紫灘遺稿抄録 / 楠公らの詩・南朝・鎌倉の人物を詠む詩
大楠公張巡雖術同。便有子儀功。春花與秋葉。無奈攝山崇。小楠公忠義祖宗蹤。病軀時匪逢。四條軍不利。臨死復從容。道臣命(押日命從天孫。率來目兵。命者其子。復爲來目之帥。)世業督元戎。東征助武功。鈴韜帷幄策。總與呂望同。北條相州血腥三使首。海塡十萬兵。人事來天助。颶風一掃淸。北畠准后神皇同一脉。堅確執名分。三朝忠烈老。出入武兼文。備後三郎櫻樹數行書。孤忠意有餘。不同他義烈。出沒守皇居。菊地寂阿義兵誰止馬。鳴鏑射神祠。孫子皆英傑。四世護鸞旗。菊池肥州衆寡何足議。精兵意氣豪。賊徒猶可斬。筑水洗金刀。
新字:大楠公張巡雖術同。便有子儀功。春花与秋葉。無奈摂山崇。小楠公忠義祖宗蹤。病躯時匪逢。四条軍不利。臨死復従容。道臣命(押日命従天孫。率来目兵。命者其子。復為来目之帥。)世業督元戎。東征助武功。鈴韜帷幄策。総与呂望同。北条相州血腥三使首。海塡十万兵。人事来天助。颶風一掃清。北畠准后神皇同一脉。堅確執名分。三朝忠烈老。出入武兼文。備後三郎桜樹数行書。孤忠意有余。不同他義烈。出没守皇居。菊地寂阿義兵誰止馬。鳴鏑射神祠。孫子皆英傑。四世護鸞旗。菊池肥州衆寡何足議。精兵意気豪。賊徒猶可斬。筑水洗金刀。
書き下し
大楠公。張巡は術同じといえども、便ち子儀の功有り。春花と秋葉と、攝山の崇むるを奈ともするなし。小楠公。忠義は祖宗の蹤、病躯は時に逢わず。四條に軍利あらず、死に臨みてまた従容たり。道臣命(押日命は天孫に従い、来目の兵を率い来る。命はその子にして、また来目の帥と為る。)。世業元戎を督し、東征して武功を助く。鈴韜帷幄の策、すべて呂望と同じ。北條相州。血腥し三使の首、海に塡つ十万の兵。人事に天助来たり、颶風一掃して清し。北畠准后。神皇と同一脈、堅確に名分を執る。三朝忠烈の老、出入に武と文を兼ぬ。備後三郎。桜樹数行の書、孤忠意余り有り。他の義烈に同じからず、出没して皇居を守る。菊地寂阿。義兵誰か馬を止めん、鳴鏑神祠を射る。孫子皆英傑、四世鸞旗を護る。菊池肥州。衆寡何ぞ議するに足らん、精兵意気豪なり。賊徒なお斬るべし、筑水金刀を洗わん。
現代語訳
大楠公(楠木正成)について。張巡は術は同じでも、郭子儀のような功績がありました。春の花と秋の葉のように、摂山(楠公)が崇められることをどうすることもできません。小楠公(楠木正行)について。忠義は祖先の足跡に従い、病弱な身は時に恵まれませんでした。四條畷で戦は不利でしたが、死に臨んでも落ち着いていました。道臣命(押日命は天孫に従い、来目の兵を率いてきました。命はその子で、また来目の将となりました)について。代々の家業として大将軍を統率し、東征して武功を助けました。軍略の計は、すべて呂望(太公望)と同じでした。北條相州(北条時宗)について。三人の使者の首は血なまぐさく、海は十万の兵で満ちました。人の事に天の助けが来て、暴風が一掃して清めました。北畠准后(北畠親房)について。神皇(後醍醐天皇)と同じ血筋で、堅く名分を守りました。三朝の忠烈の老臣で、出入りに武と文を兼ね備えていました。備後三郎(児島高徳)について。桜の木に数行の書を記し、孤立した忠義の心は余りあるものでした。他の義烈の人と同じではなく、出没して皇居を守りました。菊地寂阿(菊池武時)について。義兵は誰も馬を止められず、鳴る鏑矢は神社を射ました。子孫は皆英傑で、四代にわたって天子の旗を守りました。菊池肥州(菊池武光)について。多勢か少勢かは議論するに足りず、精兵の意気は盛んでした。賊徒はまだ斬ることができ、筑後川で金の刀を洗うでしょう。
解説
この章句が説くこと
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