呻吟語 / 内篇・談道・天德は只だ個の無我、王道は只だ個の愛人
天德只是個無我,王道只是個愛人。
新字:天徳只是個無我,王道只是個愛人。
書き下し
天德は只だ個の無我、王道は只だ個の愛人なり。
現代語訳
天の徳とはただ我を無くすことであり、王の道とはただ人を愛することです。
解説
十六字で、天徳と王道が一語ずつに還元されます。天徳は無我、王道は愛人。前者が内で後者が外、という配置です。修養の目的と政治の目的が、それぞれたった一語で示されることで、あれこれの徳目が枝葉だと分かります。覚えやすく、判断に迷ったときに立ち返れる形をしているのも、箴言としての強みです。覚えられる形にすることが、そのまま実行を支えるという書き方です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
天徳無我王道愛人還元
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