紫灘遺稿抄録 / 覚え書き・十年の謫居と子孫への遺言
保臣十年のあなたより謫せられ、三千六百日の間、讀書など勤めなば、生質愚鈍なりとも、少しは益を得る事もあるべけれど、天地に對しても鬼神に質しても、左ばかり心に恥敷事も侍らねば、やがて御ゆるし玉はらんなど、おもひつゝ過しに、今年なん十年にもなりぬる、やがて知命にもなり侍れば、たとへ百歲の命を得とも、半ば過にけり、思わたせば、やゝ氣力もおとりぬ、かくてはいかにぞや、世の中もとしにそへて、さわがしくなりゆけば、せめてとしごろ、おもひ設けたる事、かたはしばかりにても、かいつけて、子孫にのこさんと、おもひなして、かつ〱物せしなり、ゆめ吾子孫たるもの、楠氏の三世、義に死して、心かはらぬあとなわすれぞ、文久元年秋九月山梔窩にてしるす前大宮司平朝臣保臣
新字:保臣十年のあなたより謫せられ、三千六百日の間、読書など勤めなば、生質愚鈍なりとも、少しは益を得る事もあるべけれど、天地に対しても鬼神に質しても、左ばかり心に恥敷事も侍らねば、やがて御ゆるし玉はらんなど、おもひつゝ過しに、今年なん十年にもなりぬる、やがて知命にもなり侍れば、たとへ百歳の命を得とも、半ば過にけり、思わたせば、やゝ気力もおとりぬ、かくてはいかにぞや、世の中もとしにそへて、さわがしくなりゆけば、せめてとしごろ、おもひ設けたる事、かたはしばかりにても、かいつけて、子孫にのこさんと、おもひなして、かつ〱物せしなり、ゆめ吾子孫たるもの、楠氏の三世、義に死して、心かはらぬあとなわすれぞ、文久元年秋九月山梔窩にてしるす前大宮司平朝臣保臣
書き下し
保臣十年のあなたより謫せられ、三千六百日の間、讀書など勤めなば、生質愚鈍なりとも、少しは益を得る事もあるべけれど、天地に對しても鬼神に質しても、左ばかり心に恥敷事も侍らねば、やがて御ゆるし玉はらんなど、おもひつゝ過しに、今年なん十年にもなりぬる、やがて知命にもなり侍れば、たとへ百歲の命を得とも、半ば過にけり、思わたせば、やゝ氣力もおとりぬ、かくてはいかにぞや、世の中もとしにそへて、さわがしくなりゆけば、せめてとしごろ、おもひ設けたる事、かたはしばかりにても、かいつけて、子孫にのこさんと、おもひなして、かつ〱物せしなり、ゆめ吾子孫たるもの、楠氏の三世、義に死して、心かはらぬあとなわすれぞ、文久元年秋九月山梔窩にてしるす前大宮司平朝臣保臣
現代語訳
私(保臣)は十年前から流され、三千六百日の間、読書などに励めば、生まれつき愚鈍であっても、少しは益を得ることもあるでしょうが、天地に対しても鬼神に質しても、それほど心に恥ずかしいことはありませんので、やがてお許しを賜るだろうなどと思いながら過ごしてきて、今年でちょうど十年にもなりました。やがて知命(五十歳)にもなりますので、たとえ百歳の命を得たとしても、半ばは過ぎてしまいました。思い見渡せば、いくらか気力も衰えました。このままではどうなるでしょうか。世の中も年を追って騒がしくなっていくので、せめて長年思い設けてきたことを、かたはしだけでも書きつけて、子孫に残そうと思いたち、かろうじて書き記しました。決して私の子孫たる者は、楠氏が三代にわたり、義に死んで、心が変わらなかった跡を忘れてはいけません。文久元年秋九月、山梔窩にて記す。前大宮司平朝臣保臣
解説
この章句が説くこと
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『紫灘遺稿抄録』・楠公らの詩・南朝・鎌倉の人物を詠む詩大楠公。張巡は術同じといえども、便ち子儀の功有り。春花と秋葉と、攝山の崇むるを奈ともするなし。小楠公。忠義は祖宗の蹤、病躯は時に逢わず。四條に軍利あらず、死に臨みてまた従容たり。道臣命(押日命は天孫に従い、来目の兵を率い来る。命はその子にして、また来目の帥と為る。)。世業元戎を督し、東征して武功を助く。鈴韜帷幄の策、すべて呂望と同じ。北條相州。血腥し三使の首、海に塡つ十万の兵。人事に天助来たり、颶風一掃して清し。北畠准后。神皇と同一脈、堅確に名分を執る。三朝忠烈の老、出入に武と文を兼ぬ。備後三郎。桜樹数行の書、孤忠意余り有り。他の義烈に同じからず、出没して皇居を守る。菊地寂阿。義兵誰か馬を止めん、鳴鏑神祠を射る。孫子皆英傑、四世鸞旗を護る。菊池肥州。衆寡何ぞ議するに足らん、精兵意気豪なり。賊徒なお斬るべし、筑水金刀を洗わん。
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『紫灘遺稿抄録』・心得の条々・実心で実事を行い虚偽を避ける又人樂みて謳歌する時は、天も五風十兩氣候時にしたがひ、人哀みて號泣する時は、天も日月食し、彗星見え、種々の災害を顯はす、是水動ば魚驚道理とおなじ事なり、されば人たるものは、只一片の實心にて實事を行ふべき事なり、家內日用瑣末の事にても、かならず虛僞をおもはず虛僞をいはず虛僞をせず、二六時中の間、始中終の事、上につかふるにも、下に交るにも、只此心得肝要と思ふべし、末の世となりては、狡黠なるものもおほく、實心なるものを愚昧の樣にいひおとし、或は嘲弄するものあれど、左樣の人は必ず天地よりも棄られし人なれば、得失を論ずるにたらず、彼是と論ずれば、却て吾の誠に疵付れば、臭きものをよきて通る樣に、吾より避くべき事なり、楠氏の一族三世數十人、一人の餘りなく大義に殉死せられし事、大楠公の只一片の誠、つき通りて人世の榮辱などは、塵ほども胸中に雜らず、ひたすら皇室を目前にて、二念なかりしかば、天地も感じ、神人も助て 皇室再び昔に復せしなり、されば三百年の末になりて、湊川戰死の跡に、水戶黃門光國卿、嗚呼忠臣の碑、を建られしが、天下の人、かりそめにも、義理をわかち知るもの、墓前に拜伏して、其高義を感じ、涙をそゝがぬものなし、さばかり勢いかめしかりし足利も、十三代はつゞきぬといへども、三代の後は、號令も行はれず、骨肉相食、君臣相賊し、義昭が身になりては、浪々として諸國に乞食せし姿なり、しかのみならず、今日となりては、十三の墳墓に唾するものあり、ゆばりするものあり、千歲の恥辱たとふるにものなし、誠實と虛僞とのわかち、かくあるべき事とはいひながら、ケ樣にも懸隔するものなるや、おそるべきことなりかし、
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