新書 / 勸學
謂門人學者:舜何人也?我何人也?夫啟耳目,載心意,從立移徙,與我同性。而舜獨有賢聖之名,明君子之實;而我曾無鄰里之聞、寬狥之智者。獨何與?然則舜僶勉而加志,我儃僈而弗省耳。夫以西施之美而蒙不潔,則過之者莫不睨而掩鼻。嘗試傅白黱黑,榆鋏陂,雜芷若,䖟虱視,益口笑,佳能佻志,從容爲說焉,則雖王公大人,孰能無悇憛養心而巔一視之?今以二三子材,而蒙愚惑之智,予恐過之有掩鼻之容也。昔者南榮跦醜聖道之忘乎己,故步涉山川,蚠冒楚棘,彌道千餘,百舍重繭,而不敢久息。既遇老聃,噩若慈父,鴈行避景,夔立蛇進,而後敢問。見教一高言,若飢十日而得大牢焉,是達若天地,行生後世。
新字:謂門人学者:舜何人也?我何人也?夫啓耳目,載心意,従立移徙,与我同性。而舜独有賢聖之名,明君子之実;而我曽無鄰里之聞、寛狥之智者。独何与?然則舜僶勉而加志,我儃僈而弗省耳。夫以西施之美而蒙不潔,則過之者莫不睨而掩鼻。嘗試傅白黱黒,榆鋏陂,雑芷若,䖟虱視,益口笑,佳能佻志,従容為説焉,則雖王公大人,孰能無悇憛養心而巔一視之?今以二三子材,而蒙愚惑之智,予恐過之有掩鼻之容也。昔者南栄跦醜聖道之忘乎己,故歩渉山川,蚠冒楚棘,弥道千余,百舎重繭,而不敢久息。既遇老聃,噩若慈父,鴈行避景,夔立蛇進,而後敢問。見教一高言,若飢十日而得大牢焉,是達若天地,行生後世。
書き下し
門人学ぶ者に謂いて曰く、「舜は何人ぞや。我は何人ぞや。夫れ耳目を啓き、心意を載せ、立ちて移徙することを従うるは、我と性を同じくす。而るに舜独り賢聖の名有り、君子の実を明らかにす。而るに我曾て鄰里の聞こえ、寛狥の智ある者無し。独り何ぞや。然らば則ち舜は僶勉して志を加え、我は儃僈して省みざるのみ。夫れ西施の美を以てして不潔を蒙れば、則ち過ぐる者睨みて鼻を掩わざる莫し。嘗試みに白を傅け黒を黱し、鋏を榆しくし陂め、芷若を雑え、虱を䖟みて視、口を益して笑い、佳く能く志を佻して、従容として説を為さば、則ち王公大人と雖も、孰か能く悇憛して心を養い、巔びて之を一視すること無からんや。今二三子の材を以てして、愚惑の智を蒙れば、予は過ぐる者に鼻を掩う容有らんことを恐る。昔者南榮跦、聖道の己に忘るるを醜じ、故に山川を歩み渉り、楚棘を蚠冒し、道に弥ること千余、百舎に重繭あれども、敢えて久しく息わず。既に老聃に遇うに、噩若として慈父のごとく、雁行して景を避け、夔立し蛇進みて、而る後に敢えて問う。教えを一高言に見て、飢うること十日にして大牢を得たるが若く、是れ達すること天地の若く、行は後世に生ず」と。
現代語訳
師が門下で学ぶ者たちに言いました。「舜とは何者か。私とは何者か。耳や目を開き、心を載せ、立って動くという点では、私と同じ性質だ。それなのに舜だけが賢聖の名をもち、君子の実を明らかにした。私は隣近所の評判さえなく、広い心の知恵をもつ者でもない。これはなぜか。つまり、舜は努めて志を加え、私はだらけて省みなかっただけだ。西施ほどの美人でも不潔な身なりをしていれば、通る人はみな横目で見て鼻をおおうだろう。ためしに白粉を塗り、眉を黒く描き、衣のすそを整え、香草を身につけ、虱を取るようなしぐさで見つめ、口元をほころばせて笑い、よく志を傾けて、ゆったりと語れば、王公大人でも、心を乱してその人を見つめない者はいないだろう。いまあなたがたの才能でありながら、愚かな惑いを身にまとっているので、私は通りすがる人が鼻をおおうのではないかと恐れる。昔、南榮跦は、聖人の道が自分から失われていることを恥じ、山川を歩いて渡り、楚のいばらを踏み分け、道は千余里に及び、百の宿を重ねてたこができても、あえて長く休みませんでした。やっと老聃に会うと、驚いて慈父に対するように、雁の列のように身を引き、日影を避け、夔のように立ち、蛇のように進んで、その後ではじめて質問しました。一つの高い言葉で教えを受けると、十日飢えて大牢のごちそうを得たようで、その理解は天地のように広がり、行いは後世に生じたのです」と。
解説
この章句が説くこと
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論語・季氏篇孔子曰く、「『善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。』吾其の人を見たり、吾其の語を聞けり。『隠居して以て其の志を成し、義を行いて以て其の道を達す。』吾其の語を聞けり、未だ其の人を見ざるなり。」
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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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