呂氏春秋 / 安死④
先王之所惡,惟死者之辱也。發則必辱,儉則不發,故先王之葬,必儉、必合、必同。何謂合?何謂同?葬於山林則合乎山林,葬於阪隰則同乎阪隰,此之謂愛人。夫愛人者眾,知愛人者寡。故宋未亡而東冢抇,齊未亡而莊公冢抇,國安寧而猶若此,又況百世之後而國已亡乎?故孝子忠臣親父交友不可不察於此也。夫愛之而反危之,其此之謂乎。詩曰:“不敢暴虎,不敢馮河,人知其一,莫知其他”,此言不知鄰類也。故反以相非,反以相是。其所非方其所是也,其所是方其所非也。是非未定,而喜怒鬥爭,反為用矣。吾不非鬥,不非爭,而非所以鬥,非所以爭。故凡鬥爭者,是非已定之用也。今多不先定其是非而先疾鬥爭,此惑之大者也。
新字:先王之所悪,惟死者之辱也。発則必辱,倹則不発,故先王之葬,必倹、必合、必同。何謂合?何謂同?葬於山林則合乎山林,葬於阪隰則同乎阪隰,此之謂愛人。夫愛人者衆,知愛人者寡。故宋未亡而東冢抇,斉未亡而荘公冢抇,国安寧而猶若此,又況百世之後而国已亡乎?故孝子忠臣親父交友不可不察於此也。夫愛之而反危之,其此之謂乎。詩曰:“不敢暴虎,不敢馮河,人知其一,莫知其他”,此言不知鄰類也。故反以相非,反以相是。其所非方其所是也,其所是方其所非也。是非未定,而喜怒鬥争,反為用矣。吾不非鬥,不非争,而非所以鬥,非所以争。故凡鬥争者,是非已定之用也。今多不先定其是非而先疾鬥争,此惑之大者也。
書き下し
先王の惡む所は、惟だ死者の辱めなり。發かるれば則ち必ず辱めらる、儉なれば則ち發かれず。故に先王の葬は、必ず儉にし、必ず合、必ず同なり。何をか合と謂い、何をか同と謂う。山林に葬れば則ち山林に合し、阪隰に葬れば則ち阪隰に同ず。此を之れ人を愛すと謂う。夫れ人を愛する者は衆くして、人を愛するを知る者は寡し。故に宋未だ亡びずして東冢抇られ、齊未だ亡びずして莊公の冢抇らる。國安寧なれども猶ほ此くの若し。又況んや百世の後にして國已に亡ぶるをや。故に孝子・忠臣・親父・交友、此に察ぜざる可からざるなり。夫れ之を愛して反て之を危うくすとは、其れ此の謂か。詩に曰く、「敢て暴虎せず、敢て馮河せず、人、其の一を知り、其の他を知るもの莫し。」此れ鄰類を知らざるを言うなり。故に反て以て相非とし、反て以て相是とす。其の非とする所は、方に其の是とする所なり。其の是とする所は、方に其の非とする所なり。是非未だ定まらずして、喜怒鬭爭、反って用を為すなり。吾鬭いを非とせず、爭いを非とせずして、鬭う所以を非とし、爭う所以を非とす。故に凡そ鬭爭とは、是非已に定まるの用なり。今多く先づ其の是非を定めずして、先づ疾く鬭爭す。此れ惑いの大なる者なり。
現代語訳
先王が忌み嫌ったのは、ただ死者が辱められることであった。暴かれれば必ず辱められ、質素なら暴かれない。だから先王の葬りは、必ず質素にし、必ず地形に合わせ、必ず周囲と同化させた。合とは何か、同とは何か。山林に葬れば山林に合わせ、坂や低湿地に葬ればそこに同化させる。これを人を愛するという。人を愛する者は多いが、真に人の愛し方を知る者は少ない。だから宋がまだ滅びぬうちに東の墓が掘られ、斉がまだ滅びぬうちに荘公の墓が掘られた。国が安泰でさえこの通りだ。まして百代の後、国がすでに滅んだ場合はなおさらだ。だから孝子・忠臣・慈父・親友は、この点をよく考えねばならない。愛していながらかえって危うくするとは、まさにこのことをいうのだろう。詩に「あえて虎を素手で打たず、あえて河を徒歩で渡らず。人は一つは知っても、その他を知る者はない」とある。これは類推の及ぶところを知らないことをいう。(以下は他篇の錯簡とされる部分)それゆえ、かえって互いに非とし、互いに是とする。非とするところがまさに是とするところであり、是とするところがまさに非とするところである。是非がまだ定まらぬのに、喜怒や闘争がかえって働く。私は闘いや争いそのものを非とするのではなく、闘い争う理由を非とするのだ。だから闘争とは、是非が定まった上での働きである。今は是非を先に定めず、まず激しく闘争する。これこそ大きな惑いである。
解説
この章句が説くこと
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