新書 / 先醒
懷王問於賈君曰:「人之謂知道者先生,何也?」賈君對曰:「此博號也,大者在人主,中者在卿大夫,下者在布衣之士。乃其正名,非爲先生也,爲先醒也。彼世主不學道理,則嘿然惛於得失,不知治亂存亡之所由,忳忳然猶醉也。而賢主者學問不倦,好道不厭,惠然獨先迺學道理矣。故未治也知所以治,未亂也知所以亂,未安也知所以安,未危也知所以危。故昭然先寤乎所以存亡矣。故曰先醒,辟猶俱醉而獨先發也。故世主有先醒者,有後醒者,有不醒者。
新字:懐王問於賈君曰:「人之謂知道者先生,何也?」賈君対曰:「此博号也,大者在人主,中者在卿大夫,下者在布衣之士。乃其正名,非為先生也,為先醒也。彼世主不学道理,則嘿然惛於得失,不知治乱存亡之所由,忳忳然猶酔也。而賢主者学問不倦,好道不厭,恵然独先迺学道理矣。故未治也知所以治,未乱也知所以乱,未安也知所以安,未危也知所以危。故昭然先寤乎所以存亡矣。故曰先醒,辟猶倶酔而独先発也。故世主有先醒者,有後醒者,有不醒者。
書き下し
懐王賈君に問いて曰く、「人の道を知る者を先生と謂うは、何ぞや」と。賈君対えて曰く、「此れ博号なり。大なる者は人主に在り、中なる者は卿大夫に在り、下なる者は布衣の士に在り。乃ち其の正名は、先生に非ず、先醒たるなり。彼の世主は道理を学ばざれば、則ち嘿然として得失に惛く、治乱存亡の由る所を知らず、忳忳然として猶お酔えるがごとし。而して賢主は学問して倦まず、道を好みて厭わず、惠然として独り先に乃ち道理を学ぶ。故に未だ治まらざるも治まる所以を知り、未だ乱れざるも乱るる所以を知り、未だ安からざるも安き所以を知り、未だ危うからざるも危うき所以を知る。故に昭然として存亡の所以に先んじて寤む。故に先醒と曰う。辟えば俱に酔いて独り先に発くが猶し。故に世主に先醒の者有り、後醒の者有り、醒めざる者有り。
現代語訳
懐王が賈君に尋ねました。「人々が道を知る者を『先生』と呼ぶのは、なぜか」。賈君は答えました。「これは広い称号です。大きなものは君主に、中くらいのものは卿や大夫に、下のものは庶民の士に当たります。その正しい名は、先生ではなく、先醒なのです。世の君主は道理を学ばなければ、黙然として損得に暗く、治乱や存亡の由来を知らず、ぼんやりと酔っているかのようです。ところが賢い君主は、学問をして倦まず、道を好んで厭わず、一人先んじて道理を学びます。だから、まだ治まらないうちに治まる理由を知り、まだ乱れないうちに乱れる理由を知り、まだ安らかでないうちに安らかな理由を知り、まだ危うくないうちに危うい理由を知ります。こうして存亡の理由に先んじて、はっきり目覚めているのです。だから先醒といいます。たとえば、みなが一緒に酔っている中で、一人先に醒めるようなものです。だから世の君主には、先に醒める者、後に醒める者、醒めない者がいます。
解説
この章句が説くこと
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