春秋繁露 / 『春秋繁露』循天之道第七十七・意を平らかにして気を養う
故養生之大者、乃在愛氣、氣從神而成、神從意而出、心之所之謂意、意勞者神擾、神擾者氣少、氣少者難久矣;故君子閑欲止惡以平意、平意以靜神、靜神以養氣、氣多而治、則養身之大者得矣。
新字:故養生之大者、乃在愛気、気従神而成、神従意而出、心之所之謂意、意労者神擾、神擾者気少、気少者難久矣;故君子閑欲止悪以平意、平意以静神、静神以養気、気多而治、則養身之大者得矣。
書き下し
故に養生の大なる者は、乃ち気を愛するに在り。気は神に従いて成り、神は意に従いて出づ。心の之く所を意と謂う。意労るれば神擾れ、神擾るれば気少なく、気少なければ久しきこと難し。故に君子は欲を閑ぎ悪を止めて以て意を平らかにし、意を平らかにして以て神を静め、神を静めて以て気を養う。気多くして治まれば、則ち身を養う大なる者得たり。
現代語訳
そこで、養生の最も大切なことは気を惜しむことにあります。気は精神に従って成り、精神は意から出ます。心が向かう先を意といいます。意が疲れれば精神が乱れ、精神が乱れれば気が少なくなり、気が少なくなれば長くはもちません。ですから君子は、欲を防ぎ悪を止めて意を平らかにし、意が平らかであれば精神を静め、精神が静まれば気を養います。気が満ちて整えば、身を養う大事はそこに得られます。
解説
養生の要は気を惜しむことで、意が疲れると精神が乱れ、気が減ると続かない。だから欲や悪念を抑えて意を平らかにし、精神を静め、気を養えと述べます。『春秋繁露』は前漢の董仲舒に帰される書で、気という語彙は当時の養生思想によるものです。今の言葉に置けば、心の向かう先を絞って消耗を抑え、心身を整えていくという持続のための考え方になります。忙しい管理職が気力を保つ筋道の一つとして読めます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
養生愛気意神気平意
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