斉家論 / 下
男と思はれ候やといひければ、告し人、我言所に同心しておかしがられき、此樣の事をいはるゝも、近世の學問、多くは詩作文章に流れ、聖學の本を失せるゆへなり、論語學而篇に、行餘力あるときは文を學べと、孔子既のたまへり、文學は末なり、身の行ひは本なり、凡て學問は本末を知るを肝要とす、又國を治るには、用を節にして民を愛すとのたまふ、財寶を用る事、儉約にする中に、人を愛するの理備はれり、人を愛せんと欲すとも、財用たらざれば不能、しかれば家國を治るには、儉約は本なる事明なり、これまで物語すといへども、汝いまだ不得心と見ゆ、幸今般門弟儉約示し合の書付を認め、其序を予に請れけれど、先何もの存より述られよといへば、如斯とて書付見せられけり、趣意、予が心に合ふ、これ約にして見やすかるべし、此序を見て、儉約の意味を考へ知らるべし、
新字:男と思はれ候やといひければ、告し人、我言所に同心しておかしがられき、此様の事をいはるゝも、近世の学問、多くは詩作文章に流れ、聖学の本を失せるゆへなり、論語学而篇に、行余力あるときは文を学べと、孔子既のたまへり、文学は末なり、身の行ひは本なり、凡て学問は本末を知るを肝要とす、又国を治るには、用を節にして民を愛すとのたまふ、財宝を用る事、倹約にする中に、人を愛するの理備はれり、人を愛せんと欲すとも、財用たらざれば不能、しかれば家国を治るには、倹約は本なる事明なり、これまで物語すといへども、汝いまだ不得心と見ゆ、幸今般門弟倹約示し合の書付を認め、其序を予に請れけれど、先何もの存より述られよといへば、如斯とて書付見せられけり、趣意、予が心に合ふ、これ約にして見やすかるべし、此序を見て、倹約の意味を考へ知らるべし、
書き下し
男と思はれ候やといひければ、告げし人、我が言ふ所に同心しておかしがられき。此様の事をいはるゝも、近世の学問、多くは詩作文章に流れ、聖学の本を失へるゆへなり。論語学而篇に、行ひて余力あるときは文を学べと、孔子既にのたまへり。文学は末なり、身の行ひは本なり。凡て学問は本末を知るを肝要とす。又国を治むるには、用を節にして民を愛すとのたまふ。財宝を用ゐる事、倹約にする中に、人を愛するの理備はれり。人を愛せんと欲すとも、財用たらざれば能はず。しかれば家国を治むるには、倹約は本なる事明らかなり。これまで物語すといへども、汝いまだ得心せずと見ゆ。幸ひ今般門弟倹約示し合はせの書付を認め、其の序を予に請はれけれど、先づ何ものの存より述べられよといへば、斯くの如しとて書付見せられけり。趣意、予が心に合ふ。これ約にして見やすかるべし。此の序を見て、倹約の意味を考へ知らるべし。
現代語訳
男だと思っておられるのか、と言ったところ、知らせてくれた人は私の言うことに同意して笑っていました。こういうことを言われるのも、近ごろの学問の多くが詩や文章に流れ、聖人の学問の根本を失っているからです。『論語』学而篇で孔子は、行いをして余力があれば文を学べと言われています。文学は末で、身の行いが本です。学問はすべて本と末を知ることが肝心です。また孔子は、国を治めるには費用を節約して民を愛せと言われています。財宝を倹約して用いるなかに、人を愛する理が備わっています。人を愛したいと思っても、財用が足りなければできません。だから家や国を治めるには倹約が本であることは明らかです。ここまで話してきましたが、あなたはまだ納得していないようです。ちょうど門弟たちが倹約の申し合わせの書付をまとめ、その序を私に頼んできたので、まず皆の考えを述べてみなさいと言ったところ、こう書きましたと見せてくれました。趣旨は私の心にかなっています。簡潔で読みやすいでしょう。この序を見て、倹約の意味を考えてください。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『都鄙問答』卷之四・醫ノ志ヲ問ノ段答、博学は我も好む所なり、捨つるにあらず。然れども、医学熟して後のことなり。本末を正す時は、医学は本と知るべし。有子曰く、本立ちて道生ずと。本末の違へるは、君子の道にあらず。扠汝は、世俗の聞きなれぬことを云ふを、博学と思はれ候や。それは麁相なる了簡なり。良医は聞きなれぬことを云ふものに非ず。医書に、望聞問切と云ふことあり。先づ病人に望み、容体を見るを望と云ふ。様子を聞きて、病を知るを聞と云ふ。不審を問ひて察するを問と云ふ。脈を診て病を定むるを切と云ふ。然れば病人に望み、其の容体を観て後に、疾のことを言はせて聞き、又委細のことは、看病の者に問ひ、且つ脈を診て、我が意に合へるか合はざるかと得心して、薬を用ゆべきことなり。それに人の聞きなれぬことを云ひ、
-
『墨子』修身君子は、戰に陳有りと雖も、勇を本と為す。喪に禮有りと雖も、哀を本と為す。士に學有りと雖も、行を本と為す。是の故に本を置くこと安からざる者は、末を豐かにするを務むること無かれ。近き者親しまざれば、逺きを來すを務むること無かれ。親戚附かざれば、外交を務むること無かれ。事に始め無ければ、終に多業を務むること無かれ。物を舉げて闇ければ、博聞を務むること無かれ。是の故に先王の天下を治むるや、必ず邇きを察して逺きを來す。君子は邇きを察して邇き修まる者なり。修めざる行を見、毁を見て、之を身に反す者なり。此を以て怨み省かれて行い修まる。譖慝の言は、之を耳に入るること無く、批扞の聲は、之を口に出だすこと無く、人を殺傷するの孩は、之を心に存すること無くんば、詆訐の民有りと雖も、依る所無からん。故に君子は事に力めて日に彊く、願欲は日に逾え、設壯は日に盛んなり。君子の道や、貧しければ則ち亷を見わし、富めば則ち義を見わし、生けば則ち愛を見わし、死すれば則ち哀を見わす。四行なる者は虚假す可からず、之を身に反す者なり。心に蔵する者は以て愛を竭くすこと無く、身に動く者は以て恭を竭くすこと無く、口に出づる者は以て馴を竭くすこと無し。之を四支に暢べ、之を肌膚に接し、華髮隳巔にして猶お舎てざる者は、其れ唯だ聖人か。
-
『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段答ふ、汝のいへる所は、枝葉にかかはり、文字の沙汰にて、本を失へり。君子は本をつとむと云ふ。万事に渉りてかくのごとし。先づ初学の者は、本末知るを先務とすべし。末に至りては、繁多にして分れ難し。天地有りて物を生じ、物生じて後に名あり。名有りて後、文字を加へて名を書す。文字は伏羲の後、倉頡が作ると云ふに非ずや。いまだ名も附けず、文字も無き前より天道あり。天道といへども、人有りて付けたる名なり。我が云ふ所を、名を離れて聞くべし。既に聖人は仁を本となし、老子は大道を以て仁の本となし、道と仁と名は二つなり。文字に依りて、何れが本と論議分るべきや。声も無く臭も無くして、万物の体と成る物を、暫く名づけて、乾とも天とも、道とも理とも、命とも性とも、
-
司馬法・嚴位凡そ大善は本を用い、其の次は末を用う。略を執り微を守り、本末は唯(た)だ権(はか)るのみ、戦なり。
-
『呻吟語』内篇・談道・只だ內と本と有るのみ內外本末交ごも相培養す、此の語は余の未だ喻らざる所なり。只だ內と本と有るのみ。那の外と末とは張主し得ること甚ぞ。
-
説苑・說叢其の身を脩めずして之を人に求む、是を失倫と謂う。其の內を治めずして、其の外を脩む、是を大廢と謂う。重く載せて之を危くし、策を操りて之に隨う、全うする所以に非ざるなり。