易経 / 文言
上九曰:「亢龍有悔」,何謂也?子曰:「貴而无位,高而无民,賢人在下位而无輔,是以動而有悔也。」「潛龍勿用」,下也;「見龍在田」,時舍也;「終日乾乾」,行事也;「或躍在淵」,自試也;「飛龍在天」,上治也;「亢龍有悔」、窮之災也。乾元「用九」,天下治也。
新字:上九曰:「亢竜有悔」,何謂也?子曰:「貴而无位,高而无民,賢人在下位而无輔,是以動而有悔也。」「潜竜勿用」,下也;「見竜在田」,時舎也;「終日乾乾」,行事也;「或躍在淵」,自試也;「飛竜在天」,上治也;「亢竜有悔」、窮之災也。乾元「用九」,天下治也。
書き下し
上九に曰く、「亢龍悔い有り」とは、何の謂ぞや。子曰く、「貴くして位无く、高くして民无く、賢人下位に在りて輔くる无し、是を以て動きて悔い有るなり」と。「潛龍用うるなかれ」とは、下ればなり。「見龍田に在り」とは、時舍なり。「終日乾乾」とは、事を行うなり。「或いは躍りて淵に在り」とは、自ら試むるなり。「飛龍天に在り」とは、上りて治むるなり。「亢龍悔い有り」とは、窮まるの災なり。乾元の「九を用う」とは、天下治まるなり。
現代語訳
上九に「昂ぶり上りつめた龍には悔いがある」とあるのは、どういう意味か。先生が言われた。「尊いけれども実の位がなく、高いけれども従う民がなく、賢い人が下の位にいても助けてくれる者がない。だから動けば悔いが生じるのである」。「ひそめる龍、用いるな」とは、まだ下にいるからである。「あらわれた龍が田にいる」とは、時に応じて身を置いているのである。「一日じゅう努め励む」とは、事を行うのである。「あるいは躍り、あるいは淵にとどまる」とは、自ら試みるのである。「飛ぶ龍が天にいる」とは、上って世を治めるのである。「昂ぶり上りつめた龍に悔いがある」とは、窮まりきったことによる災いである。乾の元にいう「九を用う」とは、天下が治まることである。
解説
亢龍とは、上りつめて行き場を失った龍です。地位は尊いが実権はなく、高い所にいるが従う人がなく、有能な人材が下にいても助けてくれない。だから動けば悔いが残る、と説かれます。ここで語られているのは、頂点そのものが悪いということではなく、支えを失った頂点は危ういという構造です。人望も、現場との接点も、助言してくれる人も失ったまま高みにいると、何をしても裏目に出ます。この段は続けて、潜・見・乾乾・躍・飛・亢という六つの段階を一列に並べ直します。潜んで力を蓄え、姿を現し、努め励み、自ら試し、天に上り、そして極まって悔いる。上りきったら次は必ず下りがあるという、循環の見取り図です。経営者や役職者にとっては、絶頂のときほど下位の声を聞き、助けてくれる人を持ち、退きどきを考えておくこと。亢龍の悔いは、そう教えています。