰く、「善く徳を以て勧む」と。
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『春秋左氏伝』僖公二十八年 城濮の前夜夏、四月、戊辰、晉侯・宋公・齊の國歸父・崔夭・秦の小子憖城濮に次る。楚の師酅を背にして舍る、晉侯之を患ふ。輿人の誦を聽く、曰く、「原田每每たり、其の舊を舍てて新たなるを是れ謀る」と。公疑ふ。子犯曰く、「戰はん。戰ひて捷たば、必ず諸侯を得ん。若し其れ捷たずとも、表裡山河あり、必ず害無からん」と。公曰く、「楚の惠を若何せん」と。欒貞子曰く、「漢陽の諸姬、楚實に之を盡くせり。小惠を思ひて大恥を忘るるは、戰ふに如かず」と。晉侯夢に楚子と搏つ、楚子己に伏して其の腦を盬る、是を以て懼る。子犯曰く、「吉なり。我天を得、楚其の罪に伏す。吾且に之を柔らげん」と。子玉鬬勃をして戰ひを請はしめて、曰く、「請ふ君の士と戲れん。君軾に馮りて之を觀よ、得臣も與に目を寓せん」と。晉侯欒枝をして對へしめて曰く、「寡君命を聞けり。楚君の惠、未だ之を敢へて忘れず、是を以て此に在り。大夫の為に退く、其れ敢へて君に當たらんや。既に命を獲ず、敢へて大夫を煩はして二三子に謂はしめん、『爾の車乘を戒め、爾の君事を敬め、詰朝將に見えんとす』と」と。
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