春秋繁露 / 『春秋繁露』精華第五・賢を知っても任せねば滅ぶ
夫知不足以知賢、無可奈何矣;知之不能任、大者以死亡、小者以亂危、其若是何邪?以莊公不知季子賢邪?安知病將死、召而授以國政;以殤公為不知孔父賢邪?安知孔父死、已必死、趨而救之;二主知皆足以知賢、而不決、不能任、故魯莊以危、宋殤以弒、使莊公早用季子、而宋殤素任孔父、尚將興鄰國、豈直免弒哉!
新字:夫知不足以知賢、無可奈何矣;知之不能任、大者以死亡、小者以乱危、其若是何邪?以荘公不知季子賢邪?安知病将死、召而授以国政;以殤公為不知孔父賢邪?安知孔父死、已必死、趨而救之;二主知皆足以知賢、而不決、不能任、故魯荘以危、宋殤以弒、使荘公早用季子、而宋殤素任孔父、尚将興鄰国、豈直免弒哉!
書き下し
夫れ知の以て賢を知るに足らざるは、奈何ともする無し。之を知りて任ずる能わざれば、大なる者は死亡を以てし、小なる者は乱危を以てす。其れ是くの若きは何ぞや。荘公は季子の賢を知らずと以うか。安んぞ病みて将に死せんとするに、召して授くるに国政を以てするを知らんや。殤公は孔父の賢を知らずと為すか。安んぞ孔父死し、己必ず死すと知りて、趨りて之を救うを知らんや。二主の知は、皆以て賢を知るに足れり。而るに決せず、任ずる能わず。故に魯荘は以て危うく、宋殤は以て弑せらる。使し荘公早く季子を用い、宋殤素より孔父に任ぜば、尚お将に鄰国を興さんとす。豈に直に弑を免るるのみならんや。
現代語訳
知恵が足りず賢人を見分けられないのは、どうしようもありません。しかし賢人を知っていながら任せられなければ、大きくは死や滅亡、小さくは混乱や危機を招きます。これはどういうことでしょうか。荘公は季子の賢を知らなかったのでしょうか。それならなぜ、病で死に臨んで季子を召し、国政を授けたのでしょうか。殤公は孔父の賢を知らなかったのでしょうか。それならなぜ、孔父が死ねば自分も必ず死ぬと知って、駆けつけて救おうとしたのでしょうか。この二人の君主の知は、いずれも賢人を知るのに十分でした。それなのに決断せず、任せることができませんでした。そのため魯の荘公は危うくなり、宋の殤公は弑されたのです。もし荘公が早く季子を用い、殤公が日ごろから孔父に任せていたなら、隣国を興すことさえできたでしょう。弑されるのを免れるだけにとどまりません。
解説

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説苑・尊賢春秋の時、天子微弱にして、諸侯力を政め、皆叛きて朝せず。衆は寡を暴し、強は弱を劫かし、南夷と北狄と交々侵し、中国の絶えざること線のごとし。桓公是に於いて管仲・鮑叔・隰朋・賓胥無・甯戚を用い、三たび亡国を存し、一たび絶世を継ぎ、中国を救い、戎狄を攘い、卒に荊蛮を脅し、以て周室を尊び、諸侯に霸たり。晋の文公は咎犯・先軫・陽処父を用い、中国を強くし、強楚を敗り、諸侯を合わせ、天子に朝し、以て周室を顕す。楚の荘王は孫叔敖・司馬子反・将軍子重を用い、陳を征し鄭に従い、強晋を敗り、天下に敵無し。秦の穆公は百里子・蹇叔子・王子廖及び由余を用い、雍州を拠有し、西戎を攘敗す。呉は延州萊季子を用い、翼州を并せ、威を雞父に揚ぐ。鄭の僖公は千乘の国を富有し、貴きこと諸侯たれども、義を治めて人心に順わず、臣に弑せらるる者は、先に賢を得ざればなり。簡公に至りて子産・裨諶・世叔・行人子羽を用い、賊臣除かれ、正臣進み、強楚を去り、中国を合わせ、国家安寧にして、二十余年、強楚の患い無し。故に虞に宮之奇有りて、晋の献公之が為に終夜寝ねず。楚に子玉得臣有りて、文公之が為に側席して坐す。賢者の厭難折衝を遠ざくればなり。夫れ宋の襄公は公子目夷の言を用いず、大いに楚に辱めらる。曹は僖負羈の諫めを用いず、戎に敗死す。故に共に五始の要、治乱の端を惟うに、己を審らかにして賢に任ずるに在り。国家の賢に任じて吉なり、不肖に任じて凶なるは、往世を案じて己の事を視るに、其れ必然なり、符を合するがごとし。此れ人君たる者、慎まざるべからざるなり。国家惛乱にして良臣見わる。魯国大いに乱れ、季友の賢見わる。僖公即位して季子に任じ、魯国安寧にして、外内憂い無く、行政二十一年、季子の卒するの後、邾其の南を撃ち、斉其の北を伐ち、魯其の患いに勝えず、将に師を楚に乞いて以て全きを取らんとするのみ。故に伝に曰く、患いの起こるは必ず此れより始まると。公子買をして衛に戍らしむべからず、公子遂は君命を聴かずして擅に晋に之く、内は臣下に侵され、外は兵乱に困しむ、弱の患いなり。僖公の性、前二十一年常に賢なるに非ずして、後乃ち漸く変じて不肖と為るに非ず、此れ季子の存する所の益、亡ぶる所の損なり。夫れ賢を得、賢を失うこと、其の損益の験此くのごとし。而るに人主の用うる所に忽なる、甚だ疾痛むべきなり。夫れ智賢を見るに足らざるは、如何ともする無し。若し智能く之を見るも、強いて決する能わず、猶予して用いず、大は死亡し、小は乱傾す、此れ甚だ悲哀すべきなり。宋の殤公孔父の賢を知らざるかを以てせんか、安んぞ孔父死せば己必ず死せんことを知りて、趨りて之を救わん。趨りて之を救う者は、是れ其の賢を知ればなり。魯の荘公季子の賢を知らざるかを以てせんか、安んぞ疾死せんとして季子を召して之に国政を授けん。之に国政を授くる者は、是れ其の賢を知ればなり。此の二君賢を知り見る能くして皆用うる能わず、故に宋の殤公は殺されて死し、魯の荘公は賊嗣す。宋の殤をして蚤く孔父に任ぜしめ、魯の荘をして素より季子を用いしめば、乃ち将に隣国を靖んずべし、而るを況んや自ら存するをや。
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『韓非子』難四第三十九不肖者の主を煬るは、以て明を害するに足らず。今知を加へずして賢者をして己を煬らしむれば、則ち必ず危ふし。或ひと曰く、屈到は芰を嗜み、文王は菖蒲葅を嗜む、正味に非ざるなり、而して二賢之を尚ぶ、味はふ所必ずしも美ならず。晋の霊侯は参無恤を説び、燕噲は子之を賢とす、正士に非ざるなり、而して二君之を尊ぶ、賢とする所必ずしも賢ならざるなり。賢に非ずして賢として之を用ふるは、愛して之を用ふると同じ。賢誠に賢にして之を挙ぐるは、愛する所を用ふると状を異にす。故に楚荘は孫叔を挙げて覇たり、商辛は費仲を用ひて滅ぶ、此れ皆賢とする所を用ひて事相反するなり。燕噲は賢とする所を挙ぐと雖も、而も愛する所を用ふるに同じ、衛奚ぞ距ぞ然らんや。則ち侏儒の未だ見るべからざるなり。君壅がれて其の壅がるるを知らず、已に之を見ての後に其の壅がるるを知る、故に壅臣を退くるは、是れ知を加ふるなり。「知を加へずして賢者をして己を煬らしむれば則ち必ず危ふし」と曰ふも、而るに今以て知を加ふれば、則ち己を煬らしむと雖も、必ず危ふからず。