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説苑 / 權謀

城濮之戰,文公謂咎犯曰:「吾卜戰而龜熸。我迎歲,彼背歲。彗星見,彼操其柄,我操其標。吾又夢與荊王搏,彼在上,我在下,吾欲無戰,子以為何如?」咎犯對曰:「十戰龜熸,是荊人也。我迎歲,彼背歲,彼去我從之也。彗星見,彼操其柄,我操其標,以掃則彼利,以擊則我利。君夢與荊王搏,彼在上,君在下,則君見天而荊王伏其罪也。且吾以宋衛為主,齊秦輔我,我合天道,獨以人事固將勝之矣。」文公從之,荊人大敗。

新字:城濮之戦,文公謂咎犯曰:「吾卜戦而龜熸。我迎歲,彼背歲。彗星見,彼操其柄,我操其標。吾又夢与荊王搏,彼在上,我在下,吾欲無戦,子以為何如?」咎犯対曰:「十戦龜熸,是荊人也。我迎歲,彼背歲,彼去我従之也。彗星見,彼操其柄,我操其標,以掃則彼利,以擊則我利。君夢与荊王搏,彼在上,君在下,則君見天而荊王伏其罪也。且吾以宋衛為主,斉秦輔我,我合天道,独以人事固将勝之矣。」文公従之,荊人大敗。

書き下し

城濮の戰、文公咎犯に謂ひて曰く、「吾戰を卜するに龜熸ゆ。我歲を迎へ、彼歲を背く。彗星見れ、彼其の柄を操り、我其の標を操る。吾又た荊王と搏つを夢む。彼上に在り、我下に在り。吾戰無からんと欲す。子以て何如と爲す」と。咎犯對へて曰く、「戰を卜すること十たびして龜熸ゆるは、是れ荊人なり。我歲を迎へ、彼歲を背くは、彼我を去りて之に從ふなり。彗星見れて、彼其の柄を操り、我其の標を操るは、以て掃へば則ち彼利あり、以て擊てば則ち我利あるなり。君荊王と搏つを夢み、彼上に在り君下に在るは、則ち君天を見て荊王其の罪に伏するなり。且つ吾宋・衛を以て主と爲し、齊・秦我を輔く。我天道に合し、獨り人事を以てするも固より將に之に勝たんとす」と。文公之に從ひ、荊人大いに敗る。

現代語訳

城濮の戦いの直前、文公は咎犯に「私が占ったところ、亀の甲羅が焦げてしまった。我らは吉方(歳星)を迎える形で、敵は歳星に背く形になっている。彗星が現れ、敵はその柄を持ち、我らはその先端を持つ形になっている。私はまた楚王と組み合う夢を見た。彼が上にあり、私が下にあった。私はもう戦いたくない。あなたはどう思うか」と尋ねた。咎犯は答えた。「戦の占いで十回甲羅が焦げるのは楚の側の凶兆です。我らが歳星を迎え、敵が背くというのは、敵が我らから離れて逃げ去る形を表しています。彗星が現れ、敵が柄を持ち我らが先端を持つというのは、掃き払う動きをすれば敵に利があり、打撃を加える動きをすれば我らに利があるということです。あなたが楚王と組み合い、彼が上で君が下にいる夢は、君が天を仰ぎ見て、楚王がその罪に伏す形を表しています。さらに我らは宋と衛を主力とし、斉と秦が我らを補佐しています。我らは天の道理に適っており、たとえ人の力(占いによらない実際の戦力)だけで比べても、必ず勝てるでしょう」と。文公はこの言葉に従い、楚軍を大いに打ち破った。

解説

同じ占いの兆しでも、文公は表面的な形(相手が上、自分が下)だけを見て弱気になるが、咎犯はそれぞれの兆しを一つずつ論理的に読み解き、すべてが自軍に有利であると再解釈してみせる。客観的な事実(占いの結果)は変わらないのに、それをどう解釈するかによって、指導者の心理状態も部下たちの士気も大きく変わる。不安の種になりかねない曖昧な兆候に対して、悲観的な直感に流されず、一つひとつ根拠を示して再解釈できる参謀の存在が、組織の決断力を支える。占いという不確実な材料さえも、冷静な分析によって行動の後押しに変える咎犯の手腕は、不確実性への向き合い方の一つの理想形である。

この章句が説くこと

凶兆の再解釈冷静な参謀不確実性への対処

この一句を、あなたの毎日に。

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