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説苑 / 尊賢

春秋之時,天子微弱,諸侯力政,皆叛不朝;眾暴寡,強劫弱,南夷與北狄交侵,中國之不絕若線。桓公於是用管仲、鮑叔、隰朋、賓胥無、甯戚,三存亡國,一繼絕世,救中國,攘戎狄,卒脅荊蠻,以尊周室,霸諸侯。晉文公用咎犯、先軫、陽處父,強中國,敗強楚,合諸侯,朝天子,以顯周室。楚莊王用孫叔敖、司馬子反、將軍子重,征陳從鄭,敗強晉,無敵於天下。秦穆公用百里子、蹇叔子、王子廖及由余,據有雍州,攘敗西戎。吳用延州萊季子,并翼州,揚威於雞父。鄭僖公富有千乘之國,貴為諸侯,治義不順人心,而取弒於臣者,不先得賢也。至簡公用子產、裨諶、世叔、行人子羽,賊臣除,正臣進,去強楚,合中國,國家安寧,二十餘年,無強楚之患。故虞有宮之奇,晉獻公為之終夜不寐;楚有子玉得臣,文公為之側席而坐,遠乎賢者之厭難折衝也。夫宋襄公不用公子目夷之言,大辱於楚;曹不用僖負羈之諫,敗死於戎。故共惟五始之要,治亂之端,在乎審己而任賢也。國家之任賢而吉,任不肖而凶,案往世而視己事,其必然也,如合符,此為人君者,不可以不慎也。國家惛亂而良臣見,魯國大亂,季友之賢見,僖公即位而任季子,魯國安寧,外內無憂,行政二十一年,季子之卒後,邾擊其南,齊伐其北,魯不勝其患,將乞師於楚以取全耳,故傳曰:患之起必自此始也。公子買不可使戍衛,公子遂不聽君命而擅之晉,內侵於臣下,外困於兵亂,弱之患也。僖公之性,非前二十一年常賢,而後乃漸變為不肖也,此季子存之所益,亡之所損也。夫得賢失賢,其損益之驗如此,而人主忽於所用,甚可疾痛也。夫智不足以見賢,無可奈何矣,若智能見之,而強不能決,猶豫不用,而大者死亡,小者亂傾,此甚可悲哀也。以宋殤公不知孔父之賢乎,安知孔父死,己必死,趨而救之,趨而救之者,是知其賢也。以魯莊公不知季子之賢乎,安知疾將死,召季子而授之國政,授之國政者,是知其賢也。此二君知能見賢而皆不能用,故宋殤公以殺死,魯莊公以賊嗣,使宋殤蚤任孔父,魯莊素用季子,乃將靖鄰國,而況自存乎!

新字:春秋之時,天子微弱,諸侯力政,皆叛不朝;眾暴寡,強劫弱,南夷与北狄交侵,中国之不絶若線。桓公於是用管仲、鮑叔、隰朋、賓胥無、甯戚,三存亡国,一継絶世,救中国,攘戎狄,卒脅荊蠻,以尊周室,覇諸侯。晉文公用咎犯、先軫、陽処父,強中国,敗強楚,合諸侯,朝天子,以顕周室。楚荘王用孫叔敖、司馬子反、将軍子重,征陳従鄭,敗強晉,無敵於天下。秦穆公用百里子、蹇叔子、王子廖及由余,拠有雍州,攘敗西戎。吳用延州萊季子,并翼州,揚威於雞父。鄭僖公富有千乗之国,貴為諸侯,治義不順人心,而取弒於臣者,不先得賢也。至簡公用子産、裨諶、世叔、行人子羽,賊臣除,正臣進,去強楚,合中国,国家安寧,二十余年,無強楚之患。故虞有宮之奇,晉献公為之終夜不寐;楚有子玉得臣,文公為之側席而坐,遠乎賢者之厭難折衝也。夫宋襄公不用公子目夷之言,大辱於楚;曹不用僖負羈之諫,敗死於戎。故共惟五始之要,治乱之端,在乎審己而任賢也。国家之任賢而吉,任不肖而凶,案往世而視己事,其必然也,如合符,此為人君者,不可以不慎也。国家惛乱而良臣見,魯国大乱,季友之賢見,僖公即位而任季子,魯国安寧,外內無憂,行政二十一年,季子之卒後,邾擊其南,斉伐其北,魯不勝其患,将乞師於楚以取全耳,故伝曰:患之起必自此始也。公子買不可使戍衛,公子遂不聴君命而擅之晉,內侵於臣下,外困於兵乱,弱之患也。僖公之性,非前二十一年常賢,而後乃漸変為不肖也,此季子存之所益,亡之所損也。夫得賢失賢,其損益之験如此,而人主忽於所用,甚可疾痛也。夫智不足以見賢,無可奈何矣,若智能見之,而強不能決,猶予不用,而大者死亡,小者乱傾,此甚可悲哀也。以宋殤公不知孔父之賢乎,安知孔父死,己必死,趨而救之,趨而救之者,是知其賢也。以魯荘公不知季子之賢乎,安知疾将死,召季子而授之国政,授之国政者,是知其賢也。此二君知能見賢而皆不能用,故宋殤公以殺死,魯荘公以賊嗣,使宋殤蚤任孔父,魯荘素用季子,乃将靖鄰国,而況自存乎!

書き下し

春秋の時、天子微弱にして、諸侯力を政め、皆叛きて朝せず。衆は寡を暴し、強は弱を劫かし、南夷と北狄と交々侵し、中国の絶えざること線のごとし。桓公是に於いて管仲・鮑叔・隰朋・賓胥無・甯戚を用い、三たび亡国を存し、一たび絶世を継ぎ、中国を救い、戎狄を攘い、卒に荊蛮を脅し、以て周室を尊び、諸侯に霸たり。晋の文公は咎犯・先軫・陽処父を用い、中国を強くし、強楚を敗り、諸侯を合わせ、天子に朝し、以て周室を顕す。楚の荘王は孫叔敖・司馬子反・将軍子重を用い、陳を征し鄭に従い、強晋を敗り、天下に敵無し。秦の穆公は百里子・蹇叔子・王子廖及び由余を用い、雍州を拠有し、西戎を攘敗す。呉は延州萊季子を用い、翼州を并せ、威を雞父に揚ぐ。鄭の僖公は千乘の国を富有し、貴きこと諸侯たれども、義を治めて人心に順わず、臣に弑せらるる者は、先に賢を得ざればなり。簡公に至りて子産・裨諶・世叔・行人子羽を用い、賊臣除かれ、正臣進み、強楚を去り、中国を合わせ、国家安寧にして、二十余年、強楚の患い無し。故に虞に宮之奇有りて、晋の献公之が為に終夜寝ねず。楚に子玉得臣有りて、文公之が為に側席して坐す。賢者の厭難折衝を遠ざくればなり。夫れ宋の襄公は公子目夷の言を用いず、大いに楚に辱めらる。曹は僖負羈の諫めを用いず、戎に敗死す。故に共に五始の要、治乱の端を惟うに、己を審らかにして賢に任ずるに在り。国家の賢に任じて吉なり、不肖に任じて凶なるは、往世を案じて己の事を視るに、其れ必然なり、符を合するがごとし。此れ人君たる者、慎まざるべからざるなり。国家惛乱にして良臣見わる。魯国大いに乱れ、季友の賢見わる。僖公即位して季子に任じ、魯国安寧にして、外内憂い無く、行政二十一年、季子の卒するの後、邾其の南を撃ち、斉其の北を伐ち、魯其の患いに勝えず、将に師を楚に乞いて以て全きを取らんとするのみ。故に伝に曰く、患いの起こるは必ず此れより始まると。公子買をして衛に戍らしむべからず、公子遂は君命を聴かずして擅に晋に之く、内は臣下に侵され、外は兵乱に困しむ、弱の患いなり。僖公の性、前二十一年常に賢なるに非ずして、後乃ち漸く変じて不肖と為るに非ず、此れ季子の存する所の益、亡ぶる所の損なり。夫れ賢を得、賢を失うこと、其の損益の験此くのごとし。而るに人主の用うる所に忽なる、甚だ疾痛むべきなり。夫れ智賢を見るに足らざるは、如何ともする無し。若し智能く之を見るも、強いて決する能わず、猶予して用いず、大は死亡し、小は乱傾す、此れ甚だ悲哀すべきなり。宋の殤公孔父の賢を知らざるかを以てせんか、安んぞ孔父死せば己必ず死せんことを知りて、趨りて之を救わん。趨りて之を救う者は、是れ其の賢を知ればなり。魯の荘公季子の賢を知らざるかを以てせんか、安んぞ疾死せんとして季子を召して之に国政を授けん。之に国政を授くる者は、是れ其の賢を知ればなり。此の二君賢を知り見る能くして皆用うる能わず、故に宋の殤公は殺されて死し、魯の荘公は賊嗣す。宋の殤をして蚤く孔父に任ぜしめ、魯の荘をして素より季子を用いしめば、乃ち将に隣国を靖んずべし、而るを況んや自ら存するをや。

現代語訳

春秋時代、天子の力は衰え、諸侯は武力で政治を行い、皆謀反して朝見しなかった。桓公は管仲・鮑叔らを用いて三たび滅亡寸前の国を存続させ、中原を救い異民族を退けて覇者となった。晋の文公・楚の荘王・秦の穆公・呉もそれぞれ賢臣を用いて強盛となった。鄭の僖公は賢者を得なかったために臣下に弑された。簡公は子産らを用いて国家を安寧にした。宋の襄公・曹は諫言を用いず辱めを受けた。国家の吉凶は自らを省み賢者に任せるかどうかにかかっている。魯では僖公が季子(季友)を用いて二十一年安寧を保ったが、季子の死後は隣国に苦しめられた。宋の殤公も魯の荘公も孔父・季子の賢明さを知っていながら実際には用いることができず、結局身を滅ぼした。もし早くから重用していれば隣国さえ安んじられただろうし、まして自国の存続などなおさらであった。

解説

賢者の存在そのものよりも、賢者を見抜きながらも決断できず用いなかったことへの痛烈な批判が本章の核心である。宋の殤公も魯の荘公も孔父や季子の賢明さを知っていながら、実際に重用することをためらい、結果として身を滅ぼした。これは、有能な人材を見出す「眼力」と、それを実際に登用し権限を委ねる「決断力」とは別物であるという鋭い指摘であり、現代の組織においても、優秀な部下や後継者の存在に気づきながら人事の慣性や躊躇によって活かしきれない管理職への警鐘として読める。

この章句が説くこと

任賢決断治乱

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