初学訓 / 巻之四
慾をこらふるは、酒食好色など、およそ、わが心に合ひてすき好める耳目口體の慾、財寶器物の慾、皆こらへて、恣に貪らざるなり。忿と慾との二をこらへざれば、義理にそむき、心を亂し、病を生じ、財をつひやし、恥辱をとり、命を失ふ。其害大なり。凡そ身の禍は、忿慾をこらへざるより起る。しばしの間、忿をこらへずして身を忘るれば、父母をうれへしむ。不孝、是より大なるはなし。しばらく堪忍すれば、禍なくして喜あり。古人の詩にも、忍過事堪喜といへり。堪忍しすまして後は、喜ありといふ意なり。しばし堪忍せざれば、莫大の禍となる。程子も、貪慾を忍ぶと忍ばざると、便見有德無德といへり。
新字:慾をこらふるは、酒食好色など、およそ、わが心に合ひてすき好める耳目口体の慾、財宝器物の慾、皆こらへて、恣に貪らざるなり。忿と慾との二をこらへざれば、義理にそむき、心を乱し、病を生じ、財をつひやし、恥辱をとり、命を失ふ。其害大なり。凡そ身の禍は、忿慾をこらへざるより起る。しばしの間、忿をこらへずして身を忘るれば、父母をうれへしむ。不孝、是より大なるはなし。しばらく堪忍すれば、禍なくして喜あり。古人の詩にも、忍過事堪喜といへり。堪忍しすまして後は、喜ありといふ意なり。しばし堪忍せざれば、莫大の禍となる。程子も、貪慾を忍ぶと忍ばざると、便見有徳無徳といへり。
書き下し
慾をこらふるは、酒食好色など、およそ、わが心に合ひてすき好める耳目口体の慾、財宝器物の慾、皆こらへて、恣に貪らざるなり。忿と慾との二をこらへざれば、義理にそむき、心を乱し、病を生じ、財をつひやし、恥辱をとり、命を失ふ。其害大なり。凡そ身の禍は、忿慾をこらへざるより起る。しばしの間、忿をこらへずして身を忘るれば、父母をうれへしむ。不孝、是より大なるはなし。しばらく堪忍すれば、禍なくして喜あり。古人の詩にも、忍過事堪喜といへり。堪忍しすまして後は、喜ありといふ意なり。しばし堪忍せざれば、莫大の禍となる。程子も、貪慾を忍ぶと忍ばざると、便見有徳無徳といへり。
現代語訳
欲をこらえるとは、酒食や好色など、およそ自分の心に合って好む耳・目・口・体の欲や、財宝器物の欲を、みなこらえて、ほしいままに貪らないことです。怒りと欲の二つをこらえなければ、義理に背き、心を乱し、病を生じ、財を費やし、恥辱を受け、命を失います。その害は大きい。およそ身の禍は、怒りと欲をこらえないことから起こります。しばらくの間、怒りをこらえずに身を忘れれば、父母を心配させます。不孝としてこれより大きなものはありません。しばらく堪忍すれば、禍がなくて喜びがあります。古人の詩にも「忍び過ぐれば事喜ぶに堪へたり」とあります。堪忍し終えた後には喜びがあるという意味です。しばらく堪忍しなければ、莫大な禍となります。程子も「貪欲を忍ぶか忍ばないかで、徳があるかないかが分かる」と言いました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『楽訓』巻之上・総論一忍は、しのぶとも、こらふるともよめり。俗にいはゆる堪忍する事なり。忍ぶべき事多し、大やう忿と欲との二に出でず。我が身の好める酒食声色財利などの私慾をこらへて、恣にせざると、身のやつやつしく、豊ならざるをこらへて、貧をあまんじ苦まざるは、慾を忍ぶなり。人の我に情なく無礼なるをば、凡人はかくこそ有らめと思ひこらへて、いかり恨みざるは、忿を忍ぶなり。凡忿と慾とを忍べば、心平かに気和ぎ、身やすく、人にさはりなくして、恥なく、苦なく、後のうれひなく、わざはひなし。忍の一字より、万の善き事出づ。忍ばざれば、万のあしき事、是より出づ。故に古語に、忍は是衆妙の門と云へり。忍のことわり、楽を得るにおいて、其益大なるかな。
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『初学訓』巻之四一忍といふこと、亦善行なり。忍とは、こらふるなり、堪忍するをいふ。忍に二事あり。一には、わが心に嫌ふことをこらへて忿らず、又、一には、わが心に好む物をこらへて貪らず。これ、忿と慾との二を堪ふるなり。忿をしのぶは、人のしわざ、吾が心に合はざるをこらふるなり。忿は、わが心を乱し人を妨ぐ。心は、万事の本なり。いかりて心みだれては、言ふこと行ふこと、道理にかなはず。いかる時、まづ物をいふべからず。いかる時物いへば、必ず誤る。これ忿を忍ぶ一の手立なり。もし、言はずしてかなはざることありとも、言に忿を顕すべからず。たとひ、心の内にいかり釈けずとも、言に出さずして忿やみ、本心にかへるまで、堪へぬれば、大なる誤なし。
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『養生訓』巻第一・総論上一養生に志あらん人は、心に常に主あるべし。主あれば思慮して是非をわきまへ、忿をおさへ、慾をふさぎて、あやまりすくなし。心に主なければ、思慮なくして、忿と慾をこらへず、恣にしてあやまり多し。一万の事、一時心に快き事は、必ず後に殃となる。酒食をほしいままにすれば、快けれどやがて病となるの類なり。初にこらふれば必ず後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらふれば、後に病なきが如し。杜牧が詩に、忍過事堪喜といへるは、欲をこらへすまして後はよろこびとなるなり。
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『初学訓』巻之五一耳目口腹の慾を恣にして、一時快しと思へど、其楽いまだ果てざる内に、早くうれへ来る。酒食色慾を過して、楽むと思へど、其楽の内に、早く祟をなすが如きの類なり。すでに、はじめに快きことは、終には、必ず禍となる。後の禍をおそるれば、前に快きことを求むべからず。又、はじめに苦みて勤むれば、必ず後の喜楽となる。味よき酒食を過せば、たちまち病起り、にがき薬をのみ、あつき炙をすれば、必ず後は病去りて、身の益となるが如し。
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『養生訓』巻第一・総論上一人の耳目口体の、見る事、聞く事、飲み食ふ事、好色をこのむ事、各其このめる慾あり。これを嗜慾と云ふ。嗜慾とはこのめる慾なり。慾はむさぼるなり。飲食色慾などをこらへずして、むさぼりてほしいままにすれば、節に過て、身をそこなひ、礼義にそむく。万の悪は、皆慾を恣にするよりおこる。耳目口体の慾を忍んで恣にせざるは、慾にかつの道なり。もろもろの善は、皆慾をこらへて恣にせざるよりおこる。故に、忍ぶと恣にするとは、善と悪とのおこる本なり。養生の人はここに於て、専心を用ひて恣なる事をおさへて、慾をこらふるを要とすべし。恣の一字をさりて、忍の一字を守るべし。
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『大和俗訓』巻之三・心術上慾とは、唯財宝をむさぼるのみにあらず、名利、酒食、好色、或は、淫楽、器物、酒宴、佚遊を好みおぼれて、我が私をなすは、皆慾なり。慾をふさぐとは、慾心おこらば、はやく其慾をおさふるを云ふ。すでに慾さかんになりぬれば、心まよひて慾にかちがたし。慾のはじめておこる時、早くふさげば、力を用ふる事すこしにして、其しるし多し。慾は陰に属す。たとへば水の人をおほらすが如く、おぼれやすし。およそ万の悪は、多くは怒と慾よりおこる。七情の内の二の者、尤害多し。我が身をそこなひ、人をそこなふ。おそるべし。又怒と慾との二は、養生の道に甚害あり。
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