春秋左氏伝 / 閔公二年 偏衣と金玦
大子帥師,公衣之偏衣,佩之金玦。狐突御戎,先友為右,梁餘子養御罕夷,先丹木為右,羊舌大夫為尉。先友曰:「衣身之偏,握兵之要,在此行也,子其勉之。偏躬無慝,兵要遠災,親以無災,又何患焉?」狐突歎曰:「時,事之徵也;衣,身之章也;佩,衷之旗也。故敬其事,則命以始;服其身,則衣之純;用其衷,則佩之度。今命以時卒,閟其事也;衣之尨服,遠其躬也;佩以金玦,棄其衷也。服以遠之,時以閟之;尨,涼;冬,殺;金,寒;玦,離;胡可恃也?雖欲勉之,狄可盡乎?」梁餘子養曰:「帥師者,受命於廟,受脤於社,有常服矣。不獲而尨,命可知也。死而不孝,不如逃之。」罕夷曰:「尨奇無常,金玦不復,雖復何為?君有心矣。」先丹木曰:「是服也,狂夫阻之。曰『盡敵而反』,敵可盡乎?雖盡敵,猶有內讒,不如違之。」狐突欲行。羊舌大夫曰:「不可。違命不孝,棄事不忠。雖知其寒,惡不可取,子其死之。」
新字:大子帥師,公衣之偏衣,佩之金玦。狐突御戎,先友為右,梁余子養御罕夷,先丹木為右,羊舌大夫為尉。先友曰:「衣身之偏,握兵之要,在此行也,子其勉之。偏躬無慝,兵要遠災,親以無災,又何患焉?」狐突嘆曰:「時,事之徴也;衣,身之章也;佩,衷之旗也。故敬其事,則命以始;服其身,則衣之純;用其衷,則佩之度。今命以時卒,閟其事也;衣之尨服,遠其躬也;佩以金玦,棄其衷也。服以遠之,時以閟之;尨,涼;冬,殺;金,寒;玦,離;胡可恃也?雖欲勉之,狄可尽乎?」梁余子養曰:「帥師者,受命於廟,受脤於社,有常服矣。不獲而尨,命可知也。死而不孝,不如逃之。」罕夷曰:「尨奇無常,金玦不復,雖復何為?君有心矣。」先丹木曰:「是服也,狂夫阻之。曰『尽敵而反』,敵可尽乎?雖尽敵,猶有内讒,不如違之。」狐突欲行。羊舌大夫曰:「不可。違命不孝,棄事不忠。雖知其寒,悪不可取,子其死之。」
書き下し
大子師を帥ゐる。公之に偏衣を衣せ、之に金玦を佩びしむ。狐突戎に御し、先友右と爲る。梁餘子養罕夷に御し、先丹木右と爲る。羊舌大夫尉と爲る。先友曰く、「身の偏を衣、兵の要を握る。此の行に在り、子其れ之を勉めよ。躬を偏にして慝無く、兵要にして災ひを遠ざく。親しみて以って災ひ無し、又何をか患へん」と。狐突歎じて曰く、「時は、事の徵なり。衣は、身の章なり。佩は、衷の旗なり。故に其の事を敬すれば、則ち命ずるに始めを以ってす。其の身を服すれば、則ち之に衣するに純を以ってす。其の衷を用ふれば、則ち之に佩ぶるに度を以ってす。今命ずるに時の卒はりを以ってするは、其の事を閟づるなり。之に衣するに尨服を以ってするは、其の躬を遠ざくるなり。佩ぶるに金玦を以ってするは、其の衷を棄つるなり。服は以って之を遠ざけ、時は以って之を閟づ。尨は、涼なり。冬は、殺なり。金は、寒なり。玦は、離なり。胡ぞ恃む可けんや。之を勉めんと欲すと雖も、狄盡くす可けんや」と。梁餘子養曰く、「師を帥ゐる者は、命を廟に受け、脤を社に受く。常服有り。獲ずして尨なり、命知る可し。死して不孝ならんよりは、之を逃るるに如かず」と。罕夷曰く、「尨は奇にして常無し。金玦は復らず。復ると雖も何をか爲さん。君心有り」と。先丹木曰く、「是の服や、狂夫も之を阻まん。曰く『敵を盡くして反れ』と。敵盡くす可けんや。敵を盡くすと雖も、猶ほ內讒有り。之を違るに如かず」と。狐突行かんと欲す。羊舌大夫曰く、「不可なり。命に違ふは不孝、事を棄つるは不忠なり。其の寒きを知ると雖も、惡取る可からず。子其れ之に死せよ」と。
現代語訳
太子申生が軍を率いて出陣した。献公は太子に、左右の色が異なる偏衣を着せ、金の玦(欠けた環の佩玉)を帯びさせた。狐突が太子の戦車の御者となり、先友が車右となった。梁余子養が罕夷の戦車の御者となり、先丹木が車右となった。羊舌大夫が軍尉となった。先友は言った。「君の衣の半分を身にまとい、軍の要を握っておられる。この遠征にかかっているのです。どうか努められよ。衣を分け与えられたのは悪意がない証、軍の要を握るのは災いを遠ざける力。親しまれていて災いもない。何を憂えることがありましょう」。狐突は嘆いて言った。「出陣の時節は事の兆しであり、衣服は身分の表れであり、佩び物は心の旗印である。だから君がその事を重んじるなら、季節の始めに命じる。その身を大切にするなら、一色の純な衣を着せる。その真心を用いるなら、礼にかなった佩び物を帯びさせる。いま季節の終わり(冬)に命じたのは、事を閉ざそうということだ。まだらの衣を着せたのは、その身を遠ざけようということだ。金の玦を帯びさせたのは、その真心を捨てたということだ。衣服で遠ざけ、時節で閉ざしている。まだらは冷ややか、冬は殺伐、金は寒々しく、玦は別れを意味する。どうして頼りにできようか。努めようとしても、狄を討ち尽くすことなどできようか」。梁余子養は言った。「軍を率いる者は、宗廟で命を受け、社で祭りの肉を受け、定まった軍服がある。それを得られずにまだらの衣とは、君の意図は知れている。死んで不孝の名を負うよりは、逃げるに越したことはない」。罕夷は言った。「まだらの衣は奇抜で常の服ではない。金の玦は『帰ってくるな』の意味だ。たとえ帰れたとしても何になろう。君には別の心がある」。先丹木は言った。「こんな服は、狂人でさえ着るのを拒むだろう。しかも『敵を尽くしてから帰れ』と言う。敵を尽くすことなどできようか。たとえ敵を尽くしても、国内には讒言がある。去るに越したことはない」。狐突は立ち去ろうとした。羊舌大夫は言った。「なりません。命令に背くのは不孝、務めを捨てるのは不忠です。君の心の冷たさは分かっていても、悪を選ぶことはできません。あなたは命令に従って死になさい」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』耕柱子墨子、管黔をして髙石子を衛に游ばしむ。衛君、禄を致すこと甚だ厚く、之を卿に設く。髙石子、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる者無し。去りて齊に之き、子墨子に見えて曰く、「衛君、夫子の故を以て、禄を致すこと甚だ厚く、我を卿に設く。石、三たび朝して必ず言を盡くすも、言、行わるる無し。是を以て之を去るなり。衛君、乃ち石を以て狂と為すこと無からんや」と。子墨子曰く、「之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん。古者、周公旦、管叔を非とし、三公を辭し、東のかた商盖に處る。人、皆な之を狂と謂う。後世、其の徳を稱し、其の名、今に至るまで息まず。且つ翟、之を聞く、義を為すは毁を避け譽に就くに非ず。之を去るに茍くも道あらば、狂を受くるも何ぞ傷まん」と。髙石子曰く、「石の之を去るや、焉んぞ敢えて道あらざらんや。昔者、夫子に言有りて曰く、『天下に道無くんば、仁士は厚きに處らず』と。今、衛君は道無くして、其の禄爵を貪らば、則ち是れ我れ茍くも人の厚きに處ると為すなり」と。子墨子、説びて、子禽子を召して曰く、「姑く此を聴けや。夫れ義に倍きて禄に鄉う者は、我れ常に之を聞けり。禄に倍きて義に鄉う者は、髙石子に於いて焉れを見るなり」と。
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『学問のすゝめ』五編・明治七年一月一日の詞・進まざる者は必ず退きしかのみならず今日に至りては、なおこれよりはなはだしきことあり。おおよそ世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞する者はあるべからざるの理なり。今、日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日に退歩に赴けり。請う、試みにこれを論ぜん。在昔、足利・徳川の政府においては民を御するにただ力を用い、人民の政府に服するは力足らざればなり。力足らざる者は心服するにあらず、ただこれを恐れて服従の容をなすのみ。今の政府はただ力あるのみならず、その智恵すこぶる敏捷にして、かつて事の機に後るることなし。一新の後、いまだ十年ならずして、学校・兵備の改革あり、鉄道・電信の設あり、その他石室を作り、鉄橋を架する等、その決断の神速なるとその成功の美なるとに至りては、実に人の耳目を驚かすに足れり。
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論語・憲問篇子曰く、賢者は世を辟く。其の次は地を辟く。其の次は色を辟く。其の次は言を辟く。
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孟子・公孫丑章句下孟子蚔蛙に謂ひて曰く、「子の霊丘を辞して士師を請ふは、似たり。其の以て言ふ可きが為なり。今既に数月なり、未だ以て言ふ可からざるか。」蚔蛙王に諫めて用ひられず、臣たることを致して去る。斉人曰く、「蚔蛙の為にする所以は、則ち善し。自ら為にする所以は、則ち吾知らざるなり。」公都子以て告ぐ。曰く、「吾之を聞けり。官守有る者は、其の職を得ざれば則ち去り、言責有る者は、其の言を得ざれば則ち去る。我に官守無く、我に言責無きなり。則ち吾が進退、豈に綽綽然として余裕有らざらんや。」
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説苑・雜言賢人君子は、盛衰の時に通じ、成敗の端に明らかに、治乱の紀を察し、人情を審らかにす。去就する所を知る、故に窮すと雖も亡国の勢に処らず、貧しと雖も汙君の禄を受けず。是を以て太公は七十にして自ら達せず、孫叔敖は三たび相を去りて自ら悔いず。何となれば則ち、強いて其の人に非ざるに合せざればなり。太公は一たび周に合して侯たること七百歳、孫叔敖は一たび楚に合して封ぜらるること十世。大夫種は越を存亡して覇たらしめしも、句踐は死を前に賜う。李斯は功を秦に積みしも、卒に五刑を被る。忠を尽くして君を憂い、身を危うくして国を安んずる、其の功は一なり。或いは封侯して絶えず、或いは死を賜いて刑を被る。慕う所・由る所異なればなり。故に箕子は国を去りて狂を佯り、范蠡は越を去りて名を易え、智過は君弟を去りて姓を更う、皆遠きを見て微を識り、仁は能く富勢を去りて以て萌生の禍を避くる者なり。夫れ暴乱の君、孰か能く縶を離ちて其の身を役し、患いに与らんや。故に賢者は死を畏れ害を避くるのみに非ざるなり、身を殺すも益無くして明主の暴なればなり。比干は紂に死すも其の行いを正す能わず、子胥は呉に死すも其の国を存する能わず。二子は強諫して死す、適に明主の暴を明らかにするのみ、未だ始めより秋毫の端の如きも益有らざるなり。是を以て賢人は其の智を閉じ、其の能を塞ぎ、其の人を得るを待ちて然る後に合す。故に言えば聴かれざる無く、行えば疑わるる無く、君臣両つながら与にし、終身患い無し。今其の時を得るに非ず、又其の人無く、直だ私意已む能わず、世の乱れを閔れみ、主の危うきを憂う。貲無きの身を以て、蔽塞の路を渉り、讒人の前を経、無量の主に造り、不測の罪を犯す。其の天性を傷る、豈に惑いならざらんや。故に文信侯・李斯は、天下謂う所の賢なり、国の為に計り微を揣り隠を射る、所謂過策無きなり。戦いて勝ち攻めて取る、所謂強敵無きなり。功を積むこと甚だ大に、勢利甚だ高し。賢人用いられず、讒人事を用う、自ら用いられざるを知るも、其の仁去る能わず。敵を制し功を積むこと、秋毫を失わず。患いを避け害を去ること、丘山を見ず。其の欲する所を積みて、以て其の悪む所に至る、豈に勢利に惑わさるるに非ざらんや。詩に云う、『人は其の一を知りて、其の他を知る莫し』と。此を之れ謂うなり。
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『呻吟語』内篇・談道・行かざるを得ざる所に行く君子の事に於けるや、其の行かざるを得ざる所に行き、其の止まらざるを得ざる所に止まる。言に於けるや、其の語らざるを得ざる所に語り、其の默せざるを得ざる所に默す。尤悔庶幾はくは寡からん。
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