士道心得書 / 和歌と日本の武士
和朝の風俗なれば、和歌の道を學び知るべし。古今の序にも、猛き武士の心を和ぐるは歌なりと、云〻、古の良將勇士各和歌を詠ず。源三位賴政の曰、吾が鋪島の道に心を寄せぬおのこは、花なくて實成るものゝ如し。夫和歌は天地萬物和合の道なれば知らでや人のあらんは情なしと云〻。武敎小學曰、倭俗之士、所用尤泥着、則居闔國而慕異域之俗、或學禮義、用異風、或爲祭祀、用異樣、是皆不究理之誤也。云云。日本に生を得て、一つまみ程の小國に居ながら、入らざる大國のしかも昔の聖賢の沙汰し、堯舜の御代は如斯、孔子老子は如此、子路が勇、諸葛が謀と深して、我國の事は露程も不知は、本意を不辨の愚なり。用捨の心得大要也。本朝の士法の事起るは、保元平治より、源平盛衰、鎌倉三代、相摸入道、尊氏十三代の事、信長より、大閤、大權現迄、日本武將の世を治給ふ事、良將明君忠臣義士、考へ知べき事肝要也。
新字:和朝の風俗なれば、和歌の道を学び知るべし。古今の序にも、猛き武士の心を和ぐるは歌なりと、云〻、古の良将勇士各和歌を詠ず。源三位頼政の曰、吾が鋪島の道に心を寄せぬおのこは、花なくて実成るものゝ如し。夫和歌は天地万物和合の道なれば知らでや人のあらんは情なしと云〻。武教小学曰、倭俗之士、所用尤泥着、則居闔国而慕異域之俗、或学礼義、用異風、或為祭祀、用異様、是皆不究理之誤也。云云。日本に生を得て、一つまみ程の小国に居ながら、入らざる大国のしかも昔の聖賢の沙汰し、堯舜の御代は如斯、孔子老子は如此、子路が勇、諸葛が謀と深して、我国の事は露程も不知は、本意を不弁の愚なり。用捨の心得大要也。本朝の士法の事起るは、保元平治より、源平盛衰、鎌倉三代、相摸入道、尊氏十三代の事、信長より、大閤、大権現迄、日本武将の世を治給ふ事、良将明君忠臣義士、考へ知べき事肝要也。
書き下し
和朝の風俗なれば、和歌の道を學び知るべし。古今の序にも、猛き武士の心を和ぐるは歌なりと、云云。古の良將勇士各々和歌を詠ず。源三位賴政の曰く、吾が敷島の道に心を寄せぬおのこは、花なくて實成るものゝ如し。夫れ和歌は天地萬物和合の道なれば知らでや人のあらんは情なしと、云云。武敎小學に曰く、倭俗之士、所用尤も泥着、則ち居闔國而慕異域之俗、或は禮義を學び、異風を用ひ、或は祭祀を爲し、異樣を用ふ、是れ皆理を究めざるの誤りなり、云云。日本に生を得て、一つまみ程の小國に居ながら、入らざる大國のしかも昔の聖賢の沙汰し、堯舜の御代は如斯、孔子老子は如此、子路が勇、諸葛が謀と深くして、我が國の事は露程も知らざるは、本意を辨へざるの愚なり。用捨の心得大要なり。本朝の士法の事起こるは、保元平治より、源平盛衰、鎌倉三代、相摸入道、尊氏十三代の事、信長より、大閤、大權現迄、日本武將の世を治め給ふ事、良將明君忠臣義士、考へ知るべき事肝要なり。
現代語訳
日本の風俗なのですから、和歌の道を学び知るべきです。古今集の序にも、猛々しい武士の心を和らげるのは歌である、とあります。昔の良将や勇士はそれぞれ和歌を詠みました。源三位頼政は、私が歌の道に心を寄せない男は、花がなくて実だけがなるようなものだ、と言いました。和歌は天地万物が和合する道なので、知らずにいる人がいるのは情けないことです。武教小学にはこうあります。倭の風俗の士は、用いるものにとらわれ、日本に居ながら異国の風俗を慕い、あるいは礼義を学んで異国の風を用い、あるいは祭祀を行って異国の様式を用いる。これらはみな理を究めないための誤りである、と。日本に生まれ、つまめるほどの小さな国にいながら、不要に大国の、しかも昔の聖賢のことばかり論じ、堯舜の御代はこうだ、孔子や老子はこうだ、子路の勇、諸葛亮の謀だと深く学んで、自国のことは少しも知らないのは、本来の意味を弁えない愚かさです。取捨の心得が大切です。日本の士の法が起こったのは、保元・平治から、源平の盛衰、鎌倉三代、北条氏、足利尊氏から十三代、さらに信長から秀吉、家康に至るまで、日本の武将が世を治めたことを、良将・名君・忠臣・義士について考え知ることが肝要です。
解説
この章句が説くこと
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『尚武論』・武士道の自然と、歌や学の位置未だ聞かず、不幸を以て之を罪する者有るを。又、池田輝政は其の父を害せんが為に、永井氏厚賞を請ひ、日比半右衛門は其の子を殺さんが為に、米村市之丞之を揄揚するの類、未だ聞かず、天倫を斁ると謗る者有るを。此れ則ち我が邦の武士道なり。他、婦人女子の身を殺して節操を立つる者のごときは、渠等初めより学道の者に非ず。我が邦自然の武士道、自然にして之を識るなり。徂徠曰く、武士道は戦国に創まる、悪習なり、と。闇斎曰く、我が邦に異端有り、所謂武士道是れなり、云云、と。此れ皆儒に僻せる言なり。余故に曰く、我が方の士、宜しく武の文より尊く、忠の孝より尊きを体識すべきなり、と。徐庶たらんよりは、寧ろ趙苞たれ。班固たらんよりは、寧ろ班彪たれ。亦可ならずや。我が邦苟くも武士道無くんば、則ち武士は武士ならざるなり。何ぞ尊ぶべけんや。朝廷縉紳家、倭歌を以て我が邦の道と為す。夫れ和歌は素盞烏尊に創まり、連歌は日本武命に基づく。二神は固より此れを以て道と為す者に非ず、仮りて以て志を述ぶるのみ。今の学者、学を以て詩歌を為すは可なり。詩歌を以て学と為すは、大いに不可なり。人麻呂・赤人、世に歌聖を以て之を称す。二人は均しく文人なり。固より道を知る者に非ず。予を以て之を観れば、則ち李杜の亜のみ。我が邦の道とする所は武に在り、歌に在らざるなり。孔子嘗て曰く、桴に乗りて海に浮かばん、と。又曰く、九夷に居らんと欲す、と。豈に我が邦に取る所有るか。其の取る所は果たして武に在るなり。白石先生は京師の風を以て江戸に易へんと欲し、徂徠先生は西土の風を以て日本を化せんと欲す。倶に我が邦の善の世界に冠たる者有るを知らざるなり。易に曰く、爾の霊亀を舎てて、我が朶頤を観る、と。二先生に有り。我が邦の武は、弓馬を以て重しと為す。故に武士を弓執と曰ひ、弓馬家と曰ふ。此れ皆古言なり。西土は夷を以て我が邦を称す。説文に曰く、夷の字は大に从ひ弓に从ふ、と。此れ又弓を以て之を称するなり。南蛮北狄の、獣を以て之を称するの類に非ざるなり。陸機の要覧に、我が方の弓を称して東弓と曰ふ。又邦人、武士道を称して弓矢の礼と曰ふは、是が為の故なり。我が邦東北の士、最も弓馬に善し。是を以て東北の武勇、特に天下に秀づ。武田・長尾の武を以て顕るるは、弓馬を以てなり。武士は宜しく馬に乗り弓を執り、古実を失はざるべきなり。聖人は詩書礼楽を以て教へと為す。予を以て之を観れば、我が邦の万葉・古今集は、猶ほ彼の方の詩のごとし。
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『武道初心集』文雅(一)武士道は。剛強の意地あるを第一と仕るは。勿論の義に候得共。片向に强さ計りにては。何とやらん農人上りの武士を見る樣にて不可然候。學問は勿論。其餘暇には。歌學。茶の湯など。少しづゝは相心得罷在度事にて候。先學問無之候ては。古今の道理を辨へ可申樣無之に付。其身何ほど世智賢くさし當り利發にても。事に臨み差支多きものに候。異國本朝の義を粗々覺悟いたし。時と所と位との三つをよく考へ合せて。其宜さに隨ひ。事を取計らひ候へば。物に致し毀ひと申義は。左のみ無之ものに候。爰を以て學問は勿論とは申にて候。但し心得惡しく候へば。大方は我慢になり。無學文盲なる者をば。目八分に見こなし。其上異國最負をいたし。何もかも唐流を善と心得。たとひ道理は善にもせよ。本朝の今時には。用ひ難さといふ勘辨もなく。片情を張りて物を申す樣なるは。散々の事に候。爰を分別致して學問尤に候。次に歌學の義は。和朝の風俗にして。古今の名將勇士の中に。歌道の達人も有之候。然れば小身の武士たりとも。歌道に立入。折にふれたる腰折の一首も。綴り候程にはあり度事に候。
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『文武訓』文訓下一和歌は、わが国の言葉にて、あさはかなるやうにきこゆめれども、言葉風雅にして古にちかく、心和平にして情ふかし。しかれば、もろこしの名家の詩にも、其品格をさをさおとるべからず。只、日本の人の作れる詩文は、わが国のことばにあらず、其上、習あしくて、いにしへの名家の作といへど、もろこしの下等の作にも及びがたし。よくつとめ学ばずんば、中夏の下品にも及びがたかるべし。身を終るまで、詩を作るにもはらにせば、詩は大かたよかるべけれど、さあらば経史にうとく、其余の事にも通ずるに暇なかるべし。
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『尚武論』・実を重んじ、虚飾を捨てて学ぶ有志の人、心に窃かに之を危ぶむ。昔、清和天皇、幼くして即位し、自ら祚に臨む能はず、外戚藤原氏をして摂政せしむ。藤原氏竟に世々其の職に居り、是より君弱く臣強し。時に又荘園を創め、正税減少し、上は貧しく下は富み、国勢自づから衰ふ。当時の大臣、早く其の季の救ふべからざるを覚り、遽かに之を改めんと欲す。河原左大臣及び前中書王、身は皇族に居れども、竟に其の志を得ず。況んや菅原公は位三台に立つと雖も、本臣位に在れば、則ち徒らに黜けられて止む。嘆くべきかな。魯の隠公は身摂位に居りて即位する能はず、自ら視て君たる能はず、臣下も又仰ぎて君と為さず、公室竟に弱く、三桓自づから盛んなり。孔子、公室を張り三桓を黜けんと欲せしも、其の志も亦成らず。其の春秋を著すに、意を隠公の即位を書せざるに寓す。余、毎に嘆じて曰く、菅公は之を事未だ成らざるの首に救ひ、孔子は之を事已に成れるの後に糾す。聖賢の旨、其の揆一なり、と。噫、朝廷の衰へ、国勢の振はざる、其の機百端、之を要するに文華の害を為すこと、最も多きに居る。宜しく真儒を択びて之を用ひ、吾が武道を助けしむべきのみ。真儒を択びて之を用ひなば、儒何ぞ道を害せん。今、世を挙げて非儒者を用ひ、曰く、儒道は国を害す、と。是を以て儒者を罪す。真儒は受けざるなり。唯だ我が方の足らざる所は文なり。聖人は人に資りて善を為すを楽しむ。文は宜しく之を彼に資るべし。唯だ文国の文は、我が邦を以て之を視れば、自づから文に過ぐるが如き者あり。姑く一言を挙げん。父母の喪に、哭泣擗踊して足れり。人を以て哭を代ふるは、更に甚だしと為すなり。神主有りて足れり。重を立て魂帛を設くるは、更に煩はしと為すなり。此れ皆虚飾なり。傚ふこと勿くして可なり。文章の道は、誠を立て意を達す。彼の方の文は、古今の差有り、各家の風有り。今之に擬して巧みならんと欲す。此れ則ち虚飾なり。学ぶこと勿くして可なり。我が国上古の文は、多く皆実を主とす。故に六国史の類は不朽に属す。後の文人、其の著す所の書、自ら史漢に摸擬し、韓欧に依倣すと謂ふ。果たして其れ不朽の典ならんや。之を要するに、今の所謂文人儒者は、游民の徒のみ。儒者すら已に此くのごとし。況んや仏者は、又算ふるに足らざるのみ。我が邦は武国なり。自づから武士道有り。此れ儒道を仮らず、仏意を用ひず、我が邦自然の道なり。文国は孝を尚び、武国は忠を尚ぶ。夫れ真田幸綱は父に叛きて君に事へ、九鬼守隆は君を助けて父を攻む。

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