新書 / 胎教
紂殺王子比干,而箕子被發而佯狂;陳靈公殺泄冶,而鄧元去陳以族徙。自是之後,殷并於周,陳亡於楚,以其殺比干與泄冶,而失箕子與鄧元也。燕昭王得郭隗,而鄒衍樂毅自齊魏至,於是舉兵而攻齊,棲閔王於莒。燕度地計眾,不與齊均也。然而,所以能信意至於此者,由得士故也。故無常安之國,無宜治之民;得賢者顯昌,失賢者危亡。自古及今,未有不然者也。鑑所以照形也,往古所以知今也。未知惡古之所以危亡,不務襲迹於其所以安存,則未有異於卻走而求及前人也。太公知之,故國微子後,而封比干之墓。夫聖人之於聖者之死,尚如此其厚也,況當世存者乎?其弗可失矣。
新字:紂殺王子比干,而箕子被発而佯狂;陳霊公殺泄冶,而鄧元去陳以族徙。自是之後,殷并於周,陳亡於楚,以其殺比干与泄冶,而失箕子与鄧元也。燕昭王得郭隗,而鄒衍楽毅自斉魏至,於是舉兵而攻斉,棲閔王於莒。燕度地計衆,不与斉均也。然而,所以能信意至於此者,由得士故也。故無常安之国,無宜治之民;得賢者顕昌,失賢者危亡。自古及今,未有不然者也。鑑所以照形也,往古所以知今也。未知悪古之所以危亡,不務襲迹於其所以安存,則未有異於却走而求及前人也。太公知之,故国微子後,而封比干之墓。夫聖人之於聖者之死,尚如此其厚也,況当世存者乎?其弗可失矣。
書き下し
紂王子比干を殺して箕子は髪を被りて佯狂す。陳の霊公泄冶を殺して鄧元は陳を去りて族を以て徙る。是れより後、殷は周に并され、陳は楚に亡ぶ。其の比干と泄冶とを殺して箕子と鄧元とを失えるを以てなり。燕の昭王郭隗を得て、鄒衍、楽毅斉魏より至る。是に於いて兵を挙げて斉を攻め、閔王を莒に棲ましむ。燕は地を度り衆を計るに、斉と均しからざるなり。然れども信意に此に至る所以の者は、士を得るに由るが故なり。故に常安の国無く、宜しく治まるべき民無し。賢者を得れば顕昌し、賢者を失えば危亡す。古より今に及ぶまで、然らざる者未だ有らざるなり。鑑は形を照らす所以なり、往古は今を知る所以なり。未だ古の危亡する所以を悪むを知らず、其の安存する所以に迹を襲うを務めざれば、則ち未だ却走して前人に及ぶを求むるに異なる有らざるなり。太公之を知る、故に微子の後を国し、比干の墓に封ず。夫れ聖人の聖者の死に於けるや、尚お此くの如く其れ厚し、況んや当世の存する者をや。其れ失う可からず。
現代語訳
紂王が王子比干を殺すと、箕子は髪を振り乱して狂ったふりをしました。陳の霊公が泄冶を殺すと、鄧元は陳を去って一族を連れて移りました。これ以後、殷は周に併合され、陳は楚に滅ぼされました。比干と泄冶を殺し、箕子と鄧元を失ったからです。燕の昭王は郭隗を得て、鄒衍と楽毅が斉と魏からやって来ました。そこで兵を挙げて斉を攻め、閔王を莒に追い込みました。燕は土地と人口を比べれば、斉に及ばなかったのです。それでも思いを遂げられたのは、士を得たからです。だから、永く安んじる国はなく、必ず治まる民もありません。賢者を得れば栄え、賢者を失えば危うく滅びます。昔から今まで、そうでなかった例はありません。鏡は姿を映すもの、昔の事は今を知るものです。昔の危亡のわけを憎むことを知らず、安存したわけに倣うことを務めないなら、後ずさりしながら先を行く人に追いつこうとするのと変わりません。太公はこのことを知っていたので、微子の後を国に立て、比干の墓を封じました。聖人が聖者の死に対してさえ、これほど厚く遇するのです。まして当世に生きている者に対してはなおさらです。失ってはなりません。
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢禹は夏を以て王たり、桀は夏を以て亡ぶ。湯は殷を以て王たり、紂は殷を以て亡ぶ。闔廬は呉を以て天下に戦勝して敵無く、而して夫差は越に見禽らる。文公は晋国を以て霸たり、而して厲公は匠麗の宮に見弑せらる。威王は斉を以て天下に強く、而して湣王は廟梁に弑死す。穆公は秦を以て名を顕し号を尊くし、而して二世は望夷に劫かさる。其の君王たる所以は同じくして、功跡の等しからざる者は、任ずる所異なればなり。是の故に成王襁褓に処りて諸侯に朝せしむるは、周公の事を用えればなり。趙の武霊王五十年にして沙丘に餓死するは、李充に任ぜし故なり。桓公管仲を得て、九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡す。管仲を失いて豎刁・易牙に任じ、身死して葬られず、天下の笑いと為る。一人の身、栄辱倶に施さる、任ずる所に在り。故に魏に公子無忌有りて、地を削られて復た得たり。趙は藺相如に任じて、秦兵敢えて鄢陵に出でず。唐睢に任じて、国独り特立す。楚に申包胥有りて、昭王位に反る。斉に田単有りて、襄王国を得たり。此に由りて之を観れば、国に賢佐俊士無くして、能く功を成し名を立て、危を安んじ絶を継ぐ者は、未だ嘗て有らざるなり。故に国は大を務めずして民心を得るを務め、佐は多きを務めずして賢俊を得るを務む。民心を得る者は民之に往き、賢佐有る者は士之に帰す。文王炮烙の刑を除かんことを請いて殷民従い、湯張網の者の三面を去りて夏民従い、越王旧冢を隳たずして呉人服す、其の民心に順う所以を為せばなり。故に声同じければ処異なりて相応じ、徳合すれば未だ見えずして相親しむ。賢者本朝に立てば、則ち天下の豪、相率いて之に趨く。何を以て其の然るを知るや。曰く、管仲は桓公の賊なり、鮑叔以て己より賢なりとして之を進めて相と為し、七十言にして説くこと乃ち聴かる。遂に桓公をして報讎の心を除きて国政を委ねしむ。桓公垂拱無事にして諸侯に朝せしむるは、鮑叔の力なり。管仲の能く桓公に北走して自危の心無き所以の者は、鮑叔に声を同じくすればなり。紂王子比干を殺し、箕子髪を被りて狂を佯る。陳の霊公泄冶を殺して鄧元陳を去る。是より後、殷は周に兼ねられ、陳は楚に亡ぶ。其の比干・泄冶を殺して箕子と鄧元とを失いしを以てなり。燕の昭王郭隗を得て、鄒衍・楽毅斉・趙より至り、蘇子・屈景周・楚より至る。是に於いて兵を挙げて斉を攻め、閔王を莒に棲ましむ。燕地を校し衆を計るに、斉と均しきに非ざれども、然れども能く意を信ぶこと此に至る所以の者は、士を得るに由ればなり。故に常安の国無く、恒治の民無し。賢を得れば則ち安昌、之を失えば則ち危亡す。古より今に及ぶまで、未だ然らざる者有らざるなり。明鏡は形を昭らかにする所以なり、往古は今を知る所以なり。夫れ往古の危亡する所以を悪知りて、其の安昌する所以に迹を襲うことを務めざれば、則ち未だ卻走して前人に逮ばんことを求むるに異ならざるなり。太公之を知る、故に微子の後を挙げ、比干の墓を封ず。夫れ聖人の死者に於けるすら尚お是くの如く厚し、況んや当世にして生存する者をや。則ち其の失わざるべきこと識るべし。
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『新書』胎教昔禹は夏を以て王たり、而して桀は夏を以て亡ぶ。湯は殷を以て王たり、而して紂は殷を以て亡ぶ。闔閭は呉を以て戦勝して敵無し、而して夫差は之を以て越に禽にせらる。文公は晋を以て伯たり、而して厲公は匠麗の宮に殺さる。威王は斉を以て天下に彊し、而して簡公は檀台に殺さる。穆公は秦を以て名を顕わし号を尊ぶ、而して二世は望夷の宮に劫かさる。其の君王同じくして功迹等しからざる所以の者は、任ずる所異なればなり。故に成王繈褓の中に処りて諸侯を朝せしむるは、周公事を用うればなり。武霊王五十にして沙丘に弑せらるるは、李兌に任ずればなり。斉の桓公は管仲を得て諸侯を九合し、天下を一匡し、称して義主と為す。管仲を失い、竪刁に任じ、身死して葬られず、天下の笑いと為る。一人の身に栄辱具に施さるる者は、任ずる所に在り。故に魏に公子無忌有りて削地復し、趙は藺相如に任じて秦兵敢えて出でず、安陵は周瞻に任じて国独り立ち、楚に申包胥有りて昭王反復し、斉に陳単有りて襄王其の国を得たり。此に由りて之を観れば、賢佐俊士無くして、能く功を成し名を立て、危うきを安んじ絶えたるを継ぐ者は、未だ之れ有らざるなり。
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荀子・堯問篇昔、虞は宮之奇を用いずして晋之を并(あわ)せ、萊(らい)は子馬を用いずして斉之を并せ、紂は王子比干を刳(さ)きて武王之を得たり。賢に親しみ知を用いざれば、故に身死し国亡ぶなり。
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『新書』胎教是を以て国は大を務めずして民心を得るを務め、佐は多きを務めずして賢者を得るを務む。民心を得れば民之に往き、賢者を得れば賢者之に帰す。文王炮烙の刑を除かんことを請いて殷民徙り、湯張網する者の三面を去りて二垂至り、越王旧冢を頽さずして呉人服するは、其の為す所の人に順えばなり。故に声を同じくすれば処を異にして相応じ、意和すれば未だ見ずして相親しむ。賢者本朝に立てば、天下の士相率いて之に趨く。何を以て其の然るを知るや。管仲は桓公の讐なり。鮑叔以て己より賢なりと為して之を桓公に進む。七十言説きて乃ち聴かれ、遂に桓公をして仇讐の心を除き、之に国政を委ねしむ。桓公は垂拱して事無くして諸侯を朝せしむるは、鮑叔の力なり。管仲の桓公に走りて自ら危うしとするの心無き所以の者は、鮑叔に同声すればなり。
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『新序』雜事第二齊の桓公管仲を得て、諸侯に霸たるの榮有り。管仲を失いて、危亂の辱め有り。虞は百里奚を用いずして亡び、秦の繆公之を用いて霸たり。楚は伍子胥を用いずして破れ、吳の闔廬之を用いて霸たり。夫差は徒だに子胥を用いざるのみに非ず、又た之を殺して、國卒に以て亡ぶ。燕の昭王樂毅を用い、弱燕の兵を推して、彊齊の讎を破り、七十城を屠る。而して惠王樂毅を廢し、更めて代うるに騎劫を以てし、兵立ちどころに破れ、七十城を亡う。此れ父之を用い、子用いず。其の事見る可きなり。故に闔廬子胥を用いて以て興り、夫差之を殺して以て亡ぶ。昭王樂毅を用いて以て勝ち、惠王之を逐いて敗る。此れ的的然として白黒の若し。
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説苑・雜言賢人君子は、盛衰の時に通じ、成敗の端に明らかに、治乱の紀を察し、人情を審らかにす。去就する所を知る、故に窮すと雖も亡国の勢に処らず、貧しと雖も汙君の禄を受けず。是を以て太公は七十にして自ら達せず、孫叔敖は三たび相を去りて自ら悔いず。何となれば則ち、強いて其の人に非ざるに合せざればなり。太公は一たび周に合して侯たること七百歳、孫叔敖は一たび楚に合して封ぜらるること十世。大夫種は越を存亡して覇たらしめしも、句踐は死を前に賜う。李斯は功を秦に積みしも、卒に五刑を被る。忠を尽くして君を憂い、身を危うくして国を安んずる、其の功は一なり。或いは封侯して絶えず、或いは死を賜いて刑を被る。慕う所・由る所異なればなり。故に箕子は国を去りて狂を佯り、范蠡は越を去りて名を易え、智過は君弟を去りて姓を更う、皆遠きを見て微を識り、仁は能く富勢を去りて以て萌生の禍を避くる者なり。夫れ暴乱の君、孰か能く縶を離ちて其の身を役し、患いに与らんや。故に賢者は死を畏れ害を避くるのみに非ざるなり、身を殺すも益無くして明主の暴なればなり。比干は紂に死すも其の行いを正す能わず、子胥は呉に死すも其の国を存する能わず。二子は強諫して死す、適に明主の暴を明らかにするのみ、未だ始めより秋毫の端の如きも益有らざるなり。是を以て賢人は其の智を閉じ、其の能を塞ぎ、其の人を得るを待ちて然る後に合す。故に言えば聴かれざる無く、行えば疑わるる無く、君臣両つながら与にし、終身患い無し。今其の時を得るに非ず、又其の人無く、直だ私意已む能わず、世の乱れを閔れみ、主の危うきを憂う。貲無きの身を以て、蔽塞の路を渉り、讒人の前を経、無量の主に造り、不測の罪を犯す。其の天性を傷る、豈に惑いならざらんや。故に文信侯・李斯は、天下謂う所の賢なり、国の為に計り微を揣り隠を射る、所謂過策無きなり。戦いて勝ち攻めて取る、所謂強敵無きなり。功を積むこと甚だ大に、勢利甚だ高し。賢人用いられず、讒人事を用う、自ら用いられざるを知るも、其の仁去る能わず。敵を制し功を積むこと、秋毫を失わず。患いを避け害を去ること、丘山を見ず。其の欲する所を積みて、以て其の悪む所に至る、豈に勢利に惑わさるるに非ざらんや。詩に云う、『人は其の一を知りて、其の他を知る莫し』と。此を之れ謂うなり。
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