新書 / 過秦上
始皇既沒,餘威振於殊俗。然而陳涉,甕牖繩樞之子,氓隸之人,而遷徙之徒也。才能不及中人,非有仲尼、墨翟之賢,陶朱、猗頓之富。躡足行伍之間,俛起阡陌之中,率疲弊之卒,將數百之衆,轉而攻秦。斬木爲兵,揭干爲旗,天下雲合而嚮應,贏糧而景從。山東豪傑幷起而亡秦族矣。
新字:始皇既没,余威振於殊俗。然而陳渉,甕牖縄枢之子,氓隸之人,而遷徙之徒也。才能不及中人,非有仲尼、墨翟之賢,陶朱、猗頓之富。躡足行伍之間,俛起阡陌之中,率疲弊之卒,将数百之衆,転而攻秦。斬木為兵,掲干為旗,天下雲合而嚮応,贏糧而景従。山東豪傑幷起而亡秦族矣。
書き下し
始皇既に没し、余威殊俗に振るう。然り而して陳渉は、甕牖縄枢の子、氓隷の人にして、遷徙の徒なり。才能中人に及ばず、仲尼・墨翟の賢、陶朱・猗頓の富有るに非ず。足を行伍の間に躡み、俛起して阡陌の中に起こり、疲弊の卒を率い、数百の衆を将い、転じて秦を攻む。木を斬りて兵と為し、干を掲げて旗と為せば、天下雲合して嚮応し、糧を贏いて景のごとく従う。山東の豪傑並び起こりて秦の族を亡ぼせり。
現代語訳
始皇が亡くなっても、その余威は遠い異俗の地にまで及んでいました。ところが陳渉は、甕の窓と縄の戸枢という貧しい家の子で、下働きの身分で、遠くへ送られる戍卒の一人でした。才能は並みの人にも及ばず、仲尼や墨翟のような賢さも、陶朱や猗頓のような富もありません。隊列の間に足を踏み入れ、田のあぜ道の中から身を起こし、疲れ果てた兵卒を率い、数百の人を引き連れて向きを変え、秦を攻めました。木を切って武器とし、竿を掲げて旗とすると、天下は雲のように集まってこれに応じ、食糧を背負って影のようについて来ました。山東の豪傑たちがそろって立ち、秦の一族を滅ぼしました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新書』過秦下秦、諸侯山東三十余郡を兼ね、津関に循い、険塞に拠り、甲兵を繕いて之を守る。然るに陳渉散乱の衆数百を率い、臂を奮いて大呼し、弓戟の兵を用いず、鉏耰白梃もて、屋を望みて食らい、天下に横行す。秦人険に阻まれて守らず、関梁閉ざさず、長戟刺さず、彊弩射ず。楚師深く入り、鴻門に戦い、曽て藩籬の難無し。是に於いて山東の諸侯並び起こり、豪俊相立つ。秦、章邯をして将として東征せしむ。章邯其の三軍の衆に因りて外に要市し、以て其の上を謀る。群臣の相信ぜざること、此に見る可し。
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『新書』過秦上且つ夫れ天下は小弱に非ざるなり。雍州の地、崤函の固き、自若たり。陳渉の位は、斉・楚・燕・趙・韓・魏・宋・衛・中山の君より尊きに非ざるなり。鉏耰棘矜は、鈎戟長鎩より銛からざるなり。適戍の衆は九国の師に亢するに非ざるなり。深謀遠慮、行軍用兵の道は、郷時の士に及ぶに非ざるなり。然り而して成敗変を異にし、功業相反するは、何ぞや。試みに山東の国をして陳渉と長を度り大を絜り、権を比べ力を量らしめば、則ち年を同じくして語る可からず。然るに秦は区区の地を以て、万乗の勢に至り、八州を序して同列を朝せしむること、百有余年なり。然る後六合を以て家と為し、崤函を宮と為す。一夫難を作して七廟堕ち、身は人の手に死し、天下の笑いと為るは、何ぞや。仁心施さずして、攻守の勢異なればなり。
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史記 陳渉世家陳王出づ、道を遮りて渉と呼ぶ。陳王之を聞き、乃ち召し見え、載せて与に倶に帰る。宮に入り、殿屋帷帳を見て、客曰く、「夥頤、渉の王為るや沈沈たる者なり」と。楚人多を謂ひて夥と為す、故に天下之を伝へ、夥渉王と為るは、陳渉より始まる。客出入すること愈々益々発舒し、陳王の故情を言ふ。或ひと陳王に説きて曰く、「客は愚にして知る無く、顓ら妄言し、威を軽んず」と。陳王之を斬る。諸々の陳王の故人皆自ら引きて去り、是に由りて陳王に親しむ者無し。陳王、朱房を以て中正と為し、胡武を司過と為し、群臣を主司せしむ。諸将地を徇へ、至るに、之に令して是ならざる者は、系ぎて之を罪し、苛察を以て忠と為す。其の善からざる所の者は、吏に下さず、輒ち自ら之を治む。陳王之を信用す。諸将其の故を以て親附せず、此れ其の敗るる所以なり。陳勝已に死すと雖も、其の置遣する所の侯王将相竟に秦を亡ぼす、渉の事を首むるに由るなり。高祖の時、陳渉の為に守冢三十家を碭に置く、今に至るまで血食す。褚先生曰く、地形の険阻は、固めと為す所以なり。兵革刑法は、治むることを為す所以なり。猶ほ未だ恃むに足らざるなり。夫れ先王は仁義を以て本と為し、而して固塞文法を以て枝葉と為す、豈に然らずや。吾聞く、賈生の称に曰く、
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史記 秦始皇本紀秦に亡矢遺鏃の費無くして、天下の諸侯已に困しむ。是に於て従散じ約解け、争ひて地を割きて秦に奉ず。秦余力有りて其の敝を制し、亡を追ひ北を逐ひ、伏尸百万、流血櫓を漂はす。利に因り便に乗じ、天下を宰割し、河山を分裂す。彊国は服を請ひ、弱国は入朝す。孝文王・荘襄王に延及し、国を享くること日浅く、国家事無し。秦王に至るに及び、六世の余烈を続ぎ、長策を振るひて宇内を御し、二周を呑みて諸侯を亡ぼし、至尊を履みて六合を制し、棰拊を執りて以て天下を鞭笞し、威は四海を振るふ。南のかた百越の地を取り、以て桂林・象郡と為す。百越の君首を俛れ頸を系け、命を下吏に委ぬ。乃ち蒙恬をして北のかた長城を築きて藩籬を守らしめ、匈奴を却くること七百余里。胡人敢へて南に下りて馬を牧さず、士敢へて弓を彎きて怨みに報いず。是に於て先王の道を廃し、百家の言を焚き、以て黔首を愚にす。名城を墮ち、豪俊を殺し、天下の兵を収めて之を咸陽に聚め、鋒を銷して鐻を鋳、以て金人十二と為し、以て黔首の民を弱む。然る後に華を斬りて城と為し、河に因りて津と為し、億丈の城に拠り、不測の谿に臨みて以て固めと為す。良将勁弩要害の処を守り、信臣精卒利兵を陳ねて誰何す。天下以て定まる。秦王の心、自ら以為へらく関中の固め、金城千里、子孫帝王万世の業なりと。秦王既に没して、余威殊俗に振るふ。陳渉は、罋牖縄枢の子、甿隷の人にして、遷徙の徒なり。才能は中人に及ばず、仲尼・墨翟の賢、陶朱・猗頓の富有るに非ず。足を行伍の間に躡み、什伯の中に倔起し、罷散の卒を率ゐ、数百の衆を将ゐて、転じて秦を攻む。木を斬りて兵と為し、竿を掲げて旗と為す。天下雲のごとく集まり響きのごとく応じ、糧を贏ひて景のごとく従ひ、山東の豪俊遂に并び起こりて秦族を亡ぼす。且つ夫れ天下は小弱に非ざるなり。雍州の地、殽函の固めは自若たり。
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史記 秦始皇本紀陳涉の位、齊・楚・燕・趙・韓・魏・宋・衛・中山の君より尊きに非ず。鉏櫌棘矜、句戟長鎩より錟きに非ず。適戍の衆、九国の師に抗するに非ず。然れども成敗変を異にし、功業相反するは、何ぞや。然り秦区区の地を以て、千乗の権もて、八州を招きて同列を朝せしむること、百有餘年なり。然る後六合を以て家と為し、殽函を以て宮と為す。一夫難を作して七廟墮ち、身人手に死して、天下の笑と為る者は、何ぞや。仁義施されずして攻守の勢異なればなり。
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『新書』過秦下天下事多くして、吏紀する能わず。百姓困窮して、主収恤せず。然る後奸偽並び起こりて、上下相遁れ、罪を蒙る者衆く、刑戮道に相望みて、天下之に苦しむ。群卿より以下衆庶に至るまで、人自危の心を懐き、親しく窮苦の実に処り、咸な其の位に安んぜず、故に動き易きなり。是を以て陳渉は湯・武の賢を用いず、公侯の尊を藉らず、臂を大沢に奮いて、天下嚮応せしは、其の民危うければなり。故に先王は終始の変を見、存亡の由を知る。是を以て牧民の道は、務め之を安んずるに在るのみ。下に逆行の臣有りと雖も、必ず響応の助け無し。故に曰く、「民を安んずれば与に義を為す可く、民を危うくすれば与に非を為し易し」とは、此の謂なり。貴きこと天子たり、富めること四海を有ち、身戮に在るは、正すこと非なればなり。是れ二世の過ちなり。
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